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ラストはサミュエル視点です。
私、サミュエル・ヴィスタークは父に殴られた事がない。
父は物静かで冷静沈着な人であったし、私自身も父のようにありたいと己を律してきた。悪戯などした事は無いし、常に礼儀と理を重んじてきた。
だから「お前のせいだ!」と真っ黒な隈をこさえた父に、頭に拳骨を落とされて思わず笑ってしまった。
「父上が取り乱しているなんて!」
「笑い事か!」
ちなみに親子そろって三日間徹夜をしている。
なぜって、王太子殿下が婚約者、フィーネリア嬢の誕生日を祝うのだと突然言い出したからである。
それも、ただのパーティーではない。
ラジーアント家の誕生日パーティーは予定通りに行い、その翌日にもう一度、パーティーをするのだという。
意味が分からない。
無茶苦茶で、出鱈目で、迷惑でしかない思い付きが、どうやって通ったのか。殿下は王の弱みを握っているのでは、と誰も口には出さず青ざめたらしい。
殿下は活き活きと走り回った。
料理のメニュー、人材の確保、警備、あれそれの根回し…数え切れないほどの工程を、たった一人でこなした。もちろん、国の予算ではなく私財で全て手配したというのだから天晴である。
その執念には感心するが、その間、殿下の本来の仕事は全て父と私に回されたので笑えない。
「パーティーを二度やる意味?なに、俺の婚約者たるフィリアに、日ごろ喧しい連中がどこまで誠意を見せてくれるのかと思ってな。膿を出す良い機会だろう?それに、今年はリンの葉が豊作すぎて、値崩れしそうだというじゃないか。過剰分を回収して、それを使った料理を王城だけではなく、街にも振舞うのだ。最近、聖女様のいる神殿に良いところを取られているからな。たまには王家で派手な事をするのも良いではないか。次期、王と王妃は国を愛して止まないのだと伝えよう」
「次期王妃はフィーネリアしかいない。フィーネリアは自分のものだと叫ぶのだ!」
の間違いでは、と私は思わず笑い、「お前のせいだ!」と父に殴られた。
「おまえ、フィーネリア嬢と噂になっていただろう!殿下は王として立派な器を持っておいでだが、フィーネリア嬢に関してはショットグラスほどの器しかないのだぞ!」
「フィーネリア嬢の名誉のために言えば、私と噂になっていたのではなくて、私がフィーネリア嬢に想いを寄せていると噂になったんですよ」
「訂正するところが違うだろう…」
こんなに取り乱す父は初めて見た。頭を抱える父の背中が初めて人間らしく見えて、恋とは凄いなあと他人事のように思ったものだ。
と、私がしみじみ実感するのは、この馬鹿馬鹿しい二度目の誕生日パーティーの日。フィーネリア嬢の眩いドレスを目にしたからだ。
前日、ラジーアント家のパーティーには、結局私は家族で参加した。
エリーザは城に仕えている上級魔術師殿と参加しているようだった。薄いピンク色の愛らしいドレスは彼女にとてもよく似合っていて、まさに聖女のように清らかだ。
対して、エリーザと挨拶を交わすフィーネリア嬢は、紺色の大人びたデザインのドレスが美しく、毒々しい。
互いの両親が話している隣で、物言いたげなアイスブルーに私は微笑んだ。
「今日もお美しいですね」
「…よく言うわ」
じとりと疑わし気に睨む顔に、思わず笑ってしまう。
何せ、これまでお互いに良い感情はなかったうえに、彼女に想い人について相談をしてきた身だ。
「本心ですよ。先日はお伝えしそびれましたが、ブルーの口紅もとてもお似合いです。貴女の凛とした美しさが引き立ちますね」
「サミュエル様、何か悩みがおありなのでは?」
「おや」
正気を疑うとばかりに、不機嫌そうに眉を寄せて睨みつけながら、憎まれ口を叩くくせに。
頬がうっすらと赤い。肌が白いからよくわかるなあと、私は笑った。
「生涯、貴女と共に殿下をお支えしたいと覚悟を決めただけですよ」
ぱちん、と瞬くブルーの愛らしさを、殿下はずっと知っていた。
それから、きっと誰にも知られたくはなかったのだ。
だからショットグラスな殿下は、このドレスを彼女に贈ったのだろう。
「…わたくし、白って似合わないと思わない?」
二度目の誕生日パーティー当日。
立ち寄った貴賓室で、フィーネリア嬢は真っ白の生地に、キラキラと輝く緑の糸で刺繡された、不思議な色合いのドレスを纏っていた。
いつも、自身の色と調和が取れた紺や青のドレスを着る彼女のそれは、まるで花嫁衣裳のようだ。
「似合わない、と言いたいところですけどね」
「何よそれ」
誰かさんの花嫁になることが一目瞭然の白にも見えて、誰かさんの瞳と同じ薄緑にも見える。
そんなドレスをそっと撫でるフィーネリア嬢は、ふてくされたように言うけれど。
「…嘘ですよ。今までで一番、お美しいです」
「貴方が優しいと気持ちが悪いわね」
くす、と笑う顔は、誰かさんの執着を、軽やかに美しく着こなしてみせるのだから敵わない。
「貴女のように美しい方を自分のものだと自慢できて、殿下はさぞお喜びでしょう」
思わず笑うと、フィーネリア嬢は「あら」と唇を上げた。
ざわりと肌を撫でるような、冷たいアイスブルーの瞳と、揃いの唇。
「わたくしは、わたくしのモノでしてよ?」
ふふ、と歌うように笑う、高飛車な声。
「そして、わたくしが一番愛しているのは国民で、二番目は国。殿下は三番目なの」
内緒にしてね?と囁くように言う、妖艶な微笑み。
ああ、なんて人!
声を上げて笑う私を、「大丈夫かこいつ」とでも言いたげな顔で見る貴女が、おかしくって仕方がない。
女とは、なんと欲深で美しい生き物だろう。
貴女のために奔走する私も、父も、殿下ですら、その美しさを引き立たせるアクセサリーにしかならない。
まるで、アイスブルーの口紅のように。
「聞いてくれますか」
我儘で強欲で悪女と評判の彼女は、けれど「なあに?」と私の話をきっと、これからも聞いてくれる。
どんなにくだらなくて情けない話だろうと、迷惑そうにしながら聞いてくれるのだ。
「私もこの国に恋をしました」
「まあ、それは素敵!」
屈託なく笑う強欲な彼女を、唯一その腕に抱くことを許された強欲な男を、欲が咲き誇るこの国のすべてを、満たす者になりたい。恥もプライドも、恋の前に投げうつことは存外、得意だと知った。
私は見たい。
誰も彼もが、私の手の上で欲を叫ぶ姿を、目を閉じる最後の瞬間まで!
最後まで読んでくださって有難うございました。
また、皆様のおかげで素敵なお話をいただけましたことを改めてお礼申し上げます。
本当に有難うございました!!!