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フォロワー100万人の裏側、全部晒します。~炎上コンサルタント・佐藤任三郎の処刑ログ~  作者: 伊達ジン
第3章:虚構の王国と洗脳された信者たち

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第57話 ハッカーズ・ロシアンルーレット

 カロンから「新しいタスクを始める」と宣戦布告を受けた、その翌日の夕方。

 オメガ・リスクマネジメントのペントハウスは、嵐の前の静けさというべき、奇妙な平穏に包まれていた。


 キッチンに立つ佐藤任三郎の背後では、低く一定のモーター音がリビングのフローリングを這うように響いていた。


 ウィィィーン……。


 音の主は、最新型の円盤型ロボット掃除機だ。

 しかし、その掃除機の上には、なぜか黒猫のダシがどっしりと香箱座りを決め込んで、鎮座していた。


 ダシは先ほど、佐藤が特別に用意した新鮮な真鯛のボイルと鶏ササミのゼリー寄せという豪華なディナーを平らげたばかりだ。しかし、彼の狩猟本能と食への探求心は満たされていなかった。

 彼は自走する掃除機を「移動式の見張り台」として巧みに乗りこなし、キッチンで料理をしている佐藤の手元から何か落ちてこないかと、黄金色の瞳を光らせてパトロールしているのだ。


 掃除機がソファの脚にコツンとぶつかり、クルリと方向転換する。ダシは全く動じることなく、器用に重心を移動させて乗りこなしている。

 その時、彼の視界に魅力的な「獲物」が映り込んだ。


 ローテーブルの上に無造作に置かれていた、渡辺千尋の高級な化粧ポーチ。そこから、艶やかなシルクの飾り紐がだらりと垂れ下がっていたのだ。

 ダシは掃除機から軽やかに跳び移ると、その紐に飛びかかった。短い前足で器用に紐をホールドし、「ニャウッ!」と声を上げながら、猛烈な勢いで後ろ足の連続猫キックをお見舞いし始める。


「……こら、ダシ。私のエルメスのポーチを獲物にしないでちょうだい」


 ソファで仮眠を取っていた千尋が目を覚まし、苦笑いしながらポーチを引き上げた。ダシは「逃がすか」とばかりに紐に噛み付いたまま、床をズルズルと引きずられていく。


「……食後の運動にしては激しいですね。彼の底なしの食欲と活力は、AIよりも予測不可能です」


 佐藤は呆れたように口元を緩め、キッチンカウンターから銀色のトレイを運び出してきた。


「千尋さん、お目覚めですか。……ちょうど仕込みが終わったところです」


 佐藤の声に反応し、奥のモニタールームから田中襟華と小林弥生もフラフラとした足取りで現れた。彼女たちは昨夜から徹夜で、カロンを迎え撃つための強固な防壁と仮想ネットワークを構築し続けていたのだ。


「お疲れ様です。……極限のサイバー戦を前に、酷使した脳のシナプスを繋ぎ直すための特効薬を用意しました」


 佐藤がテーブルに置いたのは、純白の陶器の器に盛り付けられた、見た目にも美しい漆黒と純白の層の重なりだった。


「自家製のティラミスです」


 佐藤は切り分けたティラミスを、彼女たちの前に静かに置いた。


「土台となるサヴォイアルディには、淹れたての最高級エスプレッソと、少しのカルーアミルクを限界まで染み込ませてあります。上の層は、北海道産のフレッシュなマスカルポーネチーズに和三盆を加え、空気をたっぷりと含ませて極限まで滑らかにホイップした濃厚なクリーム。……仕上げに、ヴァローナ社の無糖ココアパウダーを雪のように降らせました」


「……うわぁ、すっごい綺麗。カフェのショーケースみたい」


 襟華が目を輝かせ、フォークを入れる。


「合わせる飲み物は、氷温で12時間かけて水出ししたダージリンのファーストフラッシュです。……渋みが一切なく、マスカットのような清涼な香りが、ティラミスの濃厚な脂質と甘みを完璧に洗い流してくれます。どうぞ」


 千尋が一口食べ、ほうっと色っぽい感嘆の息を吐いた。


「……信じられない。口に入れた瞬間にクリームが溶けて、エスプレッソの強烈な苦味と香りが後から追いかけてくるわ。大人の味ね」


「ほんとだ、甘すぎない! マスカルポーネのコクがすごいのに、お茶を飲むと一瞬で口の中がリセットされる。……これ、無限に食べられるよ、社長!」


 襟華も夢中でフォークを動かしている。


 弥生も無言でティラミスを頬張り、徹夜の疲労でこわばっていた顔の筋肉をトロトロに緩ませていた。


「皆さんの献身的な作業への、私からのささやかな報酬です」


 佐藤は、彼女たちが脳に十分な糖分とカフェインを行き渡らせるのを静かに見守った。

 そして、全員が最後の一口を飲み込み、冷たい紅茶で喉を潤したのを確認すると、佐藤の瞳から温かな色が消え、絶対零度の「氷の指揮官」の顔へと切り替わった。


「……さて。極上のティータイムはここまでです。仕事の時間ですよ」


 佐藤は立ち上がり、リビングの巨大なメインモニターの前へと移動した。

 そこにはすでに、襟華が立ち上げた三台のノートPCが接続され、複雑なファイアウォールが構築されて待機している。


「……準備は完了していますね、田中君」


「完璧だよ、社長」


 襟華は糖分補給で完全に覚醒した様子で、キーボードに両手を乗せた。


「外部ネットワークから完全に切り離したサンドボックスの中に、カロンを迎え撃つための専用のアリーナを作った。……いくら改良型のパノプティコンでも、ここから私たちのメインの基幹システムへ侵入することは絶対にできない。私が命を懸けて防ぐ」


「ええ。あなたを信頼しています」


 時計の針が、午後11時を指した。

 カロンが予告した「明日の夜」の時間が訪れる。


 ピコン。


 メインモニターの黒い画面に、たった一つのIPアドレスからの接続要求が届いた。

 相手は身元を隠すこともなく、堂々と正面からオメガのサーバーへアクセスしてきたのだ。


「……来ましたね。アリーナのゲートを開きなさい」


 襟華がエンターキーを叩き、隔離環境へのアクセスを許可する。


 画面が切り替わり、漆黒の背景の中に、気味が悪いほど青白く輝く「蝶」のマークが浮かび上がった。

 そして、スピーカーから、あの無機質な合成音声が流れ出す。


『こんばんは、処刑人さん。……律儀に待っていてくれたようで嬉しいよ』


「あなたのつまらない悪戯に終止符を打つためですからね。……さあ、ゲームを始めましょうか、姿なき殺人鬼」


 佐藤の冷徹な声が、ペントハウスの空気を一瞬で氷点下へと変えた。


『フフ……いいね。では、ルールを説明しよう』


 画面上に、銃のシリンダーを模した六つの空の円が表示された。


『これは、私と君たちのシステムを直結させた、死のロシアンルーレットだ。交互に攻撃のパケットを撃ち込み合い、相手のファイアウォールを一つ破るごとに、相手のサーバーから致命的なデータを一つ抜き取って公開する』


 合成音声が、冷酷にルールを告げる。


『もし君たちが負ければ、君たちのオフィスの顧客データ、過去の犯罪の証拠、全てを警察とネットの海にばらまく。……もし君たちが勝てば、私の真の物理座標をくれてやろう。どうだい? 公平だろう』


「……狂ってるわね。ただの情報の殺し合いじゃない」


 背後で千尋が息を呑む。


「いいでしょう。そのゲーム、受けますよ」


 佐藤は襟華の隣に座り、自身のキーボードに両手を乗せた。


「先手は譲ります。……撃ってきなさい」


『余裕だね。……では、第一の弾丸だ』


 カロンの宣言と同時だった。

 メインモニターに表示された防御ゲージが、凄まじい勢いで削られ始めた。

 相手は、改良型パノプティコンのAIを用いた、異常な速度のゼロデイ攻撃の波状攻撃を仕掛けてきたのだ。数万パターンの脆弱性スクリプトが、一瞬にしてオメガの防壁を叩く。


「……速い! 第一層、突破された!」


 襟華が叫ぶ。


『一つ、もらったよ』


 画面に、オメガ・リスクマネジメントが過去に関わった、ある企業の裏帳簿データが表示された。


『なるほど。君たちも随分と汚い仕事をしているね。……では、次だ。君たちのターンだよ』


「……行きますよ、田中君」


 佐藤の指が、キーボードの上で目にも止まらぬ速さで踊り始めた。

 彼が撃ち込んだのは、単なる力任せのブルートフォース攻撃ではない。

 パノプティコンのソースコードの「癖」を逆手に取った、論理の矛盾を突く精密な攻撃パケットだ。


 AIは「最も効率的な防御」を自動で選択する。佐藤はその効率性を逆手に取り、わざと無害な通信を大量に送り込んでAIの判断リソースを割かせ、その裏を掻いて極小のバックドアをねじ込んだ。


『……ほう』


 カロンの音声が、わずかに驚きを帯びる。


「第一層、突破しました」


 佐藤の画面に、カロンが経由している無数のダミーIPの一つが暴き出される。


『やるじゃないか。……だが、AIの学習速度を甘く見ないことだ。第二の弾丸、行くよ』


 再び、カロンからの猛烈なサイバー攻撃。

 今度は先ほど佐藤が使った手法を完全に学習し、それを上回る速度で防壁を食い破ってくる。


「第二層、ダウン! ……社長、相手の演算速度、桁違いだよ! 防ぎきれない!」


 襟華が焦燥に顔を歪める。


『二つ目だ。……おや、これは君たちの個人情報かな』


 画面に、襟華や千尋の架空名義の口座データの一部が表示される。


「……田中君。トラッキングの進行度は?」


 佐藤は攻撃を防ぎながら、静かに襟華に尋ねた。


「相手の防御を削りながらだから、まだ40パーセント! 相手の真の物理座標を特定するには、あと一回、相手のメインサーバーのコアと太い通信帯域で直結する必要がある。……でも、そんなことしたら、こっちの防壁が先に全部破られちゃう!」


 ハッカーズ・ロシアンルーレット。

 それは、純粋な演算能力の勝負では、スーパーコンピュータをバックに持つAIに勝てるはずがない、初めから仕組まれた死のゲームだった。


 だが、佐藤任三郎は、AIと正面からの力勝負などするつもりは毛頭なかった。


「……田中君。第三層のファイアウォールを、私に権限譲渡してください」


 佐藤の声は、どこまでも冷たく、そして水を打ったように静かだった。


「え? 社長、防御を切るの!? 何する気……」


「……速やかに譲渡してください」


 佐藤はモニターから目を離さず、一切の感情を交えずに命じた。


 襟華が震える指で権限を譲渡した瞬間、佐藤は信じられない行動に出た。

 彼は自ら、最後の防壁である第三層のファイアウォールの設定を意図的に緩めたのだ。

 さらに、サンドボックス内の最も目立つ領域に、一つの大容量データを無防備な状態でポツンと配置した。


『……なるほど。自暴自棄かい? それとも、罠のつもりかな』


 カロンが冷笑する。


「罠だと思えば、引けばいいでしょう」


 佐藤はキーボードから手を離し、モニターの向こうの殺人鬼に向かって、薄く笑いかけた。


「そこに置いたのは、私の過去のデータです。……かつてネットの悪意によって妹を失った詳細な経緯、そして私が個人的に収集した、この国の権力者たちの致命的なスキャンダルの全てをまとめた、最高のチップですよ」


「……っ!」


 背後で千尋と小林弥生が息を呑んだ。

 佐藤にとって、妹に関する記憶と記録は、決して他人に触れられたくない最も深く痛い傷のはずだ。それを自ら、デジタル空間のど真ん中に餌として差し出したのだ。


「カロン。あなたは、論理と効率で動く改良型パノプティコンをゲームのエンジンに使っている」


 佐藤の言葉が、鋭い刃となって空間を切り裂く。


「AIのアルゴリズムは、目の前に『最も価値の高いデータ』が無防備に置かれていた場合、それが罠である確率よりも、それを取得して相手を完全に破滅させる利益を優先するように設計されている。……あなた自身の意思がどうあれ、あなたの使っているAIは、必ずそのデータを喰いに来ます」


『……ハッ。面白い。ならば、そのチップ、ありがたく頂いて完全にゲームオーバーにしてやろう』


 カロンのAIが、佐藤の置いた特大の餌に食いついた。

 膨大なデータのダウンロードを開始するため、カロンのサーバーとオメガのサーバーの間に、一瞬にして極太の通信帯域が構築される。


「今です、田中君!! 全リソースをトラッキングに回しなさい!!」


「いっけぇぇぇぇッ!!」


 佐藤の指示と同時に、襟華は防御を一切捨て、カロンが開いたその太い通信帯域を逆流するように、トラッキングプログラムをフル稼働させた。


 AIがデータをダウンロードしている、わずか数秒間の通信。

 その数秒こそが、佐藤が削り出した唯一の「反撃の隙」だった。


(……見事に食いつきましたね)


 佐藤は心の中で冷たく微笑んだ。

 彼がサンドボックスに置いたデータは、妹の本当の記録でも本物のスキャンダルでもない。

 AIが「本物の極秘ファイルである」と誤認するようにメタデータと暗号化形式を完璧に偽装し、中身は無意味な乱数の羅列で埋め尽くした、巨大な『ダミーデータ』だ。

 リスク管理の鬼である彼が、本物の機密情報を危険に晒すはずがないのだ。


 画面上のトラッキングゲージが、爆発的な速度で上昇していく。

 60パーセント、80パーセント、95パーセント……。


『……チッ、そういうことか! 偽装ファイル……!』


 カロンが自らのAIの強欲なバイアスを利用されたことに気づき、慌てて通信を強制切断しようとする。


「逃がしませんよ!」


 佐藤がエンターキーを物理的に叩き割るほどの力で叩き込んだ。


 100パーセント。


 ピピーーッ!!

 鋭い電子音と共に、メインモニターの地球儀のワイヤーフレームが、日本の、東京の、ある一点を正確に指し示して赤く点滅した。


「……出た! 物理座標、完全特定!」


 襟華が叫ぶ。


「神奈川県川崎市、東京湾岸エリア! ……放棄された、旧市営地下水路プラントの最深部!」


「……チェックメイトです、カロン」


 佐藤は冷え切ったモニターに向かって、静かに、そして絶対的な死の宣告を下した。


『……クックック。素晴らしい。おめでとう、処刑人さん。……だが、座標がわかったところで、君たちに何ができる? ここは要塞だ。来るというなら、極上の絶望を用意して待っているよ』


 プツン、と通信が途絶えた。


 佐藤はゆっくりと立ち上がった。

 その瞳には、ハッキング戦の疲労など微塵もない。あるのは、獲物の喉元をようやく捉えた狩人の、静かで熱い殺意だけだ。


「……グレタ。武器の準備はできていますね」


 リビングの奥で、無言でアサルトライフルのマガジンを装填していたグレタ・ヴァイスが、獰猛な笑みを浮かべて立ち上がった。


「ああ。いつでもいける。……たっぷりとお礼をしてやらなきゃな」


「田中君、小林先生、渡辺さん、紘子さん、彩さん。……あなたたちはここで、我々のバックアップと、被害者たちの安全確保をお願いします」


 佐藤は愛用の漆黒のジャケットを羽織り、ネクタイを締め直した。

 彼の足元で、いつの間にかルンバの巡回に飽きて目を覚ましていたダシが、「ミャウ」と短く鳴いた。


「留守を頼みますよ、ダシ君。……さあ、行きましょうか」


 佐藤任三郎とグレタ・ヴァイス。

 二人の処刑人が、姿なき殺人鬼の潜む地下プラントへ向けて、夜の東京へと出撃していった。

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