15. 見切り発車してた
ワイアットはセオドアの書斎に案内されていた。職務中のように休めの姿勢で書斎机の前に立ち、椅子に座るセオドアに向き合う。
「魔法紙は役に立ったかい」
「はい。使用許可ありがとうございました」
ワイアットが誓約書を渡した。セオドアはざっと目を通して頷き、机の引き出しに仕舞った。
「配偶者の安全確保って理由で通ると思わなかったけどね。結構いけるもんだね。条約強いなぁ。相手が前科持ちなのもあるんだろうけど……前科者リスト、あの短時間でよく融通してもらえたね」
「憲兵隊の奴がカーステンに借金してました」
「肩代わりしてやったのかい」
「大した額ではなかったので助かりました」
しれっとしているワイアットにセオドアは気が抜けるように笑んだ。
「配偶者の、で通したんだからね。早いとこ事実にしなよ」
ワイアットが頷くのを見てセオドアは着席を促した。書類の話を終える合図だ。ワイアットが来客用の椅子に腰かけるのに合わせてコーヒーを注いだカップを渡し、セオドアも自分のカップを持って書斎机の席に戻る。
「然し娼館かぁ。テラテオス人の奇行には慣れてるつもりでいたけど、上には上がいたなぁ。よく許したね」
「……まだ他人なので許すも何もありません」
ワイアットは苦虫を噛み潰したような顔になる。
「…勝算はあるんだよね」
「………」
「おいやめてくれよ、さっき頷いたのなんだったんだい」
「鋭意努力中です」
「任務みたいに言うな」
ワイアットは目を逸らしてカップに口を付けた。セオドアの口端が引きつる。
「何の為に条約休暇があると思ってるんだ。仕事させてる場合じゃないだろう。デートしてきなさい。観劇にでも連れて行って愛の言葉の一つも囁いてきなさい」
それからワイアットは現在公演中の演劇の中から演目を選ばされ、センスがないと渾々と諭された挙げ句、選び直した演目に駄目出しされるという苦行に耐えた。
ティーグ家とスカイラー家の距離はさほど離れていない。雪江の足でも十五分程度だ。妻帯者の家は防犯上自然と集まり、治安の良い住宅街になっているとのことだった。
家々を囲む塀で形作られた広い道を、行きと同じようにワイアットと並んで歩む。ワイアットはまだ鼻の頭がほんのりと赤い雪江に気遣わしげな目を向けた時以外は難しい顔をしていた。
「何かあったんですか?」
「いや」
それきりワイアットは黙り込む。雪江はそれをじっと見上げていた。
怖い顔で考え込んでいても、怒っているわけではないと判るから恐くはない。表情筋はあまり動かないが、よくよく見ていれば目の表情が読めるし、笑った顔は存外優しい。口数は少ないけれど、嘘をつかれたことはまだない。雪江のしていることはユマラテアドでは常識外れだろうに、尊重するだけでなく手回しもしてくれる。説明は足りないけど、頼りになる。
既に返し切れないほどの恩を受けているのに、これ以上はと遠慮せねばならないのに、いつの間にか心が寄りかかってしまっている。彼には恩を売っているつもりはないのだろう、それを理由に何かを要求したこともない。誠実な人なのだ。結婚したとしてもきっと彼は誠実に向き合ってくれる。これまでのようにきっと大事にしてくれる。
でも、と思う。でも。
離れない視線をどう解釈したのか、ワイアットは目を細めると何も言わずに雪江を抱き上げた。
「アイコンタクトじゃないんですけど!」
「何がだ」
「抱っこねだってません!」
「知ってる」
「知ってないと思います!」
「座りが良い」
「確かに安定はしてますけど!?」
「そういうことじゃないと思いますよ」
ついついナレシュがぼそりと口を出して、エアロンに拳骨を落とされている。
「どういうこと?」
雪江はワイアットに回答を求めた。ワイアットはだんまりだ。彼は嘘は言わないが、沈黙を駆使する男だった。