彼女は儚い。
星宮宵:妖艶で美しく魅力的だが、多くの男を誘惑するミステリアスな女性。色白、華奢でスタイル抜群。ボブとミニスカートが良く似合う。
望月文哉:花屋で働く男性。奥手で真面目な性格。転職するかどうか悩んでいる。
「この花と…あと、この花で花束作ってちょうだい。」
「あ、えっと、了解です。少々お待ちください。」
僕の名前は望月文哉。大学を卒業してから2年間、一人暮らししているアパートの近くの花屋で働いている。これでもアルバイトでなく、正社員である。就活に失敗しまくり、結局やりたいと思ったこともなかった花屋で働くことになってしまった。仲の良い同級生たちは就活成功組で、大手企業の社員や公務員として煌びやかな人生を送っている。
「あの、お客様。できました。お支払いお願いします。」
「あら…ちょっと待って、2つ合わせて花束にしてって言ったのに別々になってるじゃない!」
サングラスをかけたマダムが口を尖らせる。僕は慌てて頭を下げた。
「申し訳ございません。今すぐ直します。」
「もう…お金払わなくて良いわよね、こんなミスするなら。」
マダムはサングラスを取ると、ぎろっとした目で睨んできた。僕は彼女から目を反らし、黙り込んでしまう。
「ちょっと、さっさと働きなさいよ。私、あなたと違って忙しいの。」
「あ…すみません。」
僕は急いで仕事に取り掛かった。それでも丁寧さを忘れずに、フラワーラップで花を包んでいく。
「待たせてごめんなさい…あの、お会計を。」
「私からお金を取るの!?こんなに待たせて、話も聞いていなかったくせに?ふざけないでちょうだい。」
マダムの顔に血管が浮き出ている。彼女の罵声を浴びて、僕は唖然としてしまった。黙っていても解決しない、むしろ怒りを増してしまうだけだ。何か言わないと…何か言わないといけない。それなのに、何にも言えない。体が震えて口が開かない。マダムがさらに声を出そうとしたその時、店のドアのベルが鳴った。時刻は18時10分。あと20分で閉店だというのに、こんな時間に誰だろう。
僕がドアの方に目線を送ると、不満そうな表情のマダムも後ろを振り向いた。
そこにいたのはモデルのような女性だった。綺麗な黒髪で、瞳は大きくて美しい。肌が白くて、華奢な体型だ。
「いらっ…しゃいませ。」
僕がボソッと呟くと、彼女は店を見渡してから口を開いた。
「素敵なお店ね。お花を家に飾りたいの。どういうものがいいかしら?」
「えっと…その…少々お待ちください。」
挙動不審になる僕に目の前のマダムがため息をついた。
「ちょっと、あなた。あんな美人な女性、なかなかお会いできないのよ?私だけじゃなくて、あの子のことも待たせるつもりなの?」
「え?」
僕はキョトンとしてしまった。あんなに怒っていたマダムが今はこんなに落ち着いている。
「もういいわ。1万円渡して私はいなくなるから、早く対応してあげなさい。」
マダムは財布から1万円札を出して僕に押し付けた。「いやいや、1000円札で結構です。」と言っても、彼女はお金を戻さずにさっさとお店のドアに向かっていった。ちゃっかり美女に声を掛けている。
「お姉さん、とても綺麗ね。女優さんでもしてるの?」
「いいえ。」
美女はそれだけ答えてマダムから目を離した。マダムは呆れてしまったようで、何も言わずにお店から出て行ってしまった。
その瞬間、僕の胸の鼓動が明らかに速くなった。今僕はこの世に存在するとは思えないほど美しい女性と2人きりの空間にいるのだ。改めて彼女を見ると、彼女の服装がとても色っぽいことに気付いてしまった。両肩を出した白黒の千鳥柄ニットに黒いレザー生地のタイトなミニスカート。肩から白いショルダーバックをかけて、足元は黒いハイヒールを履いている。綺麗な形の脚は薄い生地のタイツで包まれている。
僕の視線に気付いたのか、彼女と僕の目がばっちり合ってしまった。
「あ!…えっと。」
驚いた反動で、つい声が出てしまった。それでも彼女は無表情のまま僕を見つめる。
「すみません、待たせてしまって。ちなみに、お部屋の雰囲気って教えてもらえます…?」
僕がようやく言葉を絞り出すと、彼女はゆっくりと僕の方に近づいてきた。
「部屋なんてどうでもいいの。私に似合うお花、選んでくださる?」
彼女から香水のいい匂いが漂ってくる。僕の体温が徐々に上がっていくような変な感覚だ。
「あ…なるほど。お客様自身に…似合う花…ですね。」
「ちなみにあなたは?」
彼女は声まで凛としていて美しい。僕は我に返って、小さく首を傾げた。
「うーん…今まで考えたことなくて…よく分からないです。」
「じゃあ、今考えてみて。」
「え…?なんで…でしょうか?」
彼女は僕の目の前に来て、ハート形の唇を動かした。
「あなたの花、私にだけ教えて。」
見つめられると、彼女の瞳に吸い込まれそうになる。僕は耳まで赤くしながら、「はい…。」と小さく頷いた。すると彼女は満足げに微笑んで、僕から離れた。僕はようやく呼吸ができるようなそんな気分になる。僕の心臓が壊れる前に、ささっと彼女を帰らせなければならない。僕は俊敏な動きでお花を見て回る。
「自分みたいな花…自分みたいな花…。」
独り言を呟きながら歩いている僕を彼女は不思議そうに眺めている。5分ほど経って、ようやく僕はとある花の前で足を止めた。僕はその花を1輪バケツから取り出した。
「マリーゴ-ルド…です。」
彼女は「綺麗ね。」と1輪のマリーゴールドを受け取った。僕は彼女を直視できないまま呟いた。
「マリーゴールドの花言葉…知ってます?」
僕の問いかけに彼女は何も答えなかった。恐らく知らないのだろう。僕はバケツに入った黄色のマリーゴールドを眺めた。
「悲しみです。」
「あら。このお花、気になるわ!」
僕の声に被せて彼女が叫んできた。僕は慌てて彼女の元に駆け寄る。
「あ…このお花は月下美人。花屋で置いてあるのは珍しいんです。夜にしか咲かない花なので。」
そう話してる途中で僕はハッとした。気付けばもう18時半になっているではないか。閉店時間だ。
「お客様…すみません、あの…閉店なので今日はここまでで。」
「また来るわ。」
彼女はそう言うと、僕にウインクと投げキッスを送ってドアから出て行った。彼女が去ってしばらくしても、彼女の残り香を感じて思わず胸の鼓動が高鳴ってしまう。
僕はお店を閉め、ようやく帰宅した。カップ麺を啜りながら、急いでパソコンを開く。メールボックスには『転職サイト』からのメールが大量だ。内容を見ては戻るボタンを押す…この作業を10回ほど繰り返している。
見てはいけないと分かっているものの、ついSNSを見てしまうのが僕と言う人間なのだろう。SNSには友人の煌びやかな日常が投稿されている。高級車を購入したのだの、彼女とホテルの屋上でディナーしたのだの、ブランド物のバッグを飾っている部屋だの…。とにかく眩しすぎて、僕はいつも見てしまったことを後悔する。
お風呂に入り、寝床についた。目を瞑ると、彼女の姿が浮かんでくる。360度どこから見ても完璧な美女。彼女に似合う花は…。僕は思わず目を開いた。
「月下美人だ。」
もし彼女にまた会えたら伝えないといけない…少なくともそれまでは続けるしかないか。
小さな花屋で働く社会人を…。
翌日は雨が降っていた。こんな天気ではお客さんもなかなか来ない。ボーっとしたまま過ごしていると、あっという間に夕方になってしまった。
「まあ…今日くらいは早く閉めてもいいか。」
僕は店から出て、ドアに付いている看板をひっくり返し、外に”close”が見えるようにした。急いで中に戻ろうとすると、誰かが走ってくる音がした。
驚いて後ろを振り向くと、そこには彼女が立っていた。しかも、びしょ濡れ。レースのシースルーにスリットの入ったミニスカートを履いている。膝まであるレースアップロングブーツ。肩からは小さなポシェットを掛けている。全てが黒で統一されており、彼女の美しさを引き立てている。彼女は肩で息をしていた。
「あ…あの、お店に入りましょう。」
僕は扉を開けて彼女を中に入れた。彼女は雨でぬれた髪を手で拭っている。僕は彼女を直視できず、慌てて叫んだ。
「タオル持ってきます!ちょっと待っててください。」
高鳴る鼓動を隠しながら何とか裏に入った。自分の頬を2回叩いて深呼吸する。それから急いで綺麗なタオルを数枚手に取り、表に出た。
「どうぞ…拭いてください。風邪ひきますよ。」
「助かるわ。」
彼女はタオルで髪と身体を拭き始めた。僕は自然と彼女の上半身に釘付けになってしまう。ただでさえシースルーの服なのに、濡れてしまっている…。僕は彼女に気付かれないように、強めに頬を2回叩いた。
「タオル、洗って返すわ。」
彼女が丁寧にタオルを畳みながら言うので、僕はすぐにかぶりを振った。
「いや!大丈夫です。そんな…気にしないでください。」
「私が使ったタオル、そのままもらってどうするのかしら?」
いたずらっぽく笑う彼女に僕の体温はまた上昇してしまう。
「そ…それは洗濯しますよ。家で。」
「そう。じゃあ、私も連れてって。本当にそれだけか、気になるの。」
濡れたままの彼女がこちらに近づいてくる。僕は視線を上に向けて、首を横に振る。
「そんな…そんなのダメですよ。そんな簡単に人の家に…。」
「分かったわ。シャワーだけ貸して。」
「はあ!?」
僕が大声を上げると、彼女は肩をすくめた。
「私、この辺の人間じゃないの。それじゃあ、あなたの家に案内してちょうだい。」
何も反論できなくなった僕はすぐにお店の片づけと着替えを済ませた。僕は傘を差して、彼女と2人で家に向かっていった。相変わらず彼女から香水のいい匂いが漂っている。
「えっと…着きました。でも、すごく狭いアパートでして。」
僕がそう言っても彼女は納得していないようだった。顔が赤くなっていることを自覚しながら、僕は家の扉を開けた。彼女はブーツを脱いで、ゆっくりと中に入っていった。
「狭くないじゃない。丁度いい広さのお家ね。」
意外な発言に僕は思わず目を丸くする。
「そうですかね…。でも、きっとお客様は…もっと広くて立派なお家にお住まいなんでしょうね。」
「いいえ。なんで私がそういうお家に住んでると思ったのかしら?」
彼女が真剣な眼差しで僕を見るので、つい目を反らして黙り込んでしまった。小さな台所に小さなテーブル、2つの椅子、シングルベッド、クローゼット…。それくらいの物しかない僕の部屋に彼女と2人。僕の心臓が喉から出てきそうだ。彼女は椅子を引き、そこに腰を掛けて言った。
「人って、表に見えてる部分だけが全てじゃないの。」
彼女の声は今まで聞いた中で1番はっきりしていた。僕が顔を上げると、彼女は僕の目をじっと見つめたまま話を続けた。
「どんなに煌びやかな人にも必ず影があるの。本当に幸せかどうかは分からない…そんなもんなのよ。」
「いや…でも…。」
僕は思わず口を開いていた。彼女を改めて見ると、彼女はあまりにも美しく魅力的だった。理性が吹っ飛んでしまいそうになる。
「そんな話より…僕、我慢できないです。」
やっとの思いで伝えると、彼女は「お花屋さんで働くことが?」と鋭い指摘をした。僕はいつの間にか彼女の頬に両手を当てていた。彼女の表情は1ミリも変わらない。彼女の肌は濡れているはずなのに、すべすべだった。
「それもありますけど…今は何も考えたくないんです。」
彼女は僕の手を両手で覆い、それからゆっくりと下に降ろした。
「あなたはどうして花屋で働いてるの?」
僕はその問いかけにハッとした。彼女は上目遣いで僕を見て、首を傾げている。
「それは…その…就活に失敗して。」
彼女に背を向けて僕は話を続けた。
「自分で言うのも気が引けるのですが…僕、割といい大学に行ったんです。だから…僕の同級生はみんな、良い職に就いて幸せな生活を送ってるんです。それなのに…僕は。」
そこまで話して小さくため息をついてしまった。どんな顔でこの話を聞いているのか、彼女の顔を見るのが怖かった。こんな馬鹿みたいなことで悩んでいるのかと軽蔑しているかもしれない。
「人間だもの、そう思うのは自然なことよ。」
彼女の凛とした声が聞こえてきた。その瞬間、僕の目に涙が溢れ出てくる。それでも泣いているのがバレないように、必死に声を殺した。
「でも、あなたは間違ってる。あなたは人と自分の一部分だけを見て、その人は幸せで自分は不幸だと思い込んでいる。でも、実際はどうかしら?本当にみんなは幸せで、あなただけは不幸なの?」
僕はゆっくりと後ろを振り向いた。彼女は椅子に座ったまま、僕の目をじっと見つめている。真剣な眼差しだ。
「違う…違うと思います。」
涙を拭いながら、僕は小さく呟いた。すると彼女は立ち上がり、僕に近づいた。
「私はあなたのお花屋さんに行った時、とても素敵なお店だと思った。それは店内が綺麗だったから…だけじゃない。お店の雰囲気って、働いてる人の人柄も出るのよ。あなたも分かるでしょ?」
僕は彼女に抱きつきたい気持ちをぐっと堪えた。拭いても拭いても、涙が止まらなかった。すると彼女は素早く靴を履いて、扉の前に向かった。
「じゃあね、花屋のお兄さん。自分に誇りを持ってお元気で。ごきげんよう。」
「あ…ちょっと待っ…。」
彼女は風のように消えてしまった。彼女の香水の匂いだけが僕の部屋に残されている…と思いきや、テーブルに目を移すと、そこには小さな黒いカードが置いてあった。僕はぼんやりとした視界の中でそれを手に取った。
「何だろう、これ。」
手の甲で目を擦って、そのカードをまじまじと見る。するとそこには、筆記体で英文が書いてあった。
「Nameless stars…appear at twilight.」
僕はこのことわざを知っている。僕が椅子に座ると、お尻が何かに触れた。慌てて腰を浮かすと、そこには一輪の白い花が置いてあった。花びらが何層にも重なった美しい花。彼女はもう、自分を表す花を知っていたに違いない。僕はその花の匂いを嗅いでみた。彼女の付けていた香水と同じ匂いがする。
僕は思わず、手に持った一輪の花に微笑みかけた。
「ありがとう…名の無いお花さん。」
明日も朝早くから出勤だ。僕はもう少し頑張ってみることにした。素敵な花屋で働く社会人を。
目元には銀色のスクエア型メガネ。トップスは襟付きの白シャツに黒いベスト、襟には白黒ドット柄のネクタイ。テロテロ生地の黒いパンツ。足元には白いパンプス。手には黒いスクエアバッグ。
ー彼女は今日も夜の街を歩き、男を落としに行く。
彼女は街に繰り出していく。ネオンサインが光を放つ煌びやかな世界へ。
つづく
ご一読ありがとうございました!次回も乞うご期待です★




