グレイド、母の反乱
エメレン国王夫妻の部屋を深夜にダルメニア王妃テレーズが訪ねていた。
誰にもそれは知られることなく、翌日、国王夫妻は帰国の途についた。
テレーズはフランチェスカのお披露目のお茶会をした後は、王妃の公務にフランチェスカを連れまわした。
フランチェスカも徐々に体力が付いてきて公務をこなすようになっていた。
王宮にフランチェスカが登城するようになって、グレイドはサンレオ公爵家に行かなくとも合えるようになった。
「グレイド。」
いつものようにフランチェスカがグレイドの執務室に顔を出した。
デビュタントからすでに3ヶ月、すっかり王宮にも詳しくなったフランチェスカだ。
そして、何故か下級士官達をはじめとして親衛隊なるものが存在するようになった。
フランチェスカが一人で歩いていても、どこかで誰かが安全を見張っているようになった。
出会う人々の庇護欲を引きづり出すのがフランチェスカだ。
「お茶にしましょう。」
フランチェスカは勝手に書類を片づけて場所をつくる。そこにカップを置きお茶を入れ始めた。
ちゃんと書類の重要性を確認してるらしいので、むやみに片づけてはいない。
「これお義母様と作ったの。」
出したのはクッキーだ。
しかもいつの間にか王妃様ではなく、お義母様呼びになっている。
グレイドは茶のカップは手で持っていたくせに、菓子の時は書類を放さない。
「もう。」
そう言っても、フランチェスカはグレイドの口元に菓子を持っていき口に入れる。
砂糖よりも甘い二人の様子は、すでに王太子の執務室では慣れた風景である。
そんな時である、グレイドに王妃から至急の呼び出しがあり、王の執務室に来るようにと連絡がはいった。
「私は帰るわ。何かあったら教えてね。」
そう言ってフランチェスカは帰って行き、グレイドは母の至急の呼び出しに、急いで王の執務室に向かった。
王の執務室は人払いがされ、王と王妃のみだった。
「グレイド、忙しい時にごめんなさい。
貴方にも関係のある話だから。」
王妃は言いながら王に書類を出した。
「テレーズ!」
それは婚姻解消の書類であり、すでに王妃の兄クリストフ国王のサインと印があった。
そして証人として、エメレン国王のサインと印もある。
「テレーズ、どういう事だ!
私は認めないぞ。」
王は王妃の渡した書類をくしゃくしゃにした。
「それは写しです。
本物はこちらに。」
王妃テレーズの手には書類があった。
ずいぶん古い紙のようだ。かなり昔にクリストフ国王から渡されたものだろう。そして証人のサインが新しく見えるのは最近追加されたと思われる。
「よくお読みください、陛下。
それは契約不履行による契約解除の書類ですわ。」
グレイドは、今まで母が耐えたのは自分の為であるとわかっていた。
フランチェスカとの結婚が決まり、公務も引き継ぎのめどが立ったのだろう。
「陛下との結婚はダルメニア王国とクリストフ王国の関税優遇を持つものでした。
けれど、陛下の度重なる不貞で、すでに契約は無くなったと周知の元になっております。
陛下の認可などいりません。
それは通知ですから。
本日をもってクリストフとの優遇関税は無くなります。」
そう言って微笑むテレーズは美しかった。
幼い息子を王の愛人達から守る為に耐えた、優しく強い母だ。
大国の王女として美しく気高く育てられた女性である、王の愛人になるような貴族娘達とは教養も作法も何もかもが違う。
「母上、ありがとうございました。」
グレイドの言葉で全てを悟ったのであろう、テレーズの頬に涙が流れる。
「元気で。」
あらん限りの笑みでテレーズは答える。
「26年も夫婦だったのだぞ!
こんな紙きれで!」
王は諦めがつかない。
「陛下が夫婦関係を壊したのですわ。」
背筋を伸ばし、立ち姿も美しい王妃テレーズ。
「王妃の公務はどうする!
王妃なのだぞ!」
まるでバカにしたようにテレーズが答えた。
「陛下のたくさんの愛人達がなりたがりますでしょう。
よかったですわね。」
美しい顔はさらに魅力的に妖艶な笑みを浮かべる。
「テレーズ!」
王が王妃の手を取ろうとしたのを振り払い、王妃テレーズは出て行こうとする。
「母上まさかこのままクリストフに行かれるおつもりか!」
グレイドがあわてて確認する。
「そのとおりよ。
グレイド、フランチェスカにありがとう、って言っておいて。」
テレーズが執務室から出て行きながら言った。
「だれか!」
グレイドの叫びに警護の騎士達が集まってくる。
「王妃が単騎でクリストフに向かうようだ!
警護に行け!
無事にクリストフまで送り届けるのだ!」
その言葉にまず飛び出したのが王妃の警備兵達である。
その後ろ姿にグレイドが声をかける。
「お前達は必ず戻って来るのだぞ!
フランチェスカの警護はお前達に任せる!」
グレイドが振り返ると王が床に座り込んでいた。
「単騎とは、アレは馬に乗れるのか?」
王が力なく問うてくる。
「とてもお上手です。
随分昔になりますが、陛下の愛人が刺客を送ってきた時に、幼い私を抱き馬で逃げてくださいました。」
そんなことがあったのか、なんてことだ、王がつぶやく。
結婚式で初めて会ったテレーズは美しく光輝くような姫君であった。
この姫を妻に出来る幸せをかみしめたものだった。だが、自分には愛人がいて後ろめたかった。
この世で誰よりも大事な女性だったのだ。
王妃という鎖でずっと自分に縛り付けておけると思っていた。
今もあの頃に劣らず誰よりも美しいテレーズ。
「女一人でクリストフまでは遠い、もっと警護を追い掛けさせねば。
テレーズに何かあったら大変だ。」
そう言って立ち上がった王は執務室を出ると、軍部に向かった。