状況把握と暗雲低迷
「……さん……奈さん」
微睡みの中に割り込んでくる、聞きなれた声。
温かくて安心する、大好きな声。
聞こえてはいるものの、なぜだかガラスを一枚隔てたようにくぐもっている。
不意に、様々な感覚が戻ってきた。
涼しい気温。体にかけられた掛け布団の温もり。パリッと糊の利いたシーツの感触。
頭にはふわりと柔らかい何かが当てられている。
「結奈さん」
聴覚も働き始めたようで、今度はきちんと葉月さんの声が聞こえた
「……葉月さん? 」
ゆっくりと瞼を持ち上げると、心配そうな顔でこちらを覗き込む葉月さんと目が合った。
金の瞳が優しく細められ、私はホッと息をつく。
「大丈夫ですか? どこか痛いところは? 」
「大丈夫です。……えっと、ここは? 私は一体……」
体を起こしつつ、私は尋ねた。
小春さんに会ってからの記憶がない。
覚えているのは、神力によって創られた世界で小春さんと言葉を交わし、とても重要な言伝を預かったことだけ。
あぁ、それからもう一つ。
囁くように言われた、あの言葉も思い出した。
「猛獣エリア付近で倒れていたそうです。体に異常は見られなかったのですが、念の為に救護室へ運ばれたようです」
「救護室……。葉月さんが見つけてくださったんですか? 」
「いいえ、別の方です。私は気配を追って此処へ辿り着きましたので」
思った以上に大事になっていたようだ。
人混みの中で倒れるなんて、他の来園者達からしたら大きな迷惑だろう。
(小春さん。もう少し配慮して欲しかったです)
小さく溜息を漏らしたあと、私は気を取り直して葉月さんに向き合った。
「それで、あの、色々とお話したいことがあるんですけど……」
そこまで言いかけて、私は「ここではまずいよね」という意を込めて葉月さんの目をじっと見た。
救護室にはスタッフや他の患者さんもいるのだ。
あまり込み入った話は出来ない。
私の意図を読んだ葉月さんは、ひとつ頷いて手を伸ばす。
その手が神力を帯び始め、重なり合った私たちの手を包み込む。
完全に術が発動したことを確認して、私は体験した出来事について簡単に説明した。
そばに居るはずの葉月さんの姿が見えなかったこと、何故だか酷く焦燥にかられて園内を走り回っていたこと、気がついたら誰もいなくなっていたこと。
他からしたら怪奇な話だが、私と葉月さんにとっては極めて人為的な事象である。
それらを行った犯人について心当たりがあるのだろう。
私の話を聞いていくうちに、段々と葉月さんの表情は険しくなっていった。
私が話を終えると、ぴたりと視線がかち合った。
私の上に重ねられた手が、一層冷たくなる。
「結奈さん。あなたに術をかけたのは、私の姉である小春ですね? 」
迷いのある瞳とは裏腹に、彼の言葉は確信めいていた。
「はい。直接お話もしました。……と言っても、ほんの数分ですけど。葉月さんに伝えるようにって言われて」
「……私に? 」
葉月さんが訝しげに聞き返す。
「葉月さんに、今すぐ常世へ帰って来て欲しいそうです。理由は話せないみたいでした。あ、でも少しだけ教えてくれた……のかな? 世界が崩壊するとか、五芒星の扉がどうとか……」
聞きなれない単語ばかりで、私の記憶は朧気だ。
改めて言葉にしてみても意味がわからない。
「あの、これってどういう……葉月さん? 」
どういう意味ですか、と尋ねようとして、私は目を見開いた。
一転して、葉月さんの顔が強ばっているのだ。
血の気の引いた顔で、視線を宙に泳がせている。
「どうしたんですか? 」
初めて見る反応に、一気に不安が押し寄せてきた。
何かまずい事でも言ってしまったのだろうか。
それとも、小春さんからの伝言が原因か。
僅かな沈黙が、数分にも数十分にも感じられた。
どのくらいそうしていただろう。
深く考え込んでいた葉月さんは、私の顔を見てハッと我に返った。
「あ、すみません」
「い、いえ。……あの、何が起こっているんですか? なんで小春さんも葉月さんも、そんなに焦った顔をしているんですか? 」
二人の様子からして、何か悪いことが起きているのは理解した。
けれど、肝心な内容については皆目見当もつかない。
葉月さんは感情をやり過ごすように、長く息を吐いた。
そうして1度目を閉じた後、険しい表情で私を見据える。
真剣そのものの雰囲気に自然と背筋が伸びた。
「あちらで何かあったということは知っていましたが、これは予想以上に深刻な問題です。常世だけでなく、現世も大きく影響を受けるでしょう。今はまだ気づくことのできない小さな変化ですが、それでも確実に近づいています。……世界の崩壊が」
語尾が僅かに震えて聞こえた。
【世界の崩壊】については小春さんも言っていたが、私は言葉の綾か何かだと思っていた。
それがどうだろう。
葉月さんの口から直接聞くと、真実なのだと得心してしまう自分がいる。
「原因は……? 崩壊って、何が起こるんですか? 」
「原因は分かっています。ですが、何故そのような真似をしたのか、理由が思い当たらなくて。……すみません。これでは説明になりませんね」
私の質問に答えきれていないと気づき、葉月さんは苦笑した。
言葉に詰まる葉月さんは珍しい。
「ゆっくりで大丈夫です。葉月さんの中で整理がつくまで、いくらでも待ちますから」
その言葉に安堵の表情を浮かべた彼は、溶け込むように小さな声で礼を述べた。




