16. 無いものは実行できない
檳榔館にはギャビンが手配した辻馬車で通うことになった。雪江が出入りしてることを極力見られない為の措置だ。週三回、昼食後から三時間程度が勤務時間となる。ワイアットは休暇中は同行するとのことで、雪江の仕事中は応接室に陣取っている。ギャビンが非常に迷惑そうな顔をしていた。
雪江は裏口側の、店舗部分とは扉で隔てられた生活空間に通される。
噂が広がっているらしく、雪江を見に来た美少女と見紛う美少年達に度々出くわしては、護衛の三人が交通整理よろしく廊下の端に退けてゆく。皆一様に気怠い空気を纏っていて、中には寝間着代りにしているのだろう草臥れた大きめのシャツ一枚の者もいたから、普段の起床時刻より少し早い時間帯なのかもしれない。
すれ違い様に「なんか普通」という感想を耳に挟んで、雪江は遠い目になる。故郷でも女性たらんとする男性は本物以上に美容に気を使い、本物以上に美しく女性らしい者が沢山いた。本物と触れ合う機会が極端に少ないのだろうユマラテアド少年達は、本物に幻想を抱いているのかもしれない。世の中の大半が普通だと教えてあげたいが、上を目指している彼らには不要だろう。
ギャビンに教えてもらった二階中央の部屋の前まで来ると、靴音で察したのか中から扉が開いてネヘミヤが顔を出した。定番のワンピースを着込んでいるが、長い金髪が寝乱れていてほつれた毛糸のように広がっている。
「迎えに出れなくて御免ね、大丈夫だった?」
「美少女軍団に囲まれました」
冗談めかした物言いで大したことにはなっていないことが伝わって、ネヘミヤが笑う。
「私が雇ってる時間以外だったら営業してもいいよ」
「うーん、そうしたいんですけど、皆一目で興味失ったみたいなので営業努力が試されますね」
「皆見る目ないなぁ」
からりと笑いあげたネヘミヤは雪江を室内へと招いた。コスタスとナレシュが共に入り、エアロンが廊下に残る。一人用のベッドが一角を占拠してても八畳ほど空きがあって、壁際に木目を生かした趣味の良いクローゼットと本棚、鏡台が並んでいる。
中央の小さなテーブルセットに雪江を案内してネヘミヤは部屋の隅の鏡台に向かった。
「先に座ってて。見苦しい頭で悪いね、いつもは下の子にやってもらうんだけど用事言いつけてたの忘れてて」
「…私、やりましょうか?」
雪江は丸いテーブルの上に持参したバスケットを置き、金髪と格闘しているネヘミヤの後ろから鏡を覗き込んだ。逡巡なくブラシが渡される。
「じゃあ右側お願い。綺麗だって評判もいいから伸ばしてるんだけど、癖毛だし毎日手入れが大変でさぁ」
「私も癖毛だから解ります。今は多少伸ばしてるから少し跳ねる程度で済んでますけど、ショートにすると朝鳥の巣になったりしますよね」
「そうそう、んであんまり長いとこの手間…」
腰まである金髪の縺れた毛先を小刻み且つ優しく梳きながらしみじみと頷き合う様はどう見ても女子同士で、いつもはどんな風に結っているのか、あれやこれやのアレンジも似合うのではないかと盛り上がる。
「美人は何しても似合う…」
ネヘミヤは最終的に緩い遊びを持たせた豪華な夜会巻きになった。ネヘミヤの指導でやり遂げた雪江はうっとりと溜息をつく。
「ユキエちゃんもやったげる」
「え、私はいいですよ」
「遠慮しない、プロの技見せてやるわ!」
あれよあれよという間に鏡台の座を交代させられた。見た目は女でも力は強い。
「これ、旦那でしょ」
外した髪飾りを雪江に渡しながら、少し可笑しげにネヘミヤが問う。
「わかります? 約束を果たしてもらいました。…いや、約束を果たしました?」
雪江は買って貰った立場だが、おねだりがワイアットにとっての対価だというややこしさに言葉が迷子になっている。
「魔力篭ってるからさ、絶対旦那だと思って。ねぇなんでおねだりしてあげなかったの。あんな魔法持ってくるなんて、旦那、軍人とか官憲とかそっち関係でしょ? ちょっとしたおねだりなんて余裕じゃない? あいつら遊びにはまってなけりゃ、たんまり金持ってるよ?」
「ううーん…」
ブラシが髪を梳く感触を感じながら、雪江は左手首の腕輪に目を落とした。深い関係ではないからと正直に言ってはいけない気がする。『危ないバック』との関係性は近い方が効果的なことぐらいは解るのだ。
「それとも本当は金に困ってる? こうやってユキエちゃん差し出すくらいだし」
「差し出されてないです! 私が働きたくて無理にお願いしたんです」
雪江は慌てて顔をあげた。その誤解は見過ごせない。鏡越しのネヘミヤが心底不可解な顔をしている。
「どういうこと? 最近の女子は働くのが流行りなの?」
「流行り、というか…私の普通なんです」
出身は教えても構わないだろうと雪江の故郷では女性も働くのが普通であることを話すと、ネヘミヤの目がみるみる大きくなってゆく。
「テラテオス人!! 初めて見た! 普通だ! 私たちと一緒!」
はしゃいだネヘミヤが確かめるように雪江の肩から腕をぺたぺたと触り出して、コスタスが首根っこを掴んで引き剥がした。
「不要なお触りは禁止だ」
「これも過度の接触に入るの!? ちょっと触っただけだろ! キスもハグもしてないのに!」
ネヘミヤは喚いたが鏡台には戻してもらえず、テーブル席に落ち着かせられる。雪江は苦笑いで自分で元の髪型に戻し、バスケットからお茶請けのクッキーと保温ポット、ティーカップを取り出した。もう随分と時間を過ごしていて、このままだと無駄になるかと思っていたものが漸く出番を得られた。
ネヘミヤは不服そうに横目でコスタスを見ていたが、紅茶に口をつけると切り替えたようだ。
「まぁそういうことなら納得かなぁ、なんか毛色違う気がしてたんだよね。それでかぁ」
「…もしかして役者不足ですか?」
「ううん。一風変わったテラテオス風が受けるかもしれないしね。ユキエちゃんの全てを知り尽くそうと思うよ!」
「その言い方はちょっと怖いです…」
場所柄かひん剥かれそうな言葉に感じて、雪江は笑顔を引きつらせて椅子の上で上体を引いた。物理でないことを願う。
「じゃあ妥当なところで男女の駆け引きからいこうかな! テラテオスには女がいっぱいいるんでしょ? 黙ってても男が群がってくる状況とはやっぱり違ってくるよね? どうやって男を誘惑してた?」
「私はそれ程恋多かったわけではないので……友人の話でもいいですか?」
勤務時間の半分以上を過ぎて漸く講義らしき内容にはなったが、純粋な好奇心で溢れかえっているネヘミヤから仕事の匂いはしない。雪江は話しやすくて、ネヘミヤが対等に話したいと言うので敬語もなくなり、前半のように女子トークじみて盛り上がった挙句、それとなく避けていた自分の恋愛話をする羽目になっていた。
「なにそれ甘酸っぱいー! 焦ったいー! 体許さなかったからフラれたんだよそれ絶対! いい歳してなに勿体ぶってたの!」
「学生だったから節度あるお付き合いしてたの! いい歳って言うけど、私の国の成人は二十歳だから!」
「ぎゃあ真面目! 男はそれじゃ治んないよー、十代の性欲舐めてるよー」
「男の都合治める為に女やってるわけじゃないもの」
雪江は拗ねた。女心を教える場で、何故男心を説かれているのか。
「成る程ねー。スカイラー氏はユキエちゃんの都合しっかり聞いてくれるからお眼鏡にかなったわけだ」
訳知り顔でネヘミヤが頷く。雪江の喉から、ごふ、と口に含んだ紅茶を飲み込み損ねた変な音がした。
「違うの?」
「違……うわけではない、けども……」
雪江はぎゅ、と眉間に力を入れてティーカップの底に薄く残る紅茶に視線を落とした。ワイアットが好ましい要因の一つだから、そういう意味では否定する必要もない。
「だってそうでしょ、娼館なんてマトモな神経してたら許さないよ。旦那だってついてくるくらいだし、本当は反対な筈だよ。それをユキエちゃんがやりたいからって好きにさせてんだもん、愛だわー」
「そう、なのかな…」
ネヘミヤが感心半分呆れ半分で息を吐いたのに対して、雪江は腑に落ちないようにぽつりと呟いた。ネヘミヤが目を丸くする。
「ちょっと、なになに? なんかすれ違ってんの? 揺らいじゃってんの? 近々離婚予定なの?」
「そういうわけでは…! ない! です!」
嘘ではない。結婚していないから離婚もないのだ。だが動揺が隠せないままでは言葉に信憑性がない。ネヘミヤはずいずいとテーブルの上に身を乗り出した。
「旦那ちょっと恐いもんね! 離婚したらうちにおいで! 私の庇護下に入れば絶対客は取らせない。専属講師になればいいよ!」
言葉が終わるか終わらないかでノックもなく扉が開いた。
「時間だ。迎えに来た」
ワイアットだった。言葉は雪江へのものだったが、威圧全開でネヘミヤを睨んでいたから最後の言葉が聞こえていたのだろう。ネヘミヤは悪びれる気配もなく目を逸らし、悪戯を咎められたかのように首を竦める。雪江はこれ幸いとばかりに帰り支度をした。




