異国語のメッセージ
タウフィークさんからの連絡符には、暗号のようなものが数行ほど綴られていた。
いいや、暗号というより異国の言葉といったほうが正しいだろうか。
「……アラビア語?」
なんとなく頭の端に浮かんだ言葉を呟くと、葉月さんが困ったように微笑んだ。
「そうみたいですね。常世では言語という概念がありませんので、翻訳する必要がなかったのですが、境を越えたことで変換されてしまったようです」
当たり前のようにサラリと言われてしまい、思わず唖然とした。
たしかに、タウフィークさんやレオドール様の容姿は日本人離れしていた。
けれど普通に会話が成り立っていたし、そこに違和感はなかった。
いいや、だからこその『概念』なのか。
言語という概念がなかったから、私は何も違和感を覚えなかったのだろう。
なるほど、これが異世界か。
そこまで考えてから、私は「あれ?」と首を傾げる。
「でもレオドール様からの手紙は普通に日本語でしたよ?」
以前ポストの中に送り込まれた、あの難解な手紙の事だ。
「レオドール様は現世のことにも詳しいので、この仕組みを考慮してあらかじめ日本語で書いていたのかもしれませんね。なんと言っても、黄泉の王様ですから」
葉月さんは特に驚いたりすることなく言う。
(あぁ、ファンタジーだ。なのに納得してしまう自分が怖い……)
頭を抱える私の横で、葉月さんは紙片をじっと見つめている。
そして暫く考えたのち、人差し指に神力を纏わせ、まるでマーカーペンで線を引くように文字を追った。
次の瞬間、神力を吸収した文字がうねりながら変化した。
ぐにゃぐにゃと蠢く文字が、伸びたり縮んだりしながら、徐々に日本語らしい形を作る。
その情景を見て、私は慌てて口を押えた。
そうでもしないと叫び出しそうだったからだ。
(ファンタジー!!)
──という具合に。
タウフィークさんからのメッセージはとても意味不明なものだった。
といっても、字が汚かったというわけでも、誤字が多いというわけでもない。
そもそも、文章ですらなかった。
【政府の罠 小春さん 人質 来るな】
ただ、それだけ。
「来るなって、常世に帰ってくるなってことでしょうか」
難しい顔をした葉月さんに問いかけると、不満そうに頷かれた。
「そういうことでしょうね。全く納得はしていませんが」
「……葉月さんはそれ以外の言葉の意味についてもわかったんですか?小春さんの名前も書かれていますけど」
さらに尋ねてみる。
すると、今度はそっと目を背けられた。
「いえ、わかりません」
葉月さんは嘘をつくとすぐにわかる。
表情や声が硬くなるし、目も泳ぐ。実にわかりやすい。
けれど、困ったことに嘘をつく理由までは見当がつかない。
はっきりと尋ねて良いものなのか、それとも触れてはいけないことなのか。
私は勝手に問い詰めようとする自分の口を無理やり閉ざして押し黙った。
(なんか、こんなこと前にもあったなぁ。葉月さんの過去を知らなかったころに)
ようやく何でも話せる間柄になったと思っていたが、どうやら違うらしい。
そのことが悔しくて、けれど同時に仕方がないとも思ってしまう。
親しき中に垣をせよ。
先駆者の言葉を借りるのなら、そういうことだ。
いくら初めの頃より距離が縮まったとはいえ、物事全てを話さねばならない道理など何処にもない。
例え家族や恋人、友人でも、隠し事の一つや二つある。
それが師弟ならば尚更だ。
人との距離を縮めることは細糸を手繰るようなもので、後先考えずに引っ張ればプツンと切れてしまう。
ごく稀に綱引きのロープなみに太い者もいるが、そういう人の多くは相手にも同じことを要求してしまう。
私はわりとロープ寄りの人間で、ここまで慎重になったのも失敗からの学びによるものだった。
こうなってしまったら、あとは他の話題に切り替えて、またいつものように笑い合うだけ。
傍から見ればくだらない茶番でも、私にとってはとても大事な駆け引きなのだ。
さて。私は瞬時に思考をめぐらせた。
なにか話題はないだろうか。この微妙な空気を吹き飛ばしてくれるような話題は。
(こういう意識的に話題を探すの、成功した試しがないんだよね。華陽のときといい、小春さんのときといい……)
参ったなぁ、なんて溜息をつきかけた私は、ふと丁度いい話題を見つけて「そういえば」と話題転換の定型句を口にした。
من قال لا أدري فقد أحرز نصف العلم
ネットで見つけたアラビア語の格言。
「知らない」と言った者は、知識の半分を達成したも同じ。
……無知の知ってこと?




