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戦国野望  作者: 丸に九枚笹
第五章
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第五章 88話 足利家と大峰家

1554年5月11日続き


広心「今まで皆に話していなかったことには

いくつか理由があるが、最も大きな理由は我が父がそれを望まなかったからだ。

それを知った上で聞いて欲しい。全てを話そう。


先程のお話にあったように、義輝様は義晴様の子であり、義澄様の孫だ。その義澄様の親は政知様であり、堀越公方様であったことは皆も聞いたと思う。


堀越公方家の話だ。

義澄様には、二人の兄弟がいた。異母兄の茶々丸殿と、同母弟の潤童子殿だ。色々な説があるようだが、この三人の兄弟は年も近く、仲が良かったそうだ。


茶々丸殿の母親は地元伊豆の武士の娘で、そんなに高い身分の者ではなかったらしい。義澄様、潤童子殿の母親は京から嫁いだ武者小路隆光殿の娘だった。


この円満院様は、自分が産んだ子ではない茶々丸殿のことも我が子として可愛がっていたそうだ。

そして、茶々丸殿が堀越公方となることが決まっていたため、次男の義澄様は、父の政知様と同じく京の天龍寺香厳院で出家することになった。


しかし、京では、細川政元殿が自分の言うことを聞かない10代将軍義稙様の代わりを探していた。その細川政元殿に義澄様は見つかり、利用され、11代将軍になることとなった。


円満院様にとっては、京から田舎である伊豆の堀越に行き、半ば人生を諦め、それでもその時を生きることに満足して、政知様や子供たちと精一杯楽しく暮らしていたのだが、急に自分が産んだ子が足利家宗家の征夷大将軍になることが決まったのだ。喜びはいか程だったかわかるだろう。


それを周りに利用された。

京から円満院様に付けられて伊豆に下った者たちには、京の華々しい世界から伊豆の田舎へ行ったことで、京では果たせなかった権力への執心があった。その者たちが、せめて堀越公方様の元で権力を振るおうと、茶々丸殿ではなく、円満院様が産んだ潤童子殿が堀越公方様になることを画策したのだ。円満院様はその者たちに唆され、自分の産んだ子が、京の公方様と、堀越公方様になることを夢見てしまった。


そこから、円満院様は政知様に潤童子殿を後継にすることを何度もお願いし、自身は茶々丸殿を遠ざけるようになった。

家臣たちも二つに割れた。

京から来た武者小路家の家臣たちは茶々丸殿を暗殺しようとさえし始めた。それを見かねた政知様が、幽閉という名目で、茶々丸殿を守るために隠したのだ。武者小路家から来た者たちの中には、土御門という名の者がおり、その者のように公正に物事を判断し、円満院様を諫める者もいたのだが、茶々丸殿か幽閉されたことを潤童子殿が後継に決まったと勘違いした武者小路家の家臣たちがほとんどで、あろうことか政知様を暗殺してしまった。


それに怒ったのは茶々丸殿始め、堀越公方家の家臣たちだ。堀越公方家は、茶々丸派と潤童子派に別れて争うことになった。


京では、実家の内紛を聞き、義澄様が心を痛めておられた。このままでは、身から出た錆とは言え、自分の生母と同母弟が殺されるかもしれない。

義澄様と潤童子殿は特に仲が良かったそうだ。


何とかならないかと考えに考えた義澄様は、権力抗争に明け暮れている将軍家の家臣たちには相談出来ず、悩んだ末に、天龍寺の時に見知っていた出入りの商人にお願いすることを思い付いた。

その商人を呼び、母と弟をどこかに逃し隠して欲しいと頭を下げて頼んだのだ。将軍に頭を下げられて驚いた商人は、それを承知し、自身の本家である武家が仕えている主家の武士に相談し、そこに逃がすように手配をした。


茶々丸殿を幽閉したとされていた屋敷から出した堀越公方家の家臣たちは、武者小路家の家臣たちを襲い、討ち取ってしまった。その際に、円満院様と潤童子殿も殺されるところだったが、義澄様から依頼を受けた商人と相談を受けた武士たちがなんとか間に合い、その者たちによって助けられ、落ち延びて行った。最後まで公正の立場を取っていた土御門という名の者だけが潤童子殿を守るために同行した。だが、堀越公方家の家臣たちは、茶々丸殿が堀越公方様を継ぐことを宣言するために、茶々丸殿が円満院様と潤童子殿を討ち取ったとしたのだ。


そして、円満院様と潤童子殿を助けた者たちが向かった先は、信濃だ。



ここまで話せばわかるな。

その商人とは八善屋のその時の主。甚右衛門の祖父だ。そして、武士たちとは、わしの祖父と、当時の代の室賀、山下、中村たちだ。


その当時、わしの祖父には娘しかいなかった。そこで、足利家の紛争から遠ざけ、身柄を隠すために、潤童子殿を清という自分の娘と結婚させ、大峰信知と名乗らせたのだ。それがわしの両親だ。


わかっただろうか?義輝様の親の義晴様と、わしは従兄弟ということになる。そして、義輝様と右京は又従兄弟となる。わしの名乗りである、信義の義の字は、義澄様から偏諱を頂いたものだ。


我が父、信知は、恩義がある大峰に迷惑がかからないようにするため、自分が足利家の出身であることを隠した。これが、このことが秘密にされていた理由じゃ。

そして、自分の命を救ってくれた兄義澄様に恩返しをしなければと、足利将軍家に何かあった時には一族全てが命を投げ打って駆け付けるようにと決めた。これはわしの祖父も了承している。


山崎の戦いの時のことを思い出してくれ。これは予想していなかったが、武衛のおかげで足利家へ少しでも恩返しをする機会となった。

右京があれほど早く京に到達したのも、武衛を守りたいというのはもちろんだが、足利家への恩返しのためでもあったのだ。


あの日の夜、右京から義輝様にこのことをお伝えしたことによって、義輝様に武衛の烏帽子親となって頂き、再び足利家将軍から大峰家の嫡男が偏諱を頂くことになった。そして、二つの家の結び付きを強くするために、義輝様のお申し出で、義輝様の妹の詩殿を武衛の正室としてお迎えすることになったのだ。


そして、これは大峰家の話だが、ここまで話したので話しておこう。


室賀、山下、中村の、備後、兵庫、主計の父たちは、わしの弟たちだ。もう三人とも亡くなってしまったが、大峰家と同じようにちょうど娘しかいなかった三家老家に、父が恩を返すためにと、それぞれの娘と結婚させ息子たちを養子にしたのだ。

だから、備後、兵庫、主計はわしの甥にあたる。


安倍家は、先程の話に出てきた土御門家に、これも父が息子を養子に入れて継がせた。姓を変えたのは、元々、土御門は安倍晴明でも知られた安倍家の出身だったので、姓を変えたと言うより戻したのだ。


戸田家も同様に父がわしらと母は違うが、息子を養子に入れた。

当時、足利家の子が信濃に来たということを知った戸隠衆の棟梁が、娘を側室にと送ってきた。

父とそのお方との間には二人の子が産まれた。一人は隼人で、戸田家を継いだのだが、実は隼人は弟で、本当は兄が継ぐはずだった。

しかし最初、戸隠衆の棟梁家に他家から養子を迎えることに里から反対が多かったため、理解を得るために時間がかかった。そのため、戸田家を継ぐはずだった兄は、戸田家を継ぐことが出来なかったのだ。そして戸隠衆の二番手の家、大岩家を継いだ。先日腹を切った又右衛門もわしの弟じゃ。そして隼人の同腹の兄になる。だから、又兵衛もわしの甥じゃ。


以上、これが我ら大峰家の話だ。



最後に、なぜこれが京で知られているかだが、おそらく、その三春丸殿を探した時に、足利家の一族を調べた者がおるのだろう。そして、天龍寺の小者だった老人などが喋ったのではないだろうか。


まあ、もはや秘密にすることもないがな。

これで色々とすっきりしたわ。」


そう言うと祖父は大きな声で笑い出した。



いやいや。


色々驚き過ぎて何も考えられん。



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