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尋問

 前坂市の市役所付近にある閑静な住宅街。その一角にある芭蕉さちえの自宅にて、子犬型魔法生物イチゾウはただ独り、聖天界からの通達を辛抱強く待っていた。

 芭蕉ひよりが何者かによって殺された以上ここに留まる理由はない。聖天界から新しい魔法少女を担当するよう指示が来るはずだ。

 ――くそっ、なんでこの俺がたらい回しにされなきゃならないんだ。

 普段の無表情を珍しく崩し、イチゾウはチッとひとつ舌打ちをする。

 イチゾウは聖天界最大派閥であるザファエル派のエリート魔法生物だ。語学魔法共に優秀で、派閥内部でも様々な根回しを繰り返して自らの地位を常に確保してきた。まだ若輩ではあるが将来の幹部候補であるという自覚もある。

 ――これもすべてゼロムのせいだ。あいつさえいなければ、俺が桜桃ひよりの担当になれたものを。

 有力魔法少女を担当したことがない。それがイチゾウに足りないほとんど唯一といってもいいキャリアだった。魔法生物にも箔というものが必要だ、少なくとも一度は大きな功績を持つ魔法少女を担当しなければ、これ以上の出世は望めないだろう。

 桜桃ひよりの存在は、そんなイチゾウに降って湧いてきた絶好の好機だった。

 生来の高い魔力適性と常人では持ち合わせない独特な感性を併せ持ち、将来有望であることが判明した大魔法少女の卵。イチゾウはそんなひよりにいち早く目をつけ、自らが担当になろうと裏で画策した。

 もともと得意な根回しは無事成功し、イチゾウが桜桃ひよりの担当魔法生物になることは九割九分決定していた。

 それを根本から覆したのが対抗派閥であるタルターニャ派である。

 ザファエル派議員が議会にて桜桃ひよりの担当をイチゾウにしようと提案した瞬間、タルターニャ派が「なぜ自らがスカウトしたわけでもないザファエル派に優先的に魔法少女の担当を割り振る権限があるのか」と猛抗議してきたのだ。それは当然といえば当然の抗議ではあるが、今まで沈黙を保っていた魔法少女人事に突然介入してきたのは、桜桃ひよりの稀に見る高い才能に目をつけたからに他ならなかった。

 会議は紛糾した。事態は一魔法少女の人事の域を超え、大派閥同士の意地と意地のぶつかり合いへと発展し、もはや収集がつかない状態へと陥っていた。これほど評議会が荒れたのは近年稀にみる異常事態だった。

 そして――実に数週間にも及ぶ激しい口論の末、他派閥からの推薦もあり、疲弊した両者はある意味では当然ともいえる帰結へと到ることとなった。

 桜桃ひよりをスカウトした魔法生物が彼女を担当するのがスジである――と。

「くそったれ!」

 イチゾウは声を荒げ、今や使う者のいなくなった勉強机に前足を叩きつける。この部屋にはもう誰もいない。無口無表情の冷たい仮面を被る必要もすでになくなっていた。

 ――こっちは最大派閥だぞ。ケンカを続けりゃあ、いずれは勝ってたんだ!

 他派閥がでしゃばって折衷案など出さなければ――いや、そもそもゼロムさえいなければ、すべてが俺の思惑通りになっていたものを。

 ゼロムがスカウトしていなければ、そもそも桜桃ひよりは魔法少女になってすらいないのだから逆恨みにすぎないのだが、イチゾウはノンキャリアでどこの派閥にも属さず一匹狼を気取る彼に手柄を横取りされた気がしてどうしても許せなかった。ひよりが聖天界で評判が悪い理由の半分は、イチゾウの憂さ晴らしを兼ねた報告にある。

 ――何の努力もしていない無能のカスに俺のキャリアを奪われるなんて……嫌がらせでもしてやろうかと同じ地域の担当になったのはいいが、たまたま宛がわれたのがこれまた何の才能も感じられない無能のクズだ。

「おまけに勝手に死にやがって、担当魔法生物としての責任を追及されて俺の経歴に傷がついたらどうしてくれる!」

 今まで挫折というものを知らず順風満帆な人生を送ってきたイチゾウにとって、それは初めて訪れた逆風だった。

 しかしイチゾウはすぐに思い知ることになる。人生の盛衰は海の天候よりも変わりやすい。逆風程度に思っていた風は更に逆巻き、今や激しい嵐へと変わりつつあることを。

「あなた、自分では黙っているつもりなんでしょうけど、所々思っていることが口に出ちゃってるわよ。普段ポーカーフェイスを貫いている反動かしら」

 いきなり声をかけられイチゾウは慌てて振り向く。

 母親は仕事に出かけ一人娘はもういない。誰もいないはずの家に何者が居る。

「もっとも、あなたの癖なんてどうでもいいんだけど。私が聖天界に行くのに協力してもらおうかしら」

 静かに開いたドアの隙間から顔を出したのは、イチゾウもよく知る魔法少女だった。

 艶のある美しい髪と透き通るような肌、吸い込まれるようなコバルトブルーの大きな瞳を持った、ありていにいえば美少女だ。

 もっとも十七歳というギリギリの年齢と真紅のドレスに窮屈そうに納まっている豊かな胸だけは少女と呼ぶには似つかわしくなかったが、頭の中に夢や希望が詰め込まれているのでまだまだぜんぜん少女で通ると本人は強弁している。

 ――冗談は魔力だけにしろ!

 イチゾウは内心毒づく。

 さちえの部屋に突如として現れた魔法少女――ワイルドチェリーこと桜桃ひよりにイチゾウは恐る恐る話しかけた。

「君は、本部で尋問を受けているはずじゃなかったのか」

「脱走してきちゃった。てへ☆」

 おちゃめなポーズを作って、語尾に謎の星を飛ばしてはいるが、その眼はまったく笑っていない。

 どうやらマジで脱走してきたのだと理解してイチゾウは戦慄する。

「あの魔法少女の監獄を自力で突破してくるとはまったくあきれた化け物だ。これで晴れてお尋ね者になったわけだが、聖天界に行って君は何をする気なんだい」

「もちろんさっちんを殺した犯人探しよ。パートナーのイチゾウも彼女の仇をとりたいと思うでしょう」

 ――いいや、まったく思わないな。

 そう思ったが口に出すのはやめた。出せばただでは済まないとその眼が言っていた。

 もとより脱走してまでさちえの仇を討とうと考える狂人だ。下手に刺激するのは良くない。イチゾウは否定の言葉の代わりにこう言った。

「聖天界を疑っているようなら時間の無駄だ。人間界じゃこのような畜生の格好で魔法生物なんて呼ばれているが、本来の我らは神に仕える聖なる天使だよ」

「聖なる、ねぇ。常日頃から醜い政争に明け暮れているのに?」

「それとこれとは別問題だ。殺人は聖天界最大の禁忌。それを破ったらそいつはもう天使じゃない」

「へぇ、そうなんだ。あやめさんの時は魔人を暗殺したって話だけど」

 ――こいつどこまで知ってるんだ。

 イチゾウはひよりの顔を伺うが、その表情からは何も読み取れない。

「……どうやらウソはつけなさそうだな。俺は若輩者だから詳しくは知らんが、確かにあやめの時はそうだったという噂は聞く。しかし仮にその噂が真実だとしても、相手が魔人なら問題にはならない」

「何故?」

 その口ぶりからは、こちらの言葉をまるで信用していないことがありありとわかるが、イチゾウは構わず続ける。

「それは天使にとって魔人は神に背きし穢れた者だからだ。彼らと彼らに与する者の生命を断つことは我らにとって殺人に該当しない」

「だったらさ、人間も該当しないんじゃないの? あなたたちの言う『殺人』にさ」

 イチゾウはその問いかけにすぐには答えられなかった。不殺の教義はあくまで聖天界の天使間だけのものにすぎなかったからだ。

「……法律では、人間は有益で善良なる存在だから殺してはならぬとされている」

「言葉が濁ったわね。あなたたちは内心人間を自分たちと同等の存在だと思ってない。殺す時はあっさり殺すし殺せるって、たった今確信したわ」

 図星だった。シラを切ることも少し考えたが、ウソはつけないと本能が警告している。

 桜桃ひよりは学のない阿呆だが、ここぞというときの直感は非常に鋭いものがあることをイチゾウは知っていた。

「かもしれない。いや認めよう、事実そうだ。自分たちが未熟な人類の上に立ち、彼らを正しき道へと導いたのだと考える天使は多い」

「あなたもその中のひとり?」

 ――ああそうだよ。やけくそ気味にそう言い放つ。

 自分はこれでも可愛いげのあるほうで、天使の中には人間のことを戦好きの野蛮な生物ぐらいにしか思っていない者も少数ながら存在していると渋々ながらに説明する。

「しかし、だからといって我々が犯人だと考えるのは早計だ。大多数の天使たちが人間のことを好ましく思っていなければ、そもそも友好条約なんてもの自体結ばないよ。少数派の連中だって、たかだか政争程度で人の生命を奪うなどということは決してありえない。それこそ彼らの忌み嫌う、かつての醜い人類と同じ所業ではないか」

「魔人は殺せて人を殺せないって道理はないでしょう。イチゾウ、あなたって意外と考え方がちょろいのね。それに思ってたよりずっとおしゃべり。少しだけ好感度が上がったわ。少しだけね」

 ――こっちは酷く下がったがね。

 イチゾウは顔をしかめる。自らの出世のために利用しようと考えていたが、このようなじゃじゃ馬とてもじゃないが乗りこなせる気がしない。ゼロムに押しつけたのは正解だったのかもしれない。

「念のために訊いておくけど、あなたがさっちんを殺したのではないのね?」

「おまえは俺を侮辱しているのか! いいか、よく聞け。俺は確かに日夜政争に明け暮れているし、おまえたちのことも出世の道具ぐらいにしか思っていない。しかしすべては失われし神を呼び戻したいが一心でやっていること。そんな俺の手が下賎な人間の血に塗れていると? そのような穢れた身体で神の御身に近づけると? 悪い冗談はよせ!」

 いくらウソはつけないとはいえ、少々本音をぶちまけすぎたかとイチゾウは後悔したが、同時に腹の中に溜め込んでいたものをすべて吐き出してスッキリもしていた。

 もともと自分はおしゃべりなほうなのだ、見下してふてくされてだんまりを決め込まずに、最初からこうしておけば良かったのかもしれないとイチゾウは今さらながらに思う。

 そんなイチゾウを値踏みするような眼で見ると、ひよりは一言「信じるわ」と小さく囁いた。

「でも、だからといってザファエルのほうは疑わないわけにはいかないわ。聖天界まで通行手段、もちろん用意してくれるわよね」

「……断るといったら?」

「二度と神さまに会えなくなる身体になるかも☆」

 ――今日は厄日だ。

 イチゾウは大きく天を仰いだ。

 正面きって戦って勝てる相手でも、断っておとなしく引き下がる相手でもない。最初から選択肢などなく、ひよりの犯罪行為の片棒を担ぐしかないのだ。

 特権階級の貴族として生まれ、過去から現在まで何一つ挫折なくエリート街道をばく進していた魔法生物イチゾウの人生の転落はここから始まることとなる。

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