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条約の花嫁  作者: 十々木 とと
第二章
72/114

25. 驚くに値しない


 後援会は回を重ね警備のマニュアル化も着々と進み、恒例になったので茶器類は役所の給湯室に置かせてもらっている。身軽な雪江は夕食の食材を少しばかり買い足して帰るだけ。こういう時は寄り道をしやすい。


「退避所巡りしていいですか?」


 有事の時に駆け込む店巡りである。雪江の外出頻度があまりにも高いので、護衛達が少しずつ調べて地図を作ってくれた。基本的に寄り道は止められるのだが、実際に歩いた方が覚えやすいと言うと、安全対策の一貫だからか一番厳しいエアロンもすんなり頷いてくれている。

 一番安全なのはお馴染みトコ・プルウィット。次いで他の女性用の店と役所のテラテオス課。その次が妻帯者の店。老婦人が接客している場合は匿ってくれる可能性がある。奥に若い女性が滞在している場合は巻き添えを恐れて拒否される場合もある。憲兵隊本部はその日の人員によって危険度が異なるので博打だそうだ。雪江はそれを聞いた時、だからワイアットが演習を装って出動したり、同席できない事情聴取を嫌がっていたのだと納得した。女性が関わることは制服だけで信じてはいけないと言い含められた。

 いつも食材を買っている店や劇場周りは覚えたので、本日は役所付近の店を巡る。近くに駅があって、馬車の発着時刻が近いのか少し混雑していた。飲食店の多い道を、護衛が多く利用する防具店を目指して歩く。


「他人の護衛対象でも助けてくれるんですか?」

「勤務中は勿論自分の護衛対象が最優先ですが、勤務外でも女性が襲われていて放っておける護衛はいませんよ。職業病のようなものです」

「求職中の場合それが縁で雇ってもらえる場合もあるんですよ」

「そうでなくとも雇い主に礼状が届いたら評価が上がるので旨みはあるんです」


 エアロンとコスタスが交互に説明し、ナレシュは雪江と同じような生徒顔だ。


「ただ、客として出入りしてるだけなのでいつも居るとは」


 突然エアロンの言葉が途切れ、目つきが鋭くなった。他の二人もさっと身体を緊張させる。遠くの方で悲鳴と荒々しい蹄の音、馬の嘶きがした。その騒ぎが急速に近づいてきて、暴れ馬だ、と誰かが警告の声を上げた。慌てて逃げてきた人々から護るように三人が素早く陣形を変える。


「奥様、失礼します」


 言葉と同時に雪江はコスタスの肩に軽々と担ぎ上げられていた。先頭はナレシュ、殿をエアロンに固められて役所へと引き返すが、ナレシュが人波を割って道を作りながらなので走る速度は遅い。


「ど、」


 どさくさに紛れて雪江に伸びてくる手をエアロンが叩き落とす。雪江がどうしたんですかと問う機会は失われた。慌てて道を開けようとしたのか荷台が倒れてきて、エアロンが身を挺して積荷から雪江とコスタスを庇った。体勢を崩したエアロンに見知らぬ男が殴りかかり、他の男がそれに続く。


「エアロンさん!」

「すみません、走ってください」


 エアロンが応戦で手一杯になり、離脱したのを察したコスタスが雪江を地面に下ろした。


「は、はい!」


 問うのは後だ。エアロンの代わりに殿についたコスタスの指示に従い、雪江はナレシュの後を追うように走る。すぐ近くにいた男が迫って来た暴れ馬に轢かれて数人の雪崩が起きた。コスタスが雪江を抱き込んで庇ったことで足が止まる。それを見た男達が雪江に手を伸ばし、コスタスは雪江をナレシュの方へ突き飛ばした。


「ナレシュ頼む!」

「奥様、行きますよ!」


 コスタスが足止めに残り、ナレシュが雪江の手を掴んで走りながら抜剣した。それだけで人々は左右に割れる。だが脅しに過ぎないと見るや、手を伸ばす者も出てきた。


「った!」

「ぐあっ!?」


 髪を掴まれて雪江の頭が後ろに引かれ、チョーカーの守護魔術がその手を弾く。別の男がナレシュ目掛けて木材を投げつけた。それを剣で叩き落としたことで位置が入れ替わり、雪江は背に庇われる。騒ぎで積荷を倒されたのか、横倒しになった荷台の辺りには木材の他に商品と思しき工具や箒が散乱している。先程の木材を拾った男や、箒やモップを手にした男達が近づいてくる。


「奥様、魔術は残ってますか」


 ナレシュが構えた剣で牽制しながら、雪江を背にじりじりと下がった。


「あと一回」


 役所はもう直ぐそこに見えている。


「合図をしたら役所に走ってください」

「はい」


 箒の男が突っ込んできて、ナレシュが振り下ろされる箒を左手で掴んで絡めとった。足払いに振るわれるモップを踏んで、木材は剣で弾く。


「走って!」


 ナレシュの声で、雪江は踵を返して駆けた。横から伸びてきた手が箒で叩き落とされるのが目端に映るが、只管走ることに集中する。正面玄関一歩手前で伸びてきた手を辛うじて躱して役所内に滑り込んだ。丁度出ようとした位置にいたのだろう誰かにぶつかってしまった。


「っ! ごっ、ごめんなさい」


 雪江を受け止める形で尻餅をついた男は、少し呻いただけで微笑み返してくれた。慌てて男の体の上から退くと、先に立ち上がって雪江を立たせてくれる。見れば職員の制服ではない。白いシャツに灰色のテーラードジャケットを羽織った優しげな中年男性だ。何かしらの手続きをしに来ていた人なのだろう。


「大丈夫ですか。護衛は?」

「あ、今、私を逃してくれて」


 雪江は玄関の扉を振り返る。怪我をして動けなくなっているのではと不安になるが、見に戻るわけにもいかない。


「そうですか。ここにいるのも危険ですし、もうちょっと奥で待った方がいいですね」


 言うなり、雪江は手を引かれた。


「え、あの…」


 雪江はまだ息切れをしていて、足も疲れている。縺れるように足が誘導される方向に進んだ。


「職員の方ではないですよね…?」


 親切心からなのだろうが、どんどん奥に進むので雪江は不安になる。


「あの、職員の方に伺ってからの方が」


 扉に手をかけたので使用許可をとるべきではと告げたのだが、開けたら部屋ではなく、外だった。裏口だと判った瞬間、雪江は足を踏ん張る。


「大丈夫、私が匿います。辻馬車をつかまえて安全な場所に移動しましょう」


 男は優しげに微笑むのに目は笑っておらず、掴んだ雪江の手首を引っ張る力が強くなった。


「いいです!」


 雪江は内側に手首を回し、振り上げて男の手を払った。護衛との訓練が役に立ったと喜ぶ余裕もない。裏口から舞い戻り、来た道を受付目掛けて走る。


「ハクスリーさん! ハクスリーさん!」


 知った人間でなければ信用できない。名を呼びながら走ったからか、廊下の途中の扉から本人が出てきた。


「スカイラー夫人!? どうしました!?」

「ハクスリーさん!」


 雪江は走る勢いを殺せず、抱き留められる形で止まる。雪江を連れ出そうとしていた男は、ハクスリーに保護されているのを見て直ぐに裏口から出て行った。

 雪江は一室を借りて、ハクスリーが用意してくれた紅茶を飲みながら護衛がいない事情を話した。


「な、なんなんですか、あれ。あんな、いくらなんでも、白昼堂々、あんなことになります…?」


 穏やかな日常が一瞬で様変わりしたことに、雪江の頭が追いついていない。今になって震えがきて、紅茶の水面が揺れる。ハクスリーは苦笑いをした。


「ええ、まぁ……何かの事故や事件の現場に女性がいると、どさくさに紛れて攫おうとする人が出るんですよ」


 護衛達はそれを見越して早い段階で動いたのだ。


「し、信じられない…護衛がいるのに」

「騒ぎで動き難くなっていたでしょう?」


 憲兵も事故に人手を取られるから狙い目なのだという。火事場泥棒という言葉が脳裏に浮かんで、雪江は目眩のする心地だ。いくらもしないうちに職員に案内されてきた護衛達に大きな怪我がなくて、雪江は安堵で力が抜けた。






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