女神の泉
「お母さま、体調は大丈夫ですか?」
「ええ。元気よ」
今日は女神の泉に行く日だ。
出発の際、お兄さまに「母上の様子をよく見ておくんだぞ」と無数の釘を差されまくったこともあってお母さまの体調を気にかけ続けているんだけれど、今は本当に元気そう。
朝、馬車に乗った時はあんまり顔色は良くなさそうだったんだけど、森に着く頃にはすっかり元気そうだった。空気の綺麗なところって本当に健康にいいのかもしれない。前世は社畜やるのが忙しくて、自然豊かなところに行く暇なんかなかったから知らなかった。
精霊の森は人の手がほぼ入ってないに関わらず、木々の隙間から光が差し、明るい印象のある場所だ。泉に続くのだという道は不自然なほどに草が生えておらず、歩きやすい。女神の不思議パワーで整備されているらしい。
「この森、すごいでしょう?」
辺りを見回しながら歩いていると、隣にいたお母さまがそう声をかけてきた。少し自慢げにも見えるそれに、私はこくこくと興奮気味に頷いてみせた。
確かにこの森はすごくて、普通じゃ見かけないものがたくさんある。硝子で出来た小鳥や蝶々に、道標のように光る花々。いくらここが魔法の世界だとは言っても、こんな生き物や植物たちは見たことがない。幻想的でとても綺麗な場所だった。
「あれは全て女神さまのお造りになられたものよ」
「へえ。女神さまは本当に綺麗なものがお好きなんですね」
「それに女神さまご自身も綺麗な方よ。きっとオリビアさんも見たらびっくりするわ」
美人なお母さまがそう言うだなんて、どれくらい綺麗なんだろう。想像がつかない。
「奥さま、お嬢さま。到着いたしました。あちらです」
先頭を歩いてくれていた護衛兼お母さま付きの侍女のアンジェリカさんが手で指した先に目を向けると、泉があった。周りを一周するのに数分はがかかりそうな大きな泉だ。
泉には中心部に向かって一本道が伸びている。道に沿って道標の光る花が咲いていて、その配慮で女神さまも泉チャレンジ楽しみにしているらしいのがよくわかる造りだ。
「私が先にご挨拶してきてもいいかしら?久しぶりだからお話したいわ」
「あ、私もご一緒できませんか?一人だと心細くて」
「あ、ええと、そうね……」
お母さまが少し困った顔をしてアンジェリカさんの方を見ると、心得たと言わんばかりに頷いてアンジェリカさんが私の方へ進み出た。
「お嬢さま。昔、貢物の評価で揉めたことがあったらしく、それ以来女神とのお話は一人ずつと決まっているのです」
「へえ。そうなんだ。無理を言ってごめんなさいお母さま」
「いいえ、私の方こそごめんなさいね」
いいよいいよ、アンジェリカさんの言っていることも半分くらい嘘だってわかるけど、女神さまと私には聞かれたくない話をしたいんだろう。私がちょっと踏み込みすぎた。
「……お母さまを困らせてしまったかしら」
「お嬢さまはお優しいですね」
「普通よ」
「普通、そうですか普通。ふふ……」
泉に向かうお母さまの背中を見ながらつぶやけば、隣に立つアンジェリカさんが言う。前世の記憶が戻る前は癇癪を起こすオリビアを強張った顔で見ていたものだけど、それは今はとても穏やかだ。以前は私とお母さまが接触するたび、気が気じゃなかったんだろうなあ。
「ねえ、アンジェリカさんとお母さまって、同じ学園に通ってたのよね?」
アンジェリカさんとお母さまは学園の同級生だったというのはちらほらと耳にしていた。子だくさんの男爵家の四番目の娘だったアンジェリカさんは嫁いだりしないで、学園を卒業してからもお母さまと一緒にいるらしい。親友ってやつだ。
アンジェリカさんが敷いてくれた敷物の上に座って私は尋ねた。カップに注がれたお茶を私に手渡しながら、彼女は「ええ」目を細めて頷く。
「奥さまにはとても良くしていただいて。その縁で今もお仕えさせていただいております」
「学生時代のお母さま、どんな感じだったの?やっぱりお淑やかで皆の憧れだったりした?」
「すごくお転婆でしたよ」
「え?」
「すごくお転婆でした」
そ、そんな二回も言うほど……?
呆気にとられて固まっていると、「アン!」お母さまの怒った声が聞こえてきた。戻ってきたらしい。
「オリビアさんに変なことを吹き込まないでちょうだい!」
「変なことって、事実じゃありませんか。学園の木にのぼることはしょっちゅうで、」
「もうやめてったら!オリビアさん、女神さまのところにいってらっしゃい。少しお話をしておいたから、緊張することはないわ」
アンジェリカさんの口を手で物理的に塞いだお母さまは私を急かして泉に行かせようとする。よっぽど私に聞かせたくない話なんだろう。
正直、体の弱いはずのお母さまのお転婆エピソードはものすごく興味があるけど、この分だと聞かせてもらうのは難しいだろう。
「わかりました。じゃあ、女神さまにお会いしてきますね」
物わかりのいい態度でストールを抱えると、あからさまにお母さまがほっとした顔をする。学生時代にいったい何をしてきたんだ……。
「礼儀正しくするつもりですけど、何かしちゃいけないことありますか?」
「普通にマナーを守れていれば大丈夫。女神さまはおおらかで優しいから安心してね」
お母さまの言葉に背中を押されるように私は泉に向かった。




