千引の岩
空が落日に照らされて赤く染まっていく。
まるで燃えているようだと思いながら、私は舗装された細道を歩いていた。
周囲は草が生い茂り、淡い青の紫陽花が咲き誇っている。
少し行くと、人ひとりがようやく通れるような獣道と、これもまた一人分の舗道に分かれていた。
獣道には【伊賦夜坂】という看板が立っていたが、前を歩く葉月さんは「坂違いですね」と言って左の道を進んだ。
脇にはため池があり、赤茶に濁った水中を覗き込めば、一匹の錦鯉が悠々と泳いでいる。
「なんか、場所が場所なだけに、特別な鯉に見えますね」
私の言葉に、葉月さんもつられて池を覗き込んだ。
ジッとそちらを見つめて、僅かに首を傾げる。
「ん、微かにですが神力の気配がします」
「えっ、鯉からですか?」
ぎょっとする私を他所に、葉月さんは鯉を眺め続けていた。
「おそらく。それも、どこか覚えのある気配です」
なんだろうと二人で顔を見合わせるが、答えが出るはずもなく。
赤みの増す夕日に急き立てられるように、私たちは先を進んだ。
池を通り過ぎると、すぐ目の前に一対の石柱が立てられており、注連縄がかけられていた。
「これ、鳥居ですか?いや、でも赤くない……」
「鳥居であっていますよ。正しくは注連柱といい、ここから先が神域であることを示しているのです」
どうやら、一口に鳥居と言っても色々な種類があるらしい。
私たちはその縄をくぐり抜け、さらに奥へと進んだ。
もう空は藍色で覆われ始めている。
ポツンと佇む石碑の前を通りすぎると、三つの大岩が目に飛び込んできた。
「あれが千引の岩、常世への入口です」
葉月さんの言葉に、私はごくりと喉を鳴らした。
寄り添うように並んだ横太の岩とのっぽな岩。
そして不自然に少し離れた位置で佇む尖った岩。
その周りにも小さな岩が隠れるように転がっている。
岩の後ろは木々で塞がっており、行き止まりだ。
千引の岩の右手には、イザナギが追っ手から逃げるために桃を投げたとされる、山桃ノ木が一本、すらりと静かに立っていた。
「あっ、これ」
木を見上げていた私は、葉月さんの嬉しそうな声に振り返る。
見ると、岩の近くに置いてある木製のポストを葉月さんが覗き込んでいた。
「天国への……手紙?」
「はい。先立った大切な人に向けて書く手紙です。私たち霊狐一族は、手紙の回収も行っていました。今は別の種族が引き継いだと聞いていますけれど、この異常事態では滞っているでしょうね」
残念そうに言う葉月さんに相槌を打っていた私は、ふと首を傾げた。
「でも、手紙を持って行ってしまったら、皆不審に思うんじゃないんですか?誰かが手紙を盗んだって」
「あぁ、その心配はありませんよ。実体を持っていくわけではないので。紙片に込められた想いだけを取り出し、常世に戻ってから改めて紙に印してお送りするのです」
どうやら余計な心配だったらしい。
私は一段とファンタジー耐性のついた自分に苦笑しつつ、納得したと頷いた。
「さて、そろそろ時間ですが……」
そう言って、葉月さんは千引の岩に視線を移す。
おもむろに術玉が投げこまれ、一匹の白狐が岩の前でちょこんとお座りした。
それを見ながら、私はふうっと心を落ち着かせるように深呼吸する。
(準備はできている。休学の手続きも終わっているし、宮川さんに旅行のお土産も渡してきた。翔月たちとの話も済んでいる。今現世に心残りはない。だからきっと大丈夫。上手くいく)
神隠しをするとき、妖は人間が現世への未練を認識しないよう気を付けていたらしい。
それはつまり、未練がある人間には黄泉比良坂を上手く渡ることができないということ。
だから出発の前にやるべき事は終わらせておいてほしいと、そう葉月さんに言われた。
(なんか死に行くみたいで怖いけど、よく考えたら常世に行くって似たようなものだよね。うわぁ、今更だけどなんか複雑だなぁ)
そう苦笑していると、ふと術玉の狐が立ち上がるのが見えた。
顔を上に向けて、匂いを嗅ぐようにスンスンと鼻を鳴らしている。
その様子に、私と葉月さんは左の空へと目を向けた。
山の中、開けた視界に映るのは、天際にほとんど沈みかけた赤日。
最後の足搔きとばかりに煌々と輝くそれは、藍色の空との間に何十もの色を重ね、見事なグラデーションを作っていた。
――黄昏時だ。
じわりと地平線に溶けていく太陽を見つめながら、私はそう呟く。
それと同時に、狐がタタッと駆け出した。
その先にあるのは、大きな千引の岩
じっと見守る私たちの目の前で、狐は大きくジャンプした。
天に向けて、高く、高く、跳躍する。
そして空中でクルンと体を丸めたと思いきや、深緑の粉へと変わり、キラキラと岩に降り注いだ。
「綺麗……」
感嘆の息をもらした私は、一瞬でも目をそらすまいと目の前の光景を見つめていた。
淡雪のようにハラハラと舞う神力は、やがて岩と岩の合間に壁のようなものを形成し始めた。
七色に揺らめくそれは、全身鏡のようにも見えるし、扉のようにも見える。
横から私たちを照らしていた西日が、完全に水平線と重なったとき。不安定に揺蕩う壁の表面がピンと凪いだ。
「あっ!」
私と葉月さんの声がピタリと重なる。
視線の先には、一本の道が伸びていた。
「これが黄泉比良坂……?」
思ったより普通の道だ。
まぁ、入口が虹色に輝いていなければ、だが。
誰に問うわけでもなく呟いた私の声に、葉月さんは微笑んだ。
「そうみたいですね。さて、行きましょうか」
そう言って左手を差し出される。
「はい!」
私は迷わずその手を取り、離れないようにギュッと握りしめた。
直接島根に行けたらよかったのに……。
黄泉比良坂の周辺がどうなっているのか、死ぬほど調べました笑
YouTubeさん、ありがとう(*ˊᵕˋ*)




