11. 平等の精神
チャニングの件は残念だが、エルネスタがまた誰か見つけさせると息巻いていたので、雪江は早々に頭を切り替えた。彼女の勢いなら次が駄目でもまた次があることだろうから、とても心強い。そこが心配いらないものだから、雪江は浮上したユマラテアド男性マザコン説がちょっと気になる。劇場の関係者入り口でナレシュが辻馬車を掴まえてくるのを待つ間、雪江はちらちらと隣のワイアットを見上げた。
「ワットのお母さんて、どんな人?」
結婚式の話をした時に一度聞いているのだが、その時は会えば判る、で終わっていた。雪江は再度聞く機会を窺っていたので、丁度良かった。
「女帝だ」
「う、うん?」
端的すぎて詳細が判らない。
「少なくとも近親相姦するような人間ではない」
不快感の滲む声だった。まさかの単語が出てきて雪江は耳を疑ったが、直ぐに脈絡に思い至った。
「もしかしてさっきの脚本の話!? 違うよ!? あれそういう話じゃないからね!? まるきり聖母みたいな人だね、って話で、ちゃんと赤の他人同士の恋愛物語だったから!」
「そうか。いくら女が足りないからといって、俺は母親に欲情するような変態ではない」
ワイアットは重々しく頷いた。ひょっとして誤解を危惧して答えてくれたのだろうか。だとしても飛躍しすぎだ。情報が少ないととんでもない方向に転がる。雪江は恐ろしさで冷や汗が滲んだ。だから彼からももうちょっと情報を引き出したい。
「あのね。ワットのご両親とは私も家族になる…もう法的には家族でしょう? だから、仲良くしたいの。会う前に為人を知っていたら、失礼なことをせずに済むでしょう?」
「気にしなくて良い。会うのは式の時だけだ」
ワイアットは誤解はないと知って満足したのか、結局以前と似たり寄ったりの返答に落ち着いてしまった。
「え、ぇえ…あの、違ってたらごめんね? もしかして、お義母さんのこと、あんまり好きじゃないの?」
冷え切った家族というのもあり得る。それはそれで、雪江は事前に教えてもらいたい。
「嫌いではないが、少し苦手だ」
「……人に言い難い話?」
雪江がそっとワイアットの左手の指先を握ると、一旦離されて、雪江の右手をすっぽり包み込むように握り返された。見下ろした濃藍の目が雪江の表情に心配そうな色を認めて、雪江の頭頂部に優しく口付け手の甲を親指で撫でる。
「そんな顔をするな。別段悲惨な話はない」
「そうなの?」
「ああ。俺は殆ど兄達に育てられたようなものでな」
ワイアットの実家は馬の牧場を経営している。家族経営で危険が少ない場合は女性も一緒に働くことがあり、彼の家はこれにあたる。子供が増えれば増えるほど下の子の世話は上の子の仕事になる。大家族にありがちなことで、珍しいことでもない。五男のワイアットは、気が強く逞しい母との接点はほぼ叱られる時だけだったという。女帝とは、大家族に君臨する恐ろしい権力者という意味だったようだ。
「お義父さんは?」
「普通だ」
「ワットと似てる?」
「顔は似てる」
「優しい?」
「あまり怒ったところを見た記憶がない」
「話しやすい?」
「話しかければ答えは返ってくる。ユキエ」
急に手を握る力が強くなり、雪江は真剣な目で見下ろされた。
「な、何?」
「式の間だけだ。父には母がいるから大丈夫だと思いたいが、おそらくまだ現役だ。お前の傍を離れるつもりはないが、万一の時にはタマを蹴り上げてでも逃げろ。俺が許す」
「何の心配をしているの!?」
想定外過ぎて雪江の剥いた目がこぼれ落ちそうになった。全方向に警戒を向けるのはユマラテアドでは普通なのか、彼が心配性に過ぎるのか、彼の父が余程節操の無い人なのか。正解が判らない。
「え、と、そうだ、こっちの女性は親族でも夫の年頃の兄弟とは会わないって聞いたんだけど、ワットの兄弟にも挨拶できないの?」
それはつまり、父親を警戒する理由と同じなのだろう。ワイアットの頷きが返ってきた。
「会えば皆お前に盛る」
「オ、オブラート!!」
周りに女性がいない環境で育った所為なのか、どうにも生々しくていけない。皆が惚れると言われるよりは現実味があるようなないような気がしないでもないが、各々好みくらいはあるだろう。そんなものは関係ないくらい切羽詰まった状況だとは、雪江は考えたくない。ただ、一つだけ確定したことがある。家族団欒は望めないということだ。




