終章、もしくは姫と王子の幸せな眠り
目が覚めたときにはもう1時になっていて、ふたりは先生に見つからないようこっそりと学校を抜け出した。教室に小春さんとクラスの親しい友達数人が残っていて、仲直りしたことを喜んでくれた。
帰り道、別れたくなくて駅前をぶらぶら散策していると、急に彼女が髪のことを言ってきた。
「若葉、その髪型かっこわるいよ」
考えてみれば今朝シャワーを浴びたら時間がなくなって、湿り気が少しのこったまま登校した。ごわごわしていて、中途半端な長さがよけいにおかしく映った。
「私もそう思う。ちゃんと乾かしてくればよかった」
「じゃあいっそ切りにいかない」
彼女の案内で訪れたのは、全体を黒と白と鏡で構成されたやたらとシックなヘアサロンだった。
彼女が顔なじみらしきひげをきっちり整えたおじさんになにやら話すと、何もいえないまま手際よくカットされて、気がつけば活発そうなショートカットに変わっていた。
「これ、切りすぎじゃない」
立ち寄った雑貨屋の丸い鏡の前で、何度も髪型をながめる。
「いいのよそれで。だって、みんな私のこと姫とか呼んでたんでしょ。それなら若葉は王子様じゃないと」
髪型の注文は王子様っぽくだ、ぜったい。
「地味で真面目でとおってる私が王子様は無理があるような」
「あら、そんなことないわよ」
一緒に覗き込みながら、鏡の中の私の顔を指さす。
「人の顔がどんな風に育つか見分けるの得意なのよ。いろんな顔をみてたからね。ほら、目は切れ長で大きいし、鼻が高くて鼻筋もきれい。輪郭が丸めなせいで目立たないけど、5年もしたらりりしい美人になるわ」
「そ、そうかな。わあ、毛先がすごいきれい。高いんじゃない」
「気にしないで。私の注文どおりに勝手にやったんだから、払うのは私。働いたお金は少しなら使わせてもらえるし」
けれど、そんなお金をなにもせず使わせてもらうのは申し訳がなかった。
きょろきょろとあたりを見回すと、雑貨屋らしくいい物が見つかった。
「かわりにプレゼントさせてよ」
「プレゼント?」
手に取ったのはピンクの薔薇とそのつぼみをあしらった、小さな髪留めだった。
「那美の長い髪に似合うと思うの、どうかな」
彼女は手のひらの髪留めをちらちら見ながら、困っているようだった。
「でも、いいの?」
「私が似合うとおもうからプレゼントするの」
そういってさっさと会計を済ませると、ファンシーな紙袋を手渡した。
「……大切にする」
どうやら、気に入ってくれたみたいだ。
なぜか次に彼女が向かったのは駅前の大型スーパーだった。
買ったのは、パジャマ、下着、歯ブラシ、などなど。
「もしかして……」
にっこりとうなずく彼女
「今日、泊めて。さっき髪を切ってもらってる間に親に許可はもらってあるから」
あいかわらず、彼女は強引なのだ。その場で家に電話をかけると、さんざんサボりを謝り倒したうえでお許しをもらった。
彼女の演技力は大したものだった。
うちの両親にけんかをしていたことだけ話すと、あわれっぽく一緒に謝ったり、必要以上に仲良くふるまったりしてすっかり納得させてしまった。その上、私までおとがめなしになるだなんて。
夕食時には家族ともすっかり打ち解けて、お父さんの機嫌もなおっていた。
「お風呂いっしょに入りたかったな」
鏡の前で髪を束ねながら、彼女がつぶやいた。
私は飲んでいた水が気管にはいってひどくむせることになった。
「ごほっ……こんな歳でそれ、変じゃない」
彼女は私の反応をみて楽しそうに笑っている。
「あはは、変じゃないわよきっと」
「じゃあまた今度」
そう答えるとまた彼女は笑った。
「もう、布団敷くからどいて」
「私の分ならいらないわ」
「へ?」
「一緒に寝るから」
それを聞いたときの私はきっとすごい間抜け面だったんだろう。なにしろ彼女がおなかを抱えて涙がにじむほど笑い転げていたのだから。
「ああもう、若葉かわいい。ほらこっちきて。あなたのせいですっかり睡眠不足なんだから」
彼女に腕をひっぱられ、私たちはベッドで向かい合わせに寝転がった。
「そういえばさ」
「ええ」
「あの図書室の鍵を使わせてもらう条件ってなんだったの」
「私のサイン。校長先生のお孫さんがファンだったらしくて」
彼女は本当に有名だったんだ。先生たちが病気を信じてしまったのも、きっと急に活動をやめたせいだ。
「じゃあ学校のみんなは那美が芸能人だったって知ってるの」
にやにやと意地の悪そうな笑みを浮かべる彼女。
「みーんな、知ってたわ。女の子ならだれでも知ってるような雑誌に出ていたんだもの。男子だって女子からちゃんと聞いていたわよ」
なるほど、女子ならみんな知っているから教え合う必要はなかったわけだ。私はひとり本の虫をしていて、とことんそっちに疎かった。
「そっか、そうだったんだ」
それを聞いて気づいた。みんなが彼女を見にきていたのは、芸能人の不思議な行動がものめずらしかっただけだったのだ。あれほどみんなに人気があったのもそのせいだ。
彼女の美しさばかりに心を奪われていたのは、最初からずっと、私だけ。
くすくすと笑い声が漏れてしまい、彼女がこれを聞きとがめる。
「なにがおかしいの」
「なんでもない」
どうして笑うのか白状させようとするが、私はなにも答えなかった。どんなに聞かれても、これは誰にも教えない。
しばらくして諦めた不満顔の彼女は、すぐまたなにかを思いついたようにいたずらっぽく笑った。
「そういえば、私にキスがしたいんだよね」
「……うん」
「じゃあ、はい。おやすみのキス。王子様からどうぞ」
目をつぶると、顔をぐっとこちらに近づけてくる。
桜色の小さな唇。
それをまのあたりにしてしまうと、すっかり緊張して体が動かなかった。
「ほら、早く」
私は、意を決するとゆっくりと顔を近づけて。
さっと、かするようなキスをした。
きょとんとした顔で彼女はこちらをみる。
「それだけでいいの」
「……またあとで」
今度はまた、彼女がくすくすと笑った。
「もう、私のこと笑いすぎ」
向かい合っているのが恥ずかしくなって、あお向けになる。枕元のリモコンをとると、電気を消した。
「ごめんごめん、許して」
「じゃあ許したげる」
ふたり分の笑い声が響く。
彼女は私のおなかに手をまわすと、もう片方の手は右手に絡めた。
「やってみたかったの、若葉の抱きまくら」
彼女の体は本当に、柔らかくて、あたたかくて、いい匂いがした。
ドキドキはしたけれど、不思議と安心する。
「……おやすみなさい、若葉」
しばらくすると、耳元で安らかな呼吸が聞こえた。涼しくなった首筋に、寝息が少しくすぐったい。
「おやすみ、那美」
ふたりは、深くて優しい眠りの中に落ちていった。
「こうして、王子様とお姫様は幸せな眠りについたのでした」
と終わろうかと思いましたが、しつこいのでサブタイトルに付け足してみました。
最初の文体が気に入ってくれた方には申し訳ないのですが、それをぶち壊すことでお話を動かすようにしたためこういう感じになりました。作者はもともとポエム書きを自称しており、文章で遊びすぎてあちこち読みにくかったかも……。
しばらく長い話は書けませんが、ここが良かった・悪かったという感想がいただければ次の励みになります。よろしくお願いします。
ここまで読んでくれた方、本当にありがとうございました。