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条約の花嫁  作者: 十々木 とと
第二章
71/114

24. 想定外の食いつき


 最近ワイアットの様子がおかしい。出勤前の抱擁が異様に長くなったのだ。おかしいといってもそれだけなのだが、気疲れしているように見えて気に掛かる。


「あんたの旦那、大丈夫か」


 接点がないと思っていたところから心配されて、雪江は瞬いた。トコ・プルウィットの待合席で帰り支度をしながら、チャニングが雪江の様子を窺っている。脚本が仕上がり、稽古を進める中で細かな調整を加えたものを確認する段階に入っていて、それももう終わる。マロリーは同席していない。他の劇団の、風邪で寝込んだ団員の代役として貸し出しているとのことだ。小さな劇団同士ではよくある助け合いらしい。


「大丈夫、とは?」


 雪江が首を傾げると、チャニングは目線を逃し言いにくそうに口を動かした。


「女と話してんの、街で見かけてな」


 雪江は少しだけ息を呑んだ。


「………どういう方でした?」

「背の高い、茶髪の女」

「髪は腰まで長くて、目は青かったですか?」

「そんな感じだったな。知り合いか?」

「………いえ」

「浮気か」


 藪睨みで重々しく言葉にされて、雪江は苦笑いになる。


「……違うと思います」


 多分、そうではない。信じる信じない以前に、彼女といる現場を目撃してもワイアットには気まずさの欠片もなかった。後ろめたさで急に優しくなるだとかそういったこともない。でも、ならばなんだろう。目撃した二回ともきっと助けただけなのだろうが、そんなに何度も同じ人物の同じ場面に行き合うだろうか。テラテオス脳のままだと、顔見知りだから今度は偶然見かけて立ち話でもしていたのだろうと思うが、此方では事情が異なるからどう捉えたものか判らない。

 否定はしたものの考え込んだ雪江を見て、チャニングが落ち着きなく目を彷徨わせる。


「なぁ、もし、あれなら、その。旦那がそのつもりなら、俺が、その…」

「お気遣いありがとうございます。大丈夫、自分で訊けます」

「あ、いや…」


 雪江が微笑みながらやんわりと断ると、チャニングは喉をつまらせるようにして口を噤んだ。私生活を心配する程気にかけてもらえるようになるとは思わなかった。打ち解けられるのは嬉しい。ただ、夫婦のことだ。

 ふと目線を上げたチャニングが忌々しげに舌打ちしたので、雪江が何事かと振り返るとコスタスがいるだけだ。コスタスはチャニングを見ながらほんのり生暖かくなっていた目の表情を、雪江が振り返る気配で瞬時に消していた。






 護衛達の帰宅後、長椅子で寛いでいるワイアットに安眠効果のあるハーブティーを出すと、手元の新聞から目を上げて隣を叩いて示された。雪江は促されるままに腰を下ろす。憶測を巡らせるのは誰にも良い結果を生まない。雪江は悩みたくなくて、本人に訊いてしまうことにした。


「チャニングさんがこの間の女性と話しているのを見かけたって言うの。お友達になったの?」


 ワイアットは苦々しげな色を眉間の辺りに漂わせた。


「仕事の関係だ。詳しくは話せない」


 思わぬ返答に雪江の瞬きが早くなる。軍事機密というやつだろうか。国営農場の警備とどう関係するのか見当もつかない。


「不安にさせてるか」

「ううん。お友達なら紹介してほしいなって思っただけだから」


 雪江が疑問符を浮かべていると、ワイアットの眉間の皺が深まっていた。雪江は慌てて首を振るが、我ながら言い訳じみていると思う。疑っていないのに聞くのは矢張り不安だからだ。ワイアットは雪江の腰を引き寄せ、額を肩に乗せた。


「終わったら話せる」


 ワイアットの額がぐりぐりと押し付けられる。雪江の肩がちょっと痛い。雪江にはよく解らない行動だが、出勤前の抱擁といい、もしかして甘えているのだろうか。雪江がそっと頭を撫でるとぴたりと止まり、ワイアットが深い溜息を漏らすのが聞こえた。少しは癒されますようにと願いを込めて、いつもワイアットがしてくれるように頭頂部に口付けると、雪江は両手で掻き抱かれて暫く離してもらえなくなった。この件は雪江が不安に思うより、ワイアットを心配した方が良いのかもしれない。幸いなことに、良い話題もある。


「ワット、指輪が出来あがったの。受け取ってきたよ」


 雪江が強請ったものだからワイアットにとっても嬉しいものかは判らなかったが、少しでもワイアットの気分が上がればと思った。意外にも、瞬時に身を起こすほどワイアットの反応は良かった。


「見せてくれ」


 指の曲線に添うように緩やかなカーブを描く二つの輪が重なり合うデザインの、ペアリング。ジュエリーボックスを開いて、二つ並んでいる指輪の大きな方を雪江が渡すと、ワイアットは物珍しげにしげしげと眺めた後、薬指に嵌めてサイズを確かめた。


「良かった、ぴったりだね」


 雪江はほっとして笑んだが、ワイアットはそれを見たまま無言だ。握り拳を作って見ているから、まさか武器として使えるか考えているのではあるまいなと雪江は不安になる。大きな宝石はついていないし、突起もないから無理だろう。


「結婚式で交換するまでは仕舞っておこう?」


 プラチナだから大丈夫だとは思うが、万一試されて歪みでもしたら悲しい。雪江はジュエリーボックスを開いて促した。


「チェーンは」

「あるよ」


 一緒に購入しておいたチェーンを見せると、ワイアットは外した指輪を通して首に下げる。


「え。ねぇ、結婚式で交換するものなんだけ、ど!?」


 聞こえていなかったのかと雪江は再度言葉を重ねたが、顔中への口付け攻撃にあった。言語の説明が欲しい。口封じなのか喜びの表現なのか判らない。


「守護魔術の代わりだと思っていいんだろう」


 漸く顔が離れたと思ったら、譲らないとばかりのワイアットの目力が待っていた。まだ話せないと言うから訊けないが、とても危険な任務についているのかもしれない。雪江は気圧されるように頷いた。






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