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【閑話】万咲希の初恋 前編

「今日こそ食べていってもらうわよ! うちの暖簾(のれん)をくぐっておいて何も口にしないなんて、承知しないんだから!」


 小料理屋【鈴の音】の次期店主である華陽(かよう)は、腰に手をあてて仁王立ちのまま言った。

 大きな尻尾をフサフサとゆらし、化け狸特有の丸い目を鋭くさせている。

 その視線の先では、薬師見習いとして修行中の万咲希《まさき》が診療道具の片付けをしていた。


「俺は客じゃない」


 そう短く返した万咲希は、忙しなく手を動かしながらも、隣で書き物をしている朔矢(さくや)をチラリと伺った。

 文字は紙の終わりまできているが、内容はまだ続きそうだ。

 そう判断して、サッと新しい紙を取り出す。


「師匠、追加の紙です」

「ありがとう。相変わらず、万咲希はとても気が利くな」


 世の末まで見透かしそうな澄んだ瞳が、ふっと柔らかく細められる。

 万咲希は、そんな師匠の目が好きだった。


「師匠の弟子ですから! 」


 キリッとした顔で答えると、正面からため息が聞こえた。


「ちょっと聞いてる? このご時世で商売あがったりなのよ。ちょっとは協力してくれたっていいじゃない」


「はっ、雪が降ったくらいで経営が傾くとは、天中一の料理屋というのも案外たいしたことないんだな」


「はぁ!? 傾いてなんかないわよ! 揺らいですらいないんだから!! 」


「それなら別にいいだろ、俺たちが食べなくても」


 道具を片付け終えた万咲希は、話は終わりとばかりに背を向けた。

 店の戸口が強風によってカタカタと音を立てている。

 これは最近の異常気象のせいだ。


(外は吹雪のせいで寒いし歩きにくい。……たしかに、わざわざ外食するひとは少ないだろうな。逆に俺たち薬師は、風邪が流行って商売繁盛しているが)


「うちの店は『狙った客は逃がさない』って決まりがあるの。店に入った以上、絶対に食べてもらうわよ! 前にも言ったけど、薬師や薬師見習いには半額で提供しているんだから……」


 先程より威勢のない声が、万咲希の背中に投げかけられた。

 どうやら売り上げよりも、料理人としての矜恃(きょうじ)の方が大切らしい。


(へぇ、自分の仕事に誇りを持っているとは、なかなか……)


 関心しかけた自分に顔をしかめて、万咲希は首を横に振った。


「しつこい。俺は帰って勉強する。食べている暇はない」


 売り言葉に買い言葉で、会話が一向に進まない。

 ──と、朔矢が見かねて口を開いた。


「万咲希、勉強も大切だが食事を疎かにしてはいけない。それに、ひとからの誘いを無下にすることも良くない」


「……はい、師匠」


 書き物を終えたらしく、硯箱(すずりばこ)をしまっている朔矢に、万咲希は肩を落としてうなだれた。


(あぁ、師匠に余計な労力を使わせてしまった。あの鬱陶しい狐がいなくなって、怒られることも減ってきたのに)

 

 万咲希がひとり反省している間に、品書きが運ばれてきた。

 仕事の早い彼女は、とてもじゃないが病弱な少女には見えない。


「うちの娘は気骨があるだろう」


 二人分の注文表をもって厨房へ向かう後ろ姿を目で追っていると、華陽の父である陽樹(ようき)が言った。

 診察代の支払いをしていたようで、財布が片手に乗っている。


「これでもう少し可愛げがあれば、想い人の1人や2人できるだろうて。まあ、本人は心に決めた相手がいると言っていたが、どうだろうなぁ」


「はぁ……」


 豪快な笑い方をする陽樹に、万咲希は適当な相槌(あいづち)を打った。

 正直、惚れた腫れたの話題に興味はない。

 これが『長持ちする薬草の保存方法』だったら、熱心に耳を傾けていただろうが。


 やがて、華陽が盆に料理を載せて厨房から出てきた。

 途中から調理に加わった陽樹も、続いてやって来る。


「お待たせいたしました。桜海老と玉ねぎのかき揚げうどんと、鶏天丼です」


 コトリと目の前に置かれた丼を、万咲希はまじまじと見つめた。


 艶のあるホカホカな白米の上に、カラリと揚がった鶏天と、これまた丁寧に揚げられた漉油(こしあぶら)の天ぷらが上品にのっている。

 割烹料理を出す店らしい小洒落た見た目だが、育ち盛りの万咲希でも安心な量感だ。


 万咲希と朔矢は揃って合掌し、それぞれ箸を手に取った。


「……美味い」


 鶏天に一口かぶりついた万咲希は、ハッとして呟いた。

 ほんのり塩気が効いていて、試しに米とともに口に入れると、いくらでも食べられそうな気になった。

 漉油の天ぷらも程よい苦味と独特な香りがクセになる。


「ふふっ、そうでしょう」


 口いっぱいに頬張る万咲希に、華陽は満面の笑みを浮かべて言った。

 さきほどのキッと鋭い眼光はどこへやら、柔らかく細められた瞳に、万咲希は目を見張った。


(師匠みたいに笑うんだ……)


 急に胸の奥が苦しくなって、慌てて顔を伏せた。

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