第二章 千代に蔓延る亡者へ
哲が去ってすぐ、墓地で怪しい人が襲って来たと華宿鶴とユク=ツウェルクから通報があった。
その時たまたま手が空いていたのが僕――諫だけだったから一人で墓地に向かうことにしたのだが。
「墓地ってどこにあるんだろう……?」
実は今日まで墓地があることを知らなかったくらいなので迷ってしまっていた。
食堂エリアと隣接している、というところまではいいのだが一人で食堂エリアを回るには如何せん広過ぎる。
早々に地図を見つけて場所を確認しようと思ったが墓地なんて不吉なもの地図に載ってるわけがない。
となると、道行く人に話を聞いて案内してもらうしかないのだがどうにも勇気が出なかった。
「どうしよう」
そうして諫が途方にくれていると日が暮れ始めてしまった。
夜に墓地に行くなんて肝試しめいたことはしたくはなかったが、場所を人に聞けない自分の不始末だと腹を括って走り出す。
赤色に染まった街が不気味に揺らめいた、気がした。
◇◆◇
諫がやっとの思いで墓地に着くともうすっかり日が暮れてしまっていた。
暗闇がところどころに燻る墓地は中々に雰囲気があり、若干怯んでしまう。
そこで諫が辺りを見回すと一人の少女が佇んでいることに気がつく。
諫はその少女が怪しい人物の正体だと思い、警戒しながら近づいた。
俯いた少女を覗き込むようにして見ると――
“顔が無かった”。
「うわぁ⁉」
諫が思わず悲鳴じみた声を上げると少女がピクリと反応する。
「……けて」
幽かな呟き声。
輪郭を持たなかったそれはやがてはっきりとした呻き声になった。
「あ、あああ……ニンゲン? 生きてるニンゲン?」
その言葉をキッカケに少女の姿はノイズがはしったようにブレ始め、薄透明な異形の“ナニカ”へと変貌を遂げる。
よく見ると少女一人ではなく、様々な“ナニカ”がそこには居た。
「羨ましい……! 妬ましい……!!」
「恨めしや、恨めしや」
「食ってしまおう、そうしよう」
“ナニカ”の様々な声が重なって不協和音が引き起こされる。
墓地にお化けが出るってあり得るんだ……⁉と諫が顔を青ざめさせていると、凛として芯の通った綺麗な声が冷水を浴びせるように墓地に響き渡る。
「鬼武諫か」
声の主は紫色の髪をポニーテールにして結び、蜂蜜色の涼しげな瞳でこちらを見つめてくる凛然とした顔立ちの少女だった。
意思は強そうだが幽鬼のように白い肌をしているので一瞬、彼女も“ナニカ”の一員かと勘違いしてしまうほどにその存在は儚い。
「どうして僕の名前を……」
知っているんですか、と言いかけて止まる。
鶴達から聞いた『少女』と『ポニーテール』という不審者の特徴と合致していたからだ。
「それは、こいつらから聞いた」
少女が指をさした方へと向くと、諫と同じシャンパンゴールドの髪を持った人型の有象無象がいた。
その“群れ”を見て血の気が引いた。
見てはいけないものを見てしまったような感覚。
それなのに目が反らせない。
見れば見るほど悪寒が強くなる。
「なんだ、これは……」
「お前であって、お前でないものだ」
ぐぢゅり、存在の奥深くまで手を入れられたような錯覚。
ああ、きっとこれを僕は知っている。
これは僕だ。
『鬼武家』の犠牲者達。
『当主の“陰”』として扱われた者達。
付属品としてしか見られず、無念のうちに殺された当代までの“陰”達だ。
手に力が入らない。
ただ見るだけで心が挫けそうになる。
だって、だってこれは未来の僕だ。
哲の“陰”として、リセから出たら殺されるに違いない。
期限付のモラトリアム。
針山の上の揺り籠。
――僕はどうすれば、いいんだろう。
◇◆◇
日和を雪菜達に引き渡してから、諫が墓地にいることを聞いた時には日が沈んでしまっていた。
「諫……!」
墓地に目掛けて突っ込んでいく形で入るとそこには血だらけになった諫とヒイラギがいた。
「日和はしくじったか」
「一体全体なんなんだよ!」
哲がヒイラギの胸ぐらを掴もうとすると、するりと躱された。
すると、一羽の黒い鳩がヒイラギの元へ飛んできた。
ヒイラギは鳩の足に括りつけられた手紙を読むと大急ぎでその場を去ろうとする。
「どこ行くんだ」
「呼び出しを受けた。帰る」
「てめぇ!」
ふざけるなよ、と言おうとした哲の前に大きな“ナニカ”が立ち塞がった。
哲は即座に魔法を使い、足元に転がっていた石を弾丸のように蹴り出すが“ナニカ”が打ち破られた先にはヒイラギの姿はなかった。
◇◆◇
「これは重症だ」
何とか頼み込んでクラス交流会の時に知り合ったネクタル=アンブロシアに諫の治療をして貰えることになった。
哲は保健室に行くよりも、ネクタルに治療を頼んだ方が諫の容態的に助かる確率が高いのを知っていた。
「待っていて、今治してあげるからね」
ネクタルがポケットから取り出したカッターナイフで自分の手首を切る。
そして出てきた血を諫の全身へと塗りたくった。
ネクタルの魔法は『血が万能薬になる』魔法だ。
何度見ても双方共に痛々しい治療だが、今は目を瞑るしか出来なかった。
「ごめんな、痛いだろ?」
「大丈夫。これも直ぐに治っちゃうからさ」
痛いのは否定しないあたりに申し訳なさを感じる。
哲は罪悪感に耐えきれなくなって「今度何か奢るよ」と弱々しく付け足した。
「……ここは、」
傷が完全に塞がった諫が目を覚ます。そして、何かを探すように辺りを見回した。
「諫! 大丈夫か?」
「痛みはないけど、どうして?」
軽く手を持ち上げて傷があった場所をまじまじと見つめる。
あんなに怪我したはずなのに、と不思議そうに首をかしげる。
そこでネクタルが小さく手を上げて「哲くんに頼まれて僕が治したんだよ」と微笑んだ。
「あの傷を全部? ありがとうございます」
「うん、全部。それが哲くんのお願いだったからね」
ネクタルが体を揺らして「ねー」と上機嫌に哲へと話しかける。
哲はそれに対して「ああ」と返事をしてネクタルの頭を撫でた。
彼と保健室で話して以降、どうやら懐いてくれているようだった。
自分がわからなくなって自暴自棄になっていたネクタルに『痛い時は我慢しなくていいんだ、自分を大切にしろ』と言った身としては、今回のことは申し訳ないばかりなのだが。
「助かった。ありがとな」
ネクタルは返事の代わりに微笑みをたたえ、唇に指を当てると「大丈夫、忘れてないよ。あの言葉」と言った。
「それは上々。じゃあこの辺でお暇しますか」
「おやすみ。気をつけてね、最近何かと物騒だからさ」
哲達はネクタルの家を後にし、自分達の家へと歩みを進めた。
◇◆◇
「兄さん、ごめん。迷惑かけちゃって」
ネクタルの家を出て早々、神妙な面持ちをした諫がそう言って謝った。
「そんなことないさ。お前が無事なら俺は良いんだからさ」
「でも、僕足手まといだ。彼処で……」
「日和の時はお前が捕まえてくれたろ? 足手まといなんかじゃないよ」
哲はそう言ったが、諫はまだきまりが悪いようで俯いた。
諫は少々自分に対してあたりがきついように感じる。本当に足手まといなんかじゃないのに。
「にしても、ヒイラギはどうするかな」
「ヒイラギ、って?」
「ああ、あの悪霊使いの女の子のことだよ」
「悪霊使いなんだ、あの人」
ヒイラギと実際に対峙した諫が合点のいった様子で納得する。
悪霊といっても様々な種類があり、一筋縄ではいかないだろう。
何か打開策があればいいのだが。
「あ、九字切りとかどうかな。陰陽道の」
「なんだそれ?」
「『臨、兵、闘、者、皆、陣、烈、在、前』って言って手刀で空を切るやつ。昔ながらの退散方法だよ」
諫が人差し指と中指を伸ばして手刀を作り、左腰あたりに構え、空を切る。
陰陽道はよくわからないがなんとなくかっこよかった。
「それ実際にやって効いた?」
「試してない。他のことに気を取られてて」
「そっか、じゃあ陰陽道の使い手とかにヒイラギを倒してくれって頼むか? というかいるのかなそんなやつ」
「そういえば貴船さん、陰陽道系の神社だって言ってたような……というか、力の源が悪霊ってわかるなら僕の魔法が効くかも」
諫の魔法で相手の魔法を制するには相手の力を理解しないと使えない。
そのせいで抵抗した際の魔法が効かず、まんまとやられてしまったのだ。
「そうか、じゃあ貴船さんに支援を頼んで諫と俺でなんとかするか」
「そうだね、それがいいよ」
小さな作戦会議は家に着いたことで終了となる。
打開への糸口を手に入れた気がして、二人とも少し安堵した。
◇◆◇
「事情はわかりました! 悪霊退散……いや、いっそのことこの土地ごと浄化してしまおうかしら」
「そんなことできるのか?」
「もちのろんです! 今日は最高に星が揃ってるし出来ますよ」
星羅が満面の笑みで頷く。
彼女の持つ魔法は『星魔法』と呼ばれる特殊な魔法で、星辰によって使える魔法が異なってくるという珍しいものだ。
「ヒイラギは一応呼び出してみたが来るかな」
「星占いだと『待ち人来る』ですよ! 大丈夫みたいですね」
「占いまで出来んのか、凄いな」
おまじない程度ですけどね、と星羅が付け足して親指を立てる。どうにもハイテンションな子らしい。
「そう言っているうちに来たみたいだよ」
遠見の魔具で見張りをしていた諫が静かに呟く。
「最終確認、貴船さんが浄化の魔法を完成させるまで僕らが時間稼ぎってことでいい?」
「オッケー! わかりました!」
「ああ、わかった」
星羅と哲が思い思いに返事をする。
諫は本当に大丈夫かなあと思ったが口に出さないでおいた。
ヒイラギがついに肉眼で捉えれる距離へと迫る。
「では、儀式を始めます」
「ふん、今度は三人がかりというわけか」
ヒイラギは星羅を無視して諫の方へとレイピアで切りかかっていく。
「勅――」「そうはさせん!」
諫が呪文を唱えようとした刹那、悪霊達が襲いかかる。
統率のとれた動きに個人というより何かの軍団の相手をしているように思えた。
諫の後ろで待機していた哲が魔法で竜巻を起こしてレイピアを搦め捕ろうとする。
しかし、狙いはブレ、突風が駆け抜けただけになり、ヒイラギの斬撃が僅かに諫を掠めた。
「鬼武哲、お前の技は大雑把すぎる。細かい調整は苦手だろう?」
ヒイラギが地面から鯰のような姿をした悪霊を呼び出す。
悪霊は地面を削りながら哲の方へと突進すると同時に電撃を繰り出した。
咄嗟に一撃、二撃は相殺したが残る三発目は哲の体に直撃する。
「ぐあああ!」
痺れが体を駆け、身体の一部を焦がしていく。肉の焼ける匂いがつんと鼻腔を刺激した。
痛みが脳を支配するが、何とか抑え込み鯰型の悪霊を吹き飛ばした。
「せいぜい処理は二個が限界だろう」
ヒイラギは諫に攻撃を加えつつ、ぽんっとファンシーな音をさせてぬいぐるみ型の悪霊を次々に召喚していく。
ぬいぐるみ型の悪霊は次々に爆発しだし、多方面からの攻撃を哲に繰り出していった。
「鬼武諫、お前は魔法に頼りすぎる」
今だって丸腰だ、と言って諫の喉を狙うようにレイピアを突き出す。
諫はそれを慌てて避け、後ろへ走り出す。
「勅――魔法の使用を禁じる!」
「罰――魔力の暴走!」
やっとのことで距離を取り、呪文を口にするがヒイラギは気に留めた様子もなく諫へと距離を詰めていく。
「魔法を禁じたところでポチやタマ……悪霊たちは止まらんぞ」
「なんなんだよそのネーミングセンス!」
ヒイラギの影からうぞうぞと不自然なほど真っ黒い蜘蛛や、牙をむき出しにした血走った目をしている犬などがどんどん出てくる。
「む、魔法で封じていた分が溢れかえって来たな」
「どれだけいるんだ……よっと!」
哲が魔法で岩を投げ飛ばし悪霊たちを追い払おうとする。
しかし、数いる悪霊たちに触れたことによって黒ずみ、脆く腐敗していった。
「げぇ……」
思わずといった風に哲がそう呟いてしまう。
それでもめげずに物を投げつけるが、木も岩もすぐに腐ってしまった。
「兄さん、火をおこして!」
「よそ見している暇はないぞ」
諫が叫んだ直後、ヒイラギのレイピアが諫の脇腹へと突き刺さった。
「ぐぅ……!」
突き刺さったレイピアを離すまいと諫が刃を握りしめる。手のひらが血で滲んだが武器を奪ったことによってヒイラギの動きが鈍った。
その隙に哲が魔術で火をおこし、魔法で火の勢いをブーストさせていく。
最終的に諫とヒイラギ、そして哲と悪霊たちの周りを囲むように炎の壁が出来る。
「貴船、今だ!」
星羅が何かに願いを伝えるように両の手を組むと、強く星が瞬いた。
「『万代に斯くしもがも』」
「『神代への畏れ在り』」
「『千代に蔓延る亡者へ』」
「『罪代の機会を』」
「『此れより下すは星辰の神罰』」
「『浄、浄よ』」
「『星光届く地に不浄の地はあらんと思え』」
「――『星浄』!」
金の粒子が舞い上がり、この場を覆い尽くしていく。
星羅が手を天へと翳すと粒子は五芒星を描いて、地へと刻印するように地面へ振り下ろされた。
◇◆◇
哲たちはヒイラギに話を聞くために場所を生徒会室へと移した。
扉を開けると、日和を拘束しているクライストとげんなりしている雪菜が目に入った。
「やっと来たわね」
「ろくに事情も話さず……すみません」
哲が雪菜に謝罪する。
それから詳細な事情を話しだした。
「……それで、昏倒事件の犯人がこの人です」
「そう、わかったけど……諫くんは大丈夫なの?」
当の本人である諫は自分に話を振られるとは思ってなかったらしく、「へ?」と素っ頓狂な声をあげた。
「クライスト、『喰べて』」
「いただきます」
クライストが諫の傷口に向かって口を広げる。
そして見えない牙が諫の脇腹へと突き立てられ、霧散した。
「今のは……?」
「傷口を『喰った』。確認してみろ」
クライストに指示された通り諫が傷口を見てみると綺麗さっぱり傷口が消えていた。
こんな便利な使い方もあるのかと少し感心してしまう。
日和は捕まえられたヒイラギを見て、ニコニコとバカにしたような笑みを浮かべた。いい気味だ、とでも言いたげに日和は鼻を鳴らす。
「アンタもやられちゃったの?」
「うるさい」
ヒイラギは我関せず、といった様子でそっぽを向いてしまった。
もしかするとこの二人はそこまで仲良くないのかもしれない、そう思わせるには充分な応酬だった。
「どうしてこんなことをしたんだ? 二人とも」
哲がそんなヒイラギと日和に話しかける。
しかし、ヒイラギは頑なに口を開かなかった。
「あのなぁ……」
ラチがあかない、と哲が溜め息を吐いた時、日和が観念したように話しだした。
「留さんに頼まれてやったの。それ以上のことは何もないよ」
「例の『黒宮留』か。何で俺達を殺そうとするんだ?」
「知らないよ、そんなこと」
日和がふてくされたように頬を膨らませる。
どうやら本当のことらしい。なぜかそんな確信があった。
「まあいい、昏倒させた人達を元に戻してくれ。ヒイラギ」
「……わかった。負けたのだ、文句は言うまい。だが、魔法を使えるようにせねば出来ないぞ」
ヒイラギが眉をひそめて己の掌を見た。
諫は渋々といったようにヒイラギにかけた魔法を解除する。
「勅を解除しました。これでいいでしょう」
ヒイラギが「悪霊たちよ、戻れ」と言う。すると、四方八方から集まった大量の黒い靄がヒイラギの影へと収納されていく。
「これで昏倒状態は解除された。もうじき皆、目覚めるだろう」
◇◆◇
ヒイラギは自室に戻ると黒い宝玉のような通信機を取り出した。
「留様、すみません。任務を遂行出来ませんでした」
「そっか、失敗しちゃったんだね」
黒々とした慈愛の微笑みをたたえて、留が通信機越しにぽつりと呟いた。
ヒイラギは己の無力さに失望しつつも、留の言葉一つ一つを聴き逃すまいと耳を傾ける。
「内部から崩壊させたかったけど、まあいいや」
あーあ、と欲しかったおもちゃが手に入らなくて残念がる子供のような声色を覗かせて留はヒイラギに言葉を紡ぐ。
「これからリセ生活楽しんでね、ヒイラギ」
事実上の解雇通知。
ヒイラギにはそのように感じた。
ヒイラギは思わず言葉を口に出そうとしてしまうが何とか思いとどまる。
「御意。全ては留様の御心のままに」
ヒイラギがそう言うと、くすくすといった少女の笑い声が聞こえ、通信が終了する。そして黒い宝玉はヒビ割れて壊れてしまった。
これでもう、ヒイラギは留と連絡は取れない。
ヒイラギは期待に応えられなかった己への怒りを募らせて、割れた宝玉を大切に箱の中へとしまったのだった。