【第33話】静寂の部室と忍び寄る異変
伊邪那岐学園は、昨日の勧誘大戦争が嘘のように、穏やかな空気に包まれていた。
廊下を歩けば、部活動へ向かう生徒たちの足音が軽やかに響き、窓からは夕日が差し込み、世界をオレンジ色に染めている。
どこにでもある、平和な放課後の光景。
……の、はずだった。
俺、神代和希は、その空気の中に、微かな違和感を感じていた。
それは音でも、匂いでもない。
感覚の奥に引っかかるような、説明のつかないズレ。
まるで、世界そのものが、ほんの僅かに歪んでいるような――。
「……気のせい、だよな」
小声で呟く。
だが、その声は自分でも信じきれていなかった。
「和希、どうしたの?」
隣を歩いていたリリシアが、不思議そうに首を傾げる。
銀色の髪が、夕日を受けて柔らかく輝いた。
俺は慌てて視線を逸らす。
「いや、何でもない。……今日は静かだなって思ってさ」
「ふふっ、昨日が騒がしすぎたのよ」
咲季が肩を竦める。
「でも、その分、今日はゆっくりできそうね」
「……それ、フラグじゃないよな?」
「安心して。私が保証するわ。――絶対、何か起きるから」
「だからやめろって!」
軽口を交わしながら、俺たちは図書室へと足を運ぶ。
文芸部の部室は、その奥にある。
扉の前に立った瞬間、外の音が遠ざかったように感じた。
そして、静かに扉を開ける。
――そこは、別世界だった。
静寂。
紙の匂い。
頁を捲る微かな音。
時間が緩やかに流れているような、穏やかな空間。
「……綺麗」
リリシアが、小さく息を漏らした。
窓際に歩み寄り、一冊の本を手に取る。
その仕草は、どこか儀式めいていて、神聖ですらあった。
「……お姉様、ここ……悪くないわ」
ベルリナも、素直に感想を漏らす。
昨日までの高圧的な態度とは違い、少しだけ柔らいだ声だった。
文芸部の部長が、静かに近づいてくる。
「気に入っていただけたようで何よりです。……ここでは、言葉を大切にしています」
その言葉には、確かな重みがあった。
「言葉……」
リリシアが、小さく繰り返す。
「言葉は、人の心を癒し、救い、時に傷つけるものでもあります。……だからこそ、丁寧に扱うべきものです」
部長の言葉に、リリシアは真剣な表情で頷いた。
「……私も、書いてみたいです。誰かの心に、届く物語を」
その瞬間、部室の空気が、ほんの僅かに震えた。
俺は、その変化を見逃さなかった。
……まただ。
昨日から続いている、この違和感。
「試しに、書いてみましょうか」
リリシアは、部長からペンを受け取り目の前に用意された白紙に向かう。 そして静かに息を吸い――ペンを走らせる。
「昔、光に愛された少女が――」
その言葉が紡がれた瞬間。
世界が、応えた。
ふわり、と空気が揺れる。
紙が舞い、文字が淡い光を帯びる。
「――待て、リリシア!!」
俺は反射的に彼女の手を掴んだ。
光は、すぐに消える。
だが、残ったのは――明らかな異常だった。
沈黙。
全員が、息を呑む。
「……今の、何ですか」
部長が震える声で問う。
俺は即座に笑顔を作った。
「演出です!! 最近の新技術で!!」
「和希、どうしたの?」
どうにかその場を収めた俺たちは、足早に図書室を後にした。
――そして。
そこで、決定的な異変を目にすることになる。
夕焼けの空。
その一角が――裂けて開き、眼を覆わずにはいられない程の閃光が学園を包み込んでいく。
現実を侵食する異質な存在。
だがその光りは、ほんの一瞬で消えた。
「……見たよな!?」
「はい。空間の異常を確認しました」
逃れようのない現実が、そこにあった。
俺は、静かに拳を握る。
「……始まるぞ」
平和な日常は、音もなく崩れ始めていた。
そしてその中心に、俺たちはいる。
逃げることはできない。
――これは、新たな戦いの前触れだ。
閃光は収まったが俺が持つ光りのペンが強烈な振動を伝えていた。
踊り場に座り込んでいた生徒たちが、一斉に顔を上げる。
その瞳には、昨日まであったはずの『日常』の輝きは、無い。
「……止まらない」
俺は、苦渋に満ちた声で呟いた。
俺の『中断』の文字は、本の表面で弾かれ、黒い霧となって散った。
物語は、俺の意志を否定している。
再び空が裂け......いや違う!......正確にいえば巨大な本のページが開かれた!
「和希! 次が来るわ!」
異変に気づいた咲季とステラも駆けつける。
本から溢れ出た文字たちが、空を覆い尽くそうとしていた。
それらは、まるで意志を持った生物のように、俺たちに襲い掛かる。
「私が迎え撃つわ! ベルリナ、援護して!」
リリシアが前に出る。
彼女の杖から放たれた魔力の光が、空を舞う文字の群れを薙ぎ払う。
ベルリナも、流麗な動きで魔法陣を展開し、飛び来る文字を弾き返した。
「お姉様、……この感覚、何かに似ているわ」
「ええ……! 物語の構成そのものが、私たちの記憶を書き換えようとしている……!」
リリシアの額に、大粒の汗が流れる。
「ステラ、解析はまだか!」
「……論理構造の中心核を特定! マスターの言葉を強制介入させるルートを見付けました!」
ステラの指示が、冴え渡る。
「今です! マスター!!そのペンに全エネルギーを込めて……! この物語を、書き直してください!」
俺は、光のペンを握り締める。
襲い掛かる文字の嵐を抜け、踊り場の中心へ、全力で跳躍した。
空に浮かぶ『本』の前で、俺は叫んだ!
「――結末を変えてやる! 俺たちの日常は、誰にも侵させない!」
俺は、空に向かって思いの全てをペンに託して刻み込んだ。
その瞬間、白い光が校舎を震わせ空に浮かぶ巨大な本が、激しく光を放つ、。そして次の瞬間、粉々に破れ散った。
学園に静寂が、戻る。
踊り場の生徒たちが、糸を断たれた人形のように、その場に崩れ落ちた。
俺は、光りのペンを持ったまま、膝を突く。
「……勝った、のか?」
頭上から、夕日が優しく差し込み俺の足元では、散り去った本の欠片が、怪しく、青い火花を散らしていた。
(第34話へ続く)




