12. 足りない人達
次の脚本家を吟味中の間も、雪江にすることがないわけではない。観劇して勉強をするのだ。ケスクス劇場は以前ワイアットと観劇をした劇場で、警備状況を把握済みだから通うことを反対されることはなかった。他の劇場もボックス席が用意されていて、護衛達が下見した警備状況がワイアットの納得いくものであれば許されていた。
雪江は正面の女性客や下の男性客の反応も見ることができる舞台脇のボックス席を選び、護衛の一人に同席してもらう。ナレシュやエアロンは恋愛劇だと男性客への警戒の割合の方が多くなってしまうのだが、男性の意見やテラテオスとのちょっとした違いが聞けて、これが案外為になる。観劇の合間に女性客の反応を見ていると、対面のボックス席に同じように此方側のボックス席を観察している様子の女性を見つけた。
「コスタスさん、同業者っぽい人がいます」
本日の同席者にその女性の場所を囁くと、丁度その女性が此方に顔を向けた。雪江は慌ててオペラグラスを下ろす。
「あれは…ネヘミヤじゃないですかね」
「えっ」
向こうは直ぐに判ったのか、オペラグラスを下さないまま微笑んで手を振っている。客席は少し暗いし距離もある。しっかり化粧をしていて余所行きの澄まし顔だったので、雪江は言われなければ判らなかった。
演目が終わりロビーに降りてゆくと、ネヘミヤが待っていた。
「ネヘミヤ! 全然判らなかった! 外で会えるなんて新鮮。美人が更に美人になってる!」
「語彙力皆無!」
雪江の素直な感想に、ネヘミヤは吹き出した。
「ええ? ええっ…と、魅惑的な瞳が私を捉えて離さない、薔薇色の頬が食べ頃を伝えてくれているようだ…?」
「それさっきの劇の台詞! なに口説いてんのさ!」
「もー、いいじゃない美人は美人で! 一言で言いたいこと解るでしょ! 貴婦人みたい!」
「お座なり!」
むくれながらの褒め言葉は当然ながら響かなかったようだ。笑いながら却下された。
「奥様、人が集まって来てます。囲まれる前に場所を変えましょう」
エアロンの言で雪江ははっと周囲を見回す。劇場には女役を追いかけている男性客と同じくらい、女性客目当ての男性客がいる。その為既婚者や恋人がいる女性は演目が終わると直ぐに劇場から出てゆくのだが、相手を探している女性が出会いの場としていることがあるのだそうだ。いつまでも留まっていると勘違いされてしまう。既婚者でも再婚相手を探している場合がある為、婚姻の腕輪の抑止力はない。
「そうだ、美人は余計に危ないよ、早く出よう」
いくら護衛が強くても数には敵わない。雪江が慌ててネヘミヤを促したら、本人に笑われた。
「護衛でどっちが娶れる女か皆判ってるよ」
ネヘミヤの二人の護衛はギャビンのように筋骨隆々で、雪江も思わず納得の男臭い男達だった。ネヘミヤは公娼だということを全く隠していない。公共の場での客引きは違法だから特別なことはしないが、美貌を晒すだけでそれとなく宣伝になるのだそうだ。今はそんなことをしなくても客はついているのだが、駆け出しの頃に晒しているので、今更隠すこともないとのことだった。職業柄の危険がないのか、雪江の方がそわそわしてしまう。
「会えて丁度良かった。明日は一時間遅く来てくれる?」
「うん、わかった。お茶請け何か要望ある? 美容にいいものにする?」
「ああいいよ、そこは普通に焼き菓子で。あ、でもお茶はあのハーブティーがいい。マダムに分けてもらったってやつ。あれ美味しかった」
雪江達は速やかに劇場から抜け出して、混雑を避け辻馬車を拾い易い場所まで共に歩く。こうしていると女友達と出かけているようで、雪江はちょっと楽しい。
「さっきボックス席見てたのって、やっぱり女性の観察?」
「うん。あんな沢山集まる場所って劇場くらいしかないからさ、昔からよく来てるんだ。ユキエちゃんは脚本監修だっけ、紹介してもらったんでしょ? どうだった?」
「それが……あ。あの人」
歩む先に丁度話題の人物が居て雪江の足が止まる。彼の人も此方に直ぐに気付いた。眼鏡の奥の目を大きく見開いたかと思うと、真っ直ぐに進んで来た。刺しに来たのかと思う程険しく思い詰めた表情をしている。
「おい、止まれ」
ナレシュが大股で彼と距離を詰め、三メートルの余裕を持たせて制止したくらいだ。彼は止まったが、雪江を睨み続けている。雪江は気圧されて数歩下がり、コスタスが雪江の右斜め前に出た。エアロンは背後の位置取りを変えぬまま退路の確認に視線を巡らせる。ネヘミヤがさりげなく雪江の左斜め前に入り込んだ為に、彼の護衛が更にその斜め前に出て、睨み続ける男、チャニングが凶悪犯であるかのような場ができあがった。
「次はいつ会える」
「え?」
唸りながらチャニングが言った。雪江は言葉の意味を捉え損ねて首を傾げる。
「ちょっと何、ユキエちゃん、浮気?」
「は!?」
ネヘミヤが戸惑いと哀しみの混ざった表情で雪江を振り返って、雪江の口から素っ頓狂な声が出た。
「切るなら上手いこと切らなきゃ駄目だよ、未練断ち切れない男は怖いんだからね? ああやって力ずくでくるよ?」
チャニングを刺激しない為なのか、ネヘミヤは手の甲で口元を隠し声量を落としている。
「違っ!? あれはチャニングさんです! 紹介の! 脚本の! えっと、次ってなんですか!?」
とんでもない誤解が発生している。誤解が浸透してしまう前にチャニングに真意を問い質したい。雪江の心当たりは仕事の件しかないが、チャニングの思い詰めた様子から用件が読めなくなっている。
「次は次だ。あんたはやる気だったんじゃないのか。訊きに来るのが遅かったか?」
チャニングはばつが悪そうに目線を斜めに逃した。雪江の目が丸くなる。持ち帰って考える、は体の良い断り文句ではなく、本当にそのままの意味だったようだ。
「そんなことは…」
ないこともなかった。結構な日数が過ぎていて、雪江は彼のことは話題に上るまで忘れていた。
「沢山考えてくださったんですね。此処ではなんですので、これから少しお時間いただけますか。日程調整をしましょう」
斯くなる上は営業事務で鍛えた言い回しと営業スマイルで乗り切る。雪江は伊達に営業の補佐をやっていたわけではない。チャニングが険しい顔のまま頷いた。
「…ユキエちゃん…?」
ネヘミヤの雪江を見る瞳が少し揺れていて、動揺が見えた。彼が動揺するなど珍しいことがあるものだ。だが何故だろうか。雪江は営業スマイルのまま考えた。
「あっ!? 違うから!?」
今の会話で少しも誤解が解けないどころか、拍車をかけたことに気付いた。
「脚本監修の話だから! ちょっとチャニングさん、睨んでばかりいないでもうちょっと詳しく説明を!」
チャニングに振っても、益々険しい顔になって黙りこまれた。なんで俺が、とその目が言っている。
「やめてくださいよなんで黙っちゃうんですか! 余計怪しくなっちゃうじゃないですか! あぁもう、ネヘミヤも一緒に来て! ほんと疚しいこと一切ないんだから…!」
言葉足らずはワイアットだけで十分である。




