44. 収まるところに収まった
護衛が三人揃い、ワイアットが帰ってくる日がやってきた。
家の中からそわそわと外を気にしていた雪江は、門から入って来た赤い軍服のその人を見るなり玄関から飛び出した。
「お帰りなさい!」
雪江は駆け寄り、思わず抱きつこうと伸びた両手を中途半端に止める。人前だ。
「ただいま」
ワイアットは喜色の浮いた目を細めて、雪江の躊躇いごと抱き寄せる。
「何事も無かったか」
「はい。エアロンさんも無事復帰したし、ネヘミヤとルーシーさんに無事の報告もしてきました。あと、ごめんなさい。あまり待たせるものでもないし、事情聴取も済ませました」
雪江が話している間に前髪に鼻筋に頬にとワイアットの唇が降ってくる。事情聴取の話で一旦止まった隙に目線を左右に投げて護衛の様子を見るが、彼らは背を向けて周辺警戒の体をとっている。流石の空気力だ。ワイアットは気が散っているのが気に食わないとばかりに、少し乱暴に雪江の唇を食んだ。
「ッ、ワイアットさん、ここ外ですから!」
「誰も見てない」
「見て、は、いないですけど」
見てはいないが存在はしている。護衛は数に入らないのが常識なのか、空気だとしても無視しすぎではなかろうかと雪江は思う。この気持ちをどう伝えたものか考える間にも、身長差が煩わしいのか縦抱きに持ち上げられ、耳朶を甘噛みされた。結婚を承諾したとはいえ大胆になり過ぎではないだろうか。雪江は純粋に帰宅を喜びたいのに、鼓動ばかりが跳ね上がって落ち着けない。
「ひっ、ワ、ワイアットさん! 恥ずかしいので!」
「他人行儀だな。ワットでいい」
抗議は耳に入らないワイアットは胸元を押し顔を背けた雪江を引き寄せ、詰襟と顎の僅かな隙間に口付ける。
「ワットさん! やり過ぎです!」
「さん?」
ワイアットの舌先が雪江の顎の輪郭をなぞった。
「ワット!」
唇が離され、良くできましたとばかりに笑んだワイアットの顔が小憎らしく見える。
「もう。家に入りましょう。疲れてるんじゃないですか?」
雪江が拗ねて、顔を背けたままでいるとまた耳を食まれた。くすぐったさに首を振ろうとしても、大きな手で頭を押さえられて耳の縁を舐め進められる。今度は何を求められているというのか。
「~~~ッ、だから! 外! …ぁ、の、家に入ろう! ワットはきっと、すごく疲れてる!」
ワイアットの舌が離れ、雪江の蟀谷に口付けて頭から手が離された。正解だったようだ。
「口で言ってくださいよ。あ、や、口で言ってよ。何の為に口があるんですか。あるの」
赤い顔で睨む雪江に目元で笑ったワイアットが雪江の唇を軽く啄んだ。この為にある、とでも言うように。
「ワット! 貴方は言葉が足りない!」
「っは!」
とうとう怒った雪江にワイアットが短く笑い声をあげた。初めてのことに驚いて、雪江の怒りが引っ込む。雪江はまじまじとワイアットの顔を見た。
「…もしかして、浮かれてるの?」
ワイアットはにやりと片方の口角を上げる。この顔は肯定なのか何なのか。雪江が読み取ろうと凝視していると、左腕に抱き直された。
「役所に行く体力くらいは残っている。届けに行くぞ」
「何を?」
「婚姻届」
門を出るとそこにはワイアットの青毛馬と、貸し馬屋が手綱を持つ馬が三頭居た。あまりの用意の良さに唖然とする雪江を他所に、主人の意を汲んだ護衛達は速やかに馬上の人となる。雪江も馬上に上げられ、ワイアットが後ろに乗った。
「そんなに急がなくても逃げないよ…?」
「安全対策は早いほうが良い」
「そ、う、だけど…?」
その安全対策の効力は殆ど無いのは雪江ももう知っている。雪江が首を傾げているうちに馬が歩み出した。
「……やっぱり、浮かれてるでしょ?」
「当たり前だ。これで漸くお前を抱ける」
「なっ」
雪江は真っ赤になって振り返ったが、同時に駈歩になって慌てて前を向く。大きくなった揺れに振り落とされないよう注意しながら、雪江は後ろのワイアットに届くように声を張った。
「ワイアットさんはオブラートも足りてません!」
雪江にも足りないものは沢山あるが、ワイアットの足りないものは比較的早期に身に付けられそうなものばかりだ。だが本人にその気がなければどうにもならない。身に付けさせるのが先か、雪江の羞恥心が死ぬのが先か。戦々恐々とする雪江を乗せて、馬は颯爽と住宅街を駆け抜けてゆく。