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偽証

 湖でボートを楽しむ貴婦人たちを石柱の隙間から眺めながら、ひよりはザファエルと彼の呼んだメイドに連れられて広大な宮殿の中を進む。

 二人きりで話をしたいのでプライベートルームまで来てくれないかとのことだが、どこからどこまで信用していいのかわからない。一見すると無防備に見えるが用心するに越したことはないだろう。

「なにぶん急な来客で、たいしたもてなしもできずに申し訳ない。あまり見栄えのしない部屋ですが、決して貴女を軽んじているというわけではありませんよ」

 ザファエルに案内された部屋は、大きくてきらびやかな宮殿とは対照的に小さくてこじんまりとしたものだった。とはいえ内装はわりと凝っており、また部屋全体が奇麗に片付けられているため、客人に対して失礼という感じはしない。

「人間に倣って宮殿を建ててみたのはいいものの、どうにも広く造りすぎましてね。これでは客人も落ち着かないだろうと思い個室を用意したのですが、今ではわし自身がすっかりここの住民ですわ。この宮殿に居て一番落ち着かないのは、他の誰でもない自分自身だと実際に長く住んでみて初めて気付きましたよ」

 慇懃な態度でひよりに席を勧めると、ザファエルは二人分のカップを用意してそこに紅茶を注いだ。もちろんこれを飲む気はまったくない。中に何が入っているかわかったものではないからだ。

「まずはお茶でもどうぞ」

「こんなステキなお部屋にご招待ありがとーございまぁす。しょーこちん超嬉しいですぅ。でもしょーこちんは猫舌だから熱いのはダメダメなんですぅ」

「心配せずとも毒など入っていませんよ。桜桃ひよりさん」

 ――ちっ、やっぱりバレてたか。

 二人きりで話がしたいなどと言い出した時点ですでに怪しかったが、これで正体がバレているということが確定した。

「それなら話が早いですね。今回は芭蕉さちえ殺害の件について少々あなたにお聞きしたいことがあって来ました」

 もっともターゲットまで辿り着いたのであれば正体がバレようがどうということはない。

 天使の実力は先ほどのイチゾウを見れば大体わかる。すべての天使があの程度と仮定するならば、この国の住民すべてを敵に回しても負ける気はしない。己の実力に絶対の自信があるからこその単独捜査だ。

「ヘクセンナハトのセキュリティをすべて破壊して脱走したという報告を受けていましたので、もしかしたらわしのところに来るのではないかと思い、本日は政務を休んでお待ちしておりました。わしにわかる範囲のことであれば、なんなりとお聞きください」

「それはまたずいぶんと殊勝なことで。聖天界の重鎮のすることとはとても思えませんわ」

 ――そこまでわかっていながらこの余裕、いったいどこから来ているのかしら。

 ひよりはこのザファエルという天使の器を計りかねていた。浴びるほどの地位と名誉に溺れて目の前の脅威にすら気付かぬ哀れな老人か、それとも何かしらの対抗策を講じているのか。いずれにせよ油断は禁物だろう。

 鋭い眼光で相手を値踏みするひよりとは真逆に、ザファエルはおっとりとした口調を崩さず、しかしこちらを驚かせるに十分な一言を口にした。

「殊勝にもなりますよ。何しろわしはあなたの大ファンですから」

 反射的につまらない冗談はやめろと怒ろうとしたが、まだ何も聞き出せていない段階で癇癪を起こすのは得策ではないと思いぐっと堪える。

 先ほどの警備員の対応を見てもわかるように、聖天界の住民は総じて人間を軽んじる傾向にある。自らを人間たちの指導者であると豪語し、保守本流と評されるザファエル派の、しかもその旗頭が魔法少女とはいえただの人間を憧れの目で見ているなどと口に出したら、それはもう何かの皮肉にしか聞えない。

「どうやら信用なされていないようですね。しかしわしがあなたのファンだというのは本当の話ですよ。魔法少女の活躍は魔法生物の記録した映像を通じてこの聖天界にも広がっていますから。いやはや、あの如月あやめでさえも手を焼いた最悪の魔人ブラックシネマを徹底的に叩きのめし、信号機に吊るした場面は年甲斐もなく興奮してしまいましたわ」

 本当に興奮した口調で笑いながらガッツポーズを作ってみせるザファエルの姿を見ると、そんなわけがないとは思いつつも発言のすべてが事実のように思えてくる。これは相手の油断を誘う老獪さと取るべきなのだろうか。

「わしの言葉を疑われるのはわかります。確かに天使の中には人間を我らに劣る下等な存在と見る者も多い。そしてこのわしこそが、そのような者たちの旗頭だとあなたは思っているのでしょうし、事実その通りです」

 人懐っこい微笑みを浮かべると、ザファエルはどこか遠い目で天を仰ぐ。

「しかしそのような者たちであっても、内心では人間界に対する憧れというものがあったりするのですよ。聖天界の街並みを見てみなさい。まさに古き良き人間界そのものだ。この部屋に飾られている絵画も人間の画家の手によって描かれたものです。現代の人間社会は無機質無感動だと評する者でも、人間の創る芸術自体は認めていたりするものです」

 軽く部屋を見渡すと、ひよりも知っている有名画家の絵画が数点。本物かと訊ねるともちろんそうだと返ってくる。どこから仕入れてきたのかは知らないが、仮に本物だとしたらとんでもない高額になるだろう。

 人間界の政府から資金援助をしてもらっているにも関わらず、しなくてもいいショーバトルでテレビ局から金をもらったりグッズを販売したり最初に登録料と称して魔法少女の親からも金を催促したり、魔法生物が使えもしない人間界の通貨になにかと汚い理由はもしかしてこれだったりするのだろうか。

「わしら天使が人間に抱く感情は複雑です。しかし概ね友好的であるということは信じてください。先ほどの守衛も相手があなただと知っていたらもう少し違う対応をしていたと思いますよ。ワイルドチェリーこと桜桃ひよりは現役最強の魔法少女候補ということで、こちらではちょっとしたアイドル扱いですから」

「はぁ……でも、聖天界では私のことは煙たがられているとお聞きしてますが」

「だからですよ。あなたはあまりに強く、そして少し有名になりすぎた。出る杭は打たれるのはそちらの世界でも同じでしょう。地上からの報告でも叛意ありと評価され、評議会では毎日のようにあなたが我々のコントロール下から外れるのではないかという話で戦々恐々としてますよ。だったらその前に処分してしまえという声が挙がるのも無理からぬことです」

 叛意ありと評価したのはおそらくイチゾウだろう。後で軽くこらしめてやろう。

「もっとも彼らの懸念は今、こうして現実のものとなった訳ですがね」

「勘違いしないでください。私は芭蕉さちえを殺害した犯人を捜しているだけです。聖天界に反旗をひるがえす気なんてさらさらありませんし、すべてが終わったら自首して魔法少女を辞めたって構いません」

「果たして魔法少女を辞めるぐらいで済まされると思うのかね?」

 先ほどまで孝行爺に見えたザファエルが一転して鋭い眼光でこちらを見据えて言う。その眼からは聖天界の法を司る者の冷たい覚悟が見て取れた。

 しかしひよりはいっさい怯むことなく言い返す。

「聖天界で殺しはご法度だとお聞きしてますが?」

「聖天界でやる必要はあるまい。昔のように地上で、それも人間の手によって行えば済む話」

「地上も昔とは違いますよ。政府もおいそれと未成年を死罪にはできないはずです」

「我々を舐めてもらっては困ります。法の網にかからず魔法少女を始末する方法なんていくらでもある。あなたもそう思っているからこそ我々を疑っているのでは?」

 ――……仰る通りよ。

 ザファエルの言葉はおそらく真実である。彼らにとって人間界の法などあってなきもの。突きつけられた厳しい現実にひよりは奥歯を噛み締める。

 そんなひよりを見て、ザファエルはどういうわけか、突然大きな声で笑い出した。

「いやいや、今のは軽い冗談ですよ。あまりに余裕のあるひよりさんの顔を見て、ちょっと脅かしてみたくなったというだけですわ。今のご時世、魔法少女の処刑など流行りませんしね。そもそも人格適性検査制度により、そこまでしなければならない大罪人そのものが激減していますし、死刑制度など今や形骸化したも同然ですわ」

 ――食えないお爺さんね。ひよりは軽く舌打ちする。

ヘクセンナハトの衛兵は最悪の場合、死刑もありえると警告していた。今のザファエルとの会話でもハッキリないとは明言していない。つまり、流行るまいが激減しようが形骸化しようが、死刑は制度としては確実に存在しており、ひよりの脱走行為がそれに該当しないとは限らないということだ。

「安心なさい、わしはあなたが聖天界に反旗をひるがえすなどとはまったく思っていませんよ。地上からの報告も半分はイチゾウの嫌がらせでしょう。自分が担当から外されたからといってまったくもって困った奴ですわ」

「ザファエルさん、私の今後の話などこの際どうでもいいんです。今、この場で一番重要なのはあなた、もしくはあなたの派閥の誰かが、さちえ殺しに加担したか否かです」

 正体はバレたがイチゾウの仕掛けた盗聴器まではバレてはいまい。この年下相手だろうと人間相手だろうと決して隙を見せない老獪な男を相手に難しいかもしれないが、何かしらの証言をどうにかして引き出さなくては。

「繰り返しますがわしはあなたのファンです。あなたを魔法少女の座から蹴落とすような真似は決していたしませんよ」

「仮にそうだとしても、評議会全体としてはそうではないと先ほどお聞きしたばかりです。あなた自身ではないにせよ、あなたの派閥内で誰か心当たりはありませんか?」

「それもありえませんね。あなたがいなくなって得をする者などおりませんから」

「無所属だった私の担当者がタルターニャ派に入閥を決めたとしたら? あなたがたからしたら私を対抗勢力に奪われることは、なんとしても阻止したい事態だと思うのですが」

「絶対にありえない事態ですね。なんでしたらその証拠をお見せしましょうか」

 ザファエルが呼び鈴を鳴らすと、執事と思しき白髪の天使が頭を下げて部屋に入ってきた。

 端整な顔立ちをした美男子だったが、口元に浮かんだ、どこか人を小馬鹿にしたような薄笑みがひよりの癇に障った。

「ザファエル様、何か御用事でしょうか」

「ああ、例の殺人事件のことでね、ひよりさんがわしのところに訪ねてきたのだよ。どうやらわしらのことを疑っているようだから、君の口から説明してやってくれんか?」

 白髪の執事は驚いた顔をしてこちらを振り向き、

「まさか君……ひよりだったのか!」

 と、叫ぶように言った。

「どちら様でしょうか?」

「ゼロムだよ、僕の顔を忘れたのかい。そっちこそなんだいその芋臭い顔は。整形でもしたのかい?」

 ――芋臭いとは失礼な。

 ひよりはゼロムと名乗った若い執事の腕を引いて退室し、庭にあった湖までわざわざ連れていくと、いっさいの躊躇なくそこに放り込んだ。

「だからそれはやめろって何度も言ってるだろうッ!」

「ごめんなさい、もしかしたら偽者かもしれないと思って」

 溺れていた時の挙動から判断して、どうやらゼロム本人に間違いないようだ。

 それにしても、ちゃんと四肢のある天使の姿に戻ってもまるで泳げないとは筋金入りのカナヅチだ。

 努力して少しは泳げるようになればいいのに。彼を指してまるで努力というものをしないクズうさぎだと吐き捨てたイチゾウにちょっと同意してしまいそうになる。

「どうでもいいけど、なんで僕の顔を覚えていないんだ。登録の際に一度見たことがあるだろう」

「何年前の話よ。だいたいその頃の私は魔法生物が聖天界では天使に戻るなんて知らなかったんだから、係りの人ぐらいにしか思ってなかったわよ。

 そんなことより私に説明してくれる。なんであなたがザファエルの邸宅にいるの?」

「なんでと言われても、僕はもともとこの家に雇われている執事だよ」

 ――はぁ?

 唖然としているひよりにゼロムは不思議そうな顔をする。

「驚く理由がわからない。僕だってこっちで食べていくにはお金が要る。ザファエル様はこの聖天界でも有数の大金持ちで、数多くの執事やメイドを雇っている。僕もその中のひとりというだけだが」

「あなた評議会の議員じゃなかったの?」

「いやぁ、さすがにあれだけで食っていくってのはちょっとね。もちろん上手いことやれば儲かるんだろうけど、僕はそういう話は苦手でさ」

 ゼロムが言うには、この世界では魔力を買うにも金が要るため、薄給の評議会議員では副業なしでは食っていけないとのことだった。だから聖天評議会という場所は、道楽目的の金持ちと利権を貪るハイエナの巣窟になっているという。

「君の担当魔法生物に決まった時は嬉しかったよ。なにしろ地上に降りれば魔力を供給したい放題だからね。もちろん帰還時にくすねたら犯罪行為だけど、生きるために消費する分はいくらでも許されているから少なくとも餓死する心配はなかったわけだ」

 ――あなたもあんがい苦労人なのね。

 同じく孤児で金に困らなかった時期はなかったひよりは彼の境遇に同情してしまう。

「ゼロムの身の上はわかったわ。でも、あなた今朝まで地上にいたじゃない。なんで聖天界に戻ってきているのよ」

「そんなの呼ばれたからに決まっているだろう。君に会わせたい客人がいるから自室で待機していなさいってね。まさかその客人がひよりだとは思わなかったけどさ」

 ひよりは驚いた。ゼロムの話が真実ならば、ザファエルは脱走の一報を聞いた時点ですでに自分のところに来ることを予測していたということになる。

 しかし真に驚くべき点はそこではなく――

「ねえ……私の記憶では、ゼロムは無所属だったはずなのだけれど」

「そうだよ。僕は派閥争いとか面倒なことは嫌いなんだ。だから貧乏なんだけど」

「聖天界を革命したいという想いは?」

「もちろんある。だから議員に立候補したわけだしね。ただ」

 ゼロムの次の言葉にひよりは大きく眼を見開く。

「この腐りきった聖天界を変えられる可能性があるのは、最大派閥であるザファエル派と、その筆頭であるザファエル様だと考えているよ」

 ――やられた。

 ゼロムがタルターニャ派に流れることは絶対にありえないと断言していたザファエルの言葉は、つまりそういうことだったのだ。

「ザファエル様には僕が地上に降りた後も解雇せずに給料を出してくれたりと、何かと恩義もあるしね」

 ゼロムは形こそ無党派だが議会に入る前からすでに懐柔されており、実質的にはザファエル派なのだ。タルターニャ派になびくはずがない。

 ひよりの担当魔法生物決定の際、イチゾウがザファエル派があっさり折れたと愚痴をこぼしていたが、それも当然の話。なんてことはない、結局のところ最初から最後までザファエルの思惑通りだったというわけだ。

「……君がヘクセンナハトを脱走してまで聖天界に来た理由、ようやくわかったよ。ザファエル様に恩義のある僕には思いもよらなかった話だけれど、確かに君の立場なら、君やさちえが二つの派閥の争いに巻き込まれたという考え方ができなくもないね」

「ええ、あなたがザファエル派に取り込まれていると知っていれば、イチゾウを脅してこんなところまでやってきてはいないかも」

 思えばこのうさぎ、聖天界が腐っていると憤ってはいても、一度たりともザファエル派が悪いなどとは口に出さなかった。てっきり孤高の一匹狼だとばかり思っていたが、とんでもない思い違いだったようだ。

「勘違いするなよひより、これでも公私の区別はつけているつもりだ。僕はあくまでも無派閥であり、ザファエル派に与したことなど一度たりともない。

 しかしだね、ザファエル様を疑うのはお門違いというものだ。長年あの方に仕えてきたからあの方の人となりはよく知っている。殺人などという大それたことに手を染めるような御方では断じてないよ」

「あなた、私がさっちんのこと犯人じゃないって言ったとき、思い入れが強くて冷静な判断が出来てないって言ってたでしょう。その言葉、そっくりそのままお返しするわ」

 ――私から言わせれば、あの男はそうとうな危険人物なんだけどね。

 ザファエル派の黒い噂を知らないはずがないにも関わらず、ゼロムが完全に懐柔されてしまっている現状がそのいい証拠。見事と言うしかない人心掌握術に加えて、あえてこの場で二人をひき会わせるという計算高さ。あの優しくて物わかりのいい孝行爺の仮面の裏に、どれほど狡猾な蛇の本性を隠しているかわかったものではない。

「ひよりさんの思っている通り、わしは腹黒い天使ですよ」

 後ろから、まるでひよりの心を読むかのように声をかけてきたのはザファエルだ。いや、もしかしたら本当に心を読んだのかもしれない。天使の操る魔法はそれほどまでに万能だ。

「大派閥の長という地位にしても、この豪奢な宮殿にしても、悪事のひとつやふたつ働かねば決して手に入れることはできなかったでしょう。わしに対する良からぬ噂もよく耳にしますが、半分ぐらいは事実ですわ」

 いくら自宅とはいえとんでもない告白だった。それとも誰かに聞かれたところで今さらどうということもないほどの地位を確立しているのだろうか。

「他の者が殺した低級魔人をすべてあやめさんがやったこととして処理し、その責をもって魔法少女を辞めるよう仕向けたことも確かにありました。あやめさんやひよりさんがわしのことを快く思っていないのもおそらくそれが原因なのだと思います」

 この男はいったいどこまで自分の心中を読み取っているのか。押せば倒れてしまいそうなこのよぼよぼの老人を前にして、ひよりは得体の知れない危機感を覚えていた。

「ただ、わしらの言い分にも少しだけ耳を傾けていただきたい。当時のあやめさんは魔人から純白の悪魔と恐れられるほどの大魔法少女でした。その容赦のない強さはたった一人で聖天界と地獄のパワーバランスを崩しかねないほどで、自重こそしていましたが、その気になれば悪の組織どころか地獄そのものを叩き潰すことすら可能でしょう」

「それがどうかしたのでしょうか。結構な話だと思いますが」

「我々としては地獄に滅びてもらっては困るのです」

 ――何故?

 ひよりは蔑むような眼を向けてザファエルに問いかける。

「あまりにも無益だからです。我々は互いに憎しみあってはいますが、どちらか一方を滅ぼしてやろうという考えにまでには到っておりません。そのような考えに到るのは、あなた方が純粋……いいえ、はっきり申しましょう。あなた方が子どもだからです」

 ザファエルの言葉をひよりは否定しなかった。

 まだ成人を迎えていないひよりが年齢的に子どもに分類されるのは紛れもない事実だからだ。子どもであることのなにが悪いのか。大人であれば偉いのか。そんな区分けには何の意味もない。

「あやめさんはあなたに似て正義感の強い少女でした。純粋無垢で一見従順な態度を取っていましたが、内心では悪はすべて滅ぼすべきだと考えおり、虎視眈々とその機会を狙っていました」

「だから彼女を封印したと?」

「その通りです。汚名を被せ、様々な圧力をかけ、彼女を半ば強制的に引退へと追い込みました。さすがの彼女も魔力の供給器である魔法生物と増幅器であるスティッキを奪ってしまえば大きな力は使えませんから」

「実に薄汚い工作ですね。吐き気がします」

 できることなら唾でも吐きかけてやりたいぐらいだ。

 これが大人のやることだというのなら、自分は大人になんてならなくてもいいとひよりは心から思う。

「我々が汚い大人であることを否定はしません。引退後はできるかぎり厚遇したつもりではありますが、現役を続けたかったあやめさんには申し訳ないことをしたと思っています。しかしこれだけは知っておいてください。汚いドブ川に魚が棲めないのと同じように、あまりに澄んだ純水の中にも生物は存在できないのです」

「あら、これ以上ないってぐらい清いところに住まわれている天使さまのお言葉とはとても思えませんわ」

「返す言葉もありません。しかし聖天界と地獄のパワーバランスが崩れれば人間界とて無事では済みません。すべてをご理解していただけるとは思いませんが、ただ我々も世界の調和を保つために必死だということです」

 うやうやしく頭を下げるザファエルに対し、ひよりはそれ以上の糾弾をやめた。

 もとよりこの男を非難をするためにわざわざここまでやってきたのではないのだ。

「あなたの言いたいことがわからないほど私は鈍感じゃないつもりよ。つまり今までの悪事は必要だからしかたなくやっていたことであって、今回の件みたいなくだらない事で自分はわざわざ動いたりなんてしないってことでしょう?」

「無益な殺生はしないということです。わしのような悪党は特に。見ての通り、ゼロム君は我々に対してとても友好的です。それになんの背景もない彼がタルターニャ派に入閥したからといって大勢が変わるはずもありません。人ひとり殺してまであなたを魔法少女から引きずり降ろす理由など、どこにもないのです」

 悔しいがザファエルの言う通りだった。

 さすがは生き馬の目を抜く聖天界上層部でこの年齢まで生き延びた天使。すべてが万全、見事な政治手腕だ。信用こそできないが、この男がたかが地上の小娘如きを恐れる理由がどこにも見当たらない。

 ひよりはちらりと湖のほうを見る。

 そこには先ほどと同じくボートで遊んでいる貴婦人たちの姿がある――が、少し様子がおかしい。こちらを無視しているかのように装い、どこか様子を伺っているように思えるのだ。

 先ほどからずっとおかしいとは思っていたのだ。なぜザファエルの私有地で貴婦人が遊んでいるのか。仮に家族だとしたら主人や客人を無視してボート遊びに興じていることになる。それはいささか無礼ではないのか。

「さすがはひよりさん。彼女たちの存在に気付きましたか」

「おおかた暗殺者ってとこですかね。レベルが低いですが」

「もちろん高い者もおりますよ。まだあなたは気付かれていないと思いますが、わしの合図でいつでもあなたを狙撃可能です」

 ――本当に抜け目がない。

 わずかな時間でここまでの準備を整えられると逆に感心してしまう。

「やれると思うのならやってみたらどうですか?」

「今のところはやるつもりはありませんよ。万が一のための自衛手段ですから。そもそも、これからタルターニャ派を掃討して聖天界を一新しようという時に、不祥事を起こして困るのはわしのほうです」

「あなたたちって保守派閥でしょ? 保守ってその名の通り変わらないことを良しとするもんじゃないの?」

「そうですよ。だから元に戻すのです。神の愛した古き良き聖天界に」

 ザファエルが言うには、かつての聖天界は神の定めた規則に忠実に従う極めて敬虔で厳格な世界だったそうだ。それが人間界と関わってからだんだんとその歯車がおかしくなってきたという。

 人間界から摂れる良質な魔力は天使たちに恵みをもたらした。しかし同時に堕落をももたらしていたのだ。何をするにも魔力に頼り、仲間内で醜い魔力の取り合いを初め、本来あってはならぬはずの戦争が起きた。穢してはならぬはずの聖天界の地が天使たちの血によって紅く染まった。

 長い月日を経て戦争が終結した後も、天使たちは魔力に頼り続けることをやめず、いつしか天使は自らの翼で飛ぶことをやめ、神の声を聞くことをやめた。


 ――いつしか神は、そんな我欲に溺れる卑しき天使たちを見放した。


「わしはこの聖天界にふたたび神の福音を取り戻すべく闘っていました。そのためならどんな汚いことでもしました。賛同者を集めて派閥も作りました。聖天界に災いをもたらす者たちを粛清したりもしました。政争を繰り返し、裏工作などもはや日常茶飯事のことになりました。評議会などもはや決定事項を伝える場にすぎません。とにかくわしは確固たる地位と権力を手に入れようと躍起になりました。誰にもわしの改革を邪魔されないために。

 ええ、自分でも理解してますよ。ミイラ取りがミイラになるとはまさにこのことです。わしはかつて自らが忌み嫌った存在に成り果ててしまった。だが、今さらこんな場所で立ち止まるわけにもいかないのです」

 穏やかだったザファエルの口調に、このとき初めて熱が篭った。それは彼の偽りなき本音のように聞こえた。

「ひよりさん、わしはあなたが羨ましい。あなたはこうして話している今も考えていることはわしが『白』か『黒』かだ。白なら友好、黒なら断罪。灰色など存在しない。それは良く言えば純粋。悪く言えば幼稚。個人的な感想で言えば――そのようなところが、わしの愛した神によく似ておられる。わしにもそのように生きたいと思っていた時期が確かにありました」

「……」

「しかし、おそらくもう無理でしょうね。今さら聖天界がかつてのように少ない魔力で慎ましく生活する時代に戻れるなどとは、もはやわし自身が思っておりません。ふたたび神に祝福される聖天界を目指しつつも、今の繁栄も維持したいなどという都合のいい話ばかりが頭に浮かびます。かつて同志だった妻にも愛想を尽かされて出て行かれました。恥ずかしながら、今やすっかり耄碌したわしは、全身灰色で妥協の塊です」

「……なるほど、確かに考え方が保守的ですね。保守派などと呼ばれるのも納得しました。正直ザファエルさんが聖天界をどう変えようと思っているかなんてどうでもいいことなんですが、殺人犯ではないかと疑ったことについては謝罪させてもらいます」

 ここまで話を聞いていて、さすがのひよりもザファエルがさちえ殺しの真犯人だとは思えなくなっていた。彼を信用する気はさらさらないが、ひより如きを社会的に抹殺するのに、こんな幼稚な手段を用いるとも思えない。

 ひよりはもともとが問題の多い魔法少女なのだ。ザファエルならばもっと組織的に、計画的でかつ、平和的な方法で彼女を穏やかに追いつめ、周囲はおろかひより自身すら納得せざるをえない形で引導を渡す手段をいくらでも思いつくことだろう。

 あやめは自分と同じような手段を用いられたのではないかということでザファエルを疑っていたようだったが、彼のやったことといえばせいぜい評議会に送る書類の偽装を指示した程度だろう。直接殺しまでは指示していないだろうし、またそこまでする必要もない。思想的にはイチゾウと同じというならなお更考えにくかった。

「ザファエル派に私を害しても利益がないということはよくわかりました。ではタルターニャ派はどうでしょうか。向こうは何やら革命派などと呼ばれているようですが」

「そちらもありえませんね。断言しても構いません」

「ハッキリ言いますね。タルターニャ派は敵対派閥の筆頭なのでは?」

「ああ、ひよりさんはご存知ありませんでしたか。向こうの派閥のリーダー格であるタルターニャ。あれはわしの妻です」

 ――へぇ……って、ええっ! 妻ぁ!?

 びっくりしてひよりはつい訊き返してしまう。

「ザファエルさん、先ほど奥さんとは……」

「ええ、別れました。だから元妻と呼ぶべきでしたね。あれはわし以上に敬虔な神の崇拝者です。殺人の片棒を担ぐなど天地がひっくり返ってもありえませんよ」

「はぁ……なんでまた元奥さんと対立なんかしてるんですか」

 訊くとザファエルは顔を曇らせ、これ見よがしに大きく肩をすくめた。

「むむ、なんと説明したらいいものか……自らの恥を晒すようで誠に心苦しいのですが、わしがご覧のとおりの甲斐性なしなものですから、妻から本気で聖天界を元に戻すつもりがないとみなされ三行半をつきつけられてしまいまして……それ以降は彼女自身が新たな派閥を立ち上げ、事ある毎にわしに突っかかってくる始末でして……いやはや、あいつも困った女です」

 ――馬鹿馬鹿しい。

 要するにただの夫婦喧嘩ではないか。犬も食わないとはまさにこのこと、ひよりの肩からどっと力が抜ける。

「そのような訳なので、わしらは激しく対立こそしていますが、そこまで血みどろの抗争というわけでもないのですよ。向こうもこちらのことを本気で憎んでいるというわけではないでしょうし、わしもまだ、その……妻のことを愛しておりますしな」

 らしくもないことを言ってしまったと頬を赤らめるザファエルを見て、ひよりはついくすっと小さく笑ってしまった。

 計算高く抜け目のない男には違いないが、敬虔な神のしもべであり愛妻家でもある。仮に理想を掲げてそれを実現しようと動かねば、もしも人を束ねる地位についていなければ、本当は人のいい孝行爺なのではないか。

 ひよりはこの時、初めて少しだけザファエルに気を許した。

「少々要らぬことまで話しすぎました。わしから話せることは現状これだけです。例の連続殺人事件につきましてはこちらでも調査を進めていきますので、ひよりさんもどうか自棄ならずにわしやヘクセンナハトを信じて吉報をお待ちください」

 脱走の件については情報をこちらで抑えてあるので悪い大人の力でもみ消して差し上げますよと、ザファエルはかかっと笑う。ひよりの緊張も先ほどの話でようやく少し解れ、険しかった表情もようやく少し崩れつつあった。

「ザファエルさん、最後にひとつだけ。なぜ私と会話をしようと思ったのですか? この広い聖天界、あなたが行方をくらませたら、たぶん私には見つけられなかったはずです」

「そんなもったいないことはできませんよ。こうしてあなたと腹を割って話しあえる機会など滅多にありませんから。あなたは聡明な女性だ、身の潔白さえ証明できれば理不尽な暴力に訴えることもないでしょうしね」

 湖を眺めながらザファエルは、そう言ってたくわえた髭を優しく撫でる。

「あら、私みたいな世間知らずの小娘などが話し相手で良かったのですか?」

「これ以上ないほど光栄ですよ。繰り返しますがわしはあなたのファンですから。ただ、こちらもずいぶんと込み入った話をしたわけですし、今度はあなたの話も聞きたいですね」

 視線を戻したザファエルは、ひよりに満面の笑みを浮かべながら、重たそうに身体を動かして宮殿のほうをちらりと一瞥した。

「構いませんよ。私について何か知りたいことでもあるのですか?」

「とりあえず場所を替えましょう。あなたの話はそちらで改めてお訊きいたします」

「お気遣いなく、この場でいっこうに構いません」

 ひよりはザファエルにニコリと微笑み返すと、その場で軽やかに身体を反転させた。

 反転してできた隙間――先ほどまでひよりの身体があった場所を数発の魔弾が音もなく通過する。そのまま彼女は流れるような動きで狙撃手の腕に鋭い手刀を叩きつけた。

「くっ!」

 狙撃手が激痛に顔を歪ませるのと、持っていた銃をひよりに奪われるのはほぼ同時だった。

「あやめさんのときといい、私って舐められやすい体質なのかしら……反省だわ」

 しゃべりながらもひよりの行動は止まらない。魔法陣すら展開しない圧縮魔法を超高速で射出し、湖と神殿の奥に隠れていた狙撃手を逆に狙撃する。その狙いは正確無比で、狙撃手たちは何もできずに小さな悲鳴をあげて持っていたライフル銃をその場に落とした。

 一通りの脅威が去ったと確信すると、ひよりは最初に至近距離から彼女を狙った狙撃手のほうに向き直る。

「さて、と……理由を説明してもらおうかしら、ゼロム」

 最初の狙撃手――ゼロムは苦痛に顔を歪めながら、それでも口もとの薄い笑みを消さずに逆にひよりに問い返す。

「どうして僕の狙撃がバレたんだい? これでも一応、業界トップクラスの暗殺者を気取っているんだけどさ。まあ殺人が禁忌のこの聖天界でトップクラスなんて言ってもタカが知れているんだけど、それでもわずかながらにプライドってものがあるんだ。冥土の土産に教えて欲しいものだね」

「そうねえ……確かにザファエルさんの言った通り、あなたはなかなかレベルが高かったわ。事前の態度にもまるで違和感がなかったし、背後から私を狙撃する瞬間も殺気や躊躇がまるでなかった。普段の私だったら、もしかしたら命中させられていたかもしれない。

 でもね、たとえあなたがどれだけ完璧でも、あなたに指示を出すザファエルさんのほうはそうはいかないのよ。あなたたちに目配せしたうえに流れ弾に当たらないよう身を翻したんだもの、こっちに危害を加えようって目論みがバレッバレよ。最初は馬鹿にされてるのかと思ったわ」

 ひよりの話を聞いたゼロムはいかにも嬉しそうにくすくすと笑いながら、

「そんなつもりはさらさらなかったんだけど、どうやら僕は君のことを舐めていたようだ」

 観念したらしく、ゆっくりと両手をあげた。

「今さらこんなことを言っても言い訳にしかならないけど、君を殺すつもりで撃ったわけじゃないんだよ」

「わかってるわよ、殺気もまるでなかったしね。聖天界では殺しはご法度だし、そもそもこの銃には実弾が入っていないもの。魔力の質からして睡眠魔法ね。おおかた私を眠らせてどこかに監禁する算段だったんでしょう」

「君はザファエル様から『裏切り者』の疑いがかけられている。もちろん僕は反対したんだけど聞き入れられなくてね……とりあえず拘束して自白剤を投与するよう命じられていたんだ」

「つまり私の身より、そこのお爺さんの命令を取ったんだ」

 ひよりの問いかけをゼロムは沈黙によって肯定する。

 その事実に対するショックは特にない。天使の寿命は永い。ひよりと居る時間よりザファエルと共に生きた時間のほうがはるかに長いのだ。むしろ当然のことだと彼女は思う。

「僕がやらなくても誰かがやる。だったらせめて僕がやったほうがいいと思ったんだ。それにザファエル様は僕の生命の恩人だ。裏切ることなんてできやしない」

 ――後のことはザファエル様に直接聞いてくれ。

 ゼロムが力なく呟くのを聞いて、ひよりはふたたびザファエルのほうへと向き直った。

「あなた、ザファエル本人でしょう? 最初は変身魔法による替え玉を疑ったけど、それにしちゃあ動きが素人臭いし、会話にもまったく違和感を感じられなかった。どうしてこんな危険な場所にのこのこと御本人が来てるのかしら。もしかしてマゾ?」

 どう答えていいのか迷ったのか、すぐにザファエルからの返答は来なかった。

 しばらく熟考した後、ザファエルは、観念したかのように話し始める。

「理由は三つあります。ゼロム君同様、あなたのことを少し軽んじていたというのがひとつめ。どうせ替え玉を仕込んだところで見破られるだろうと思ったのがふたつめ」

「正解よ。本人じゃなけりゃ私もここまで騙されなかったわ。最後のひとつは?」

「……何度も申しますが、わしがあなたのファンだからですよ」

 好きな人物を生で見て触れあいたいと思うのがファン心理だとザファエルは言う。その声には先ほどまでの余裕はなかったが、だからこそ真実味を帯びていた。

「こちらも一つお聞きしたいことがあります。わしの挙動からゼロム君の動きを予測したそうですが、それではあなたは、わしのことをずっと疑っていたということになります。わしの話の中に何かおかしな点でもあったでしょうか」

「特には。ザファエルさんの話術はなかなかのものでしたよ。ほとんど真実だけで構成されてるだろうって思えるところが巧みだわ。もちろん話に矛盾点がなかったわけではないけれど、あなた自分で言ってる通りの折れ折れの堕天使だからそこまで気にはならなかったわ。

 ただ、ザファエルさんが先ほど分析した通り、私は白か黒かでしか物事を見ないから、最後までずっとあなたのことを黒だと信じて疑ってたってだけ。こっちが緩んだフリをすればそこを狙ってくるんじゃないかと思って試してみたけど、思いのほかあっさり引っかかったわ。あなたは自分のことを悪党だなんて卑下してるけれど、根っこのところでおひとよしなのよ」

 ――だから優柔不断ですぐに妥協する。

 吐き捨てて、いつの間にか召喚していた魔法のスティッキを鼻先に突きつけてやると、ザファエルはうやうやしく頭を下げた後にゼロムと同様に両手をあげた。

「認めましょう。純粋無垢な小娘だと思い侮りました。如何様にも御処罰を」

「しませんよ。あいにくと私は神さまじゃないんで。それよりも聞かせてもらいましょうか、海岬ほたて殺害の理由を」

 一瞬の沈黙。驚く二人を無視してひよりはすぐに続ける。

「ザファエルさん、あなたはさちえ殺しに加担していないとは言ってましたが、ほたてさんを殺してないとは一言も口に出してないわよね。彼女を殺したのはあなたでしょう?

 いや、正確には、あなたがゼロムにほたてさんを殺させるよう仕向けた……かしら。なにしろあなたは『殺人などという大それたことに手を染めるような御方では断じてない』ですからね」

「ひより! いったい君はいつから――ッ」

 叫びかけたゼロムの言葉はザファエルの眼力によって断ち切られる。

 しかしそこまで口に出してしまえばもはや十分。実は具体的な証拠の一つもないただのハッタリだったのだが、これで疑惑は確信へと変わった。

「警告するわ。『ウソはためにならない』。私は神さまではないんで人を裁くことはしませんが、無慈悲な暴力なら振るいますよ。悪い人間ですから」

 ひよりから放たれる氷のように冷たい魔力が、その言葉が事実であるふたりに伝えていた。

 相手は世界十指に数えられる魔法少女。抵抗は無意味と悟ったザファエルは大人しく彼女の言葉に従う。

「いつからほたて殺害の犯人がゼロム君だと気付いたのですか? 彼は幼少の頃よりわしが手塩をかけて育ててきた暗殺者です。親の贔屓目かもしれませんがその実力は一流です。アシがつくような致命的なミスは犯していないと思いますが」

「気付いたのは私ではなくほたてさん本人よ。新人魔法少女ということだけど、なかなかに優秀だったのね。後ろから斬られたときに瞬時に魔力を解析して、最期の力を振り絞って解析結果を路上に書き遺したのよ」

 ――『犯人は桜桃ひより』ってね。

 ねえ、そうでしょう。ひよりはゼロムに鋭い視線を送る。

「事件当日の夜、私が映画館に誘ったとき、お金がもったいないから私だけで行きなよって言ってくれたよね。まったくもってその通りだから一人で観に行ったんだけど、今思えば他人の金は使えば使うだけ得みたいに思ってるあなたにしては、少しだけおかしい話だったわ」

「僕は映画にあまり興味がないんだから、極めて当然の話だと思うんだが」

「普段ならおごりってだけでついて来るじゃない。私と同じで根が貧乏性だから」

「いや、まあ……それはそうなんだけどさ」

「私に殺人事件の容疑がかかった時、あなた内心ではそうとう焦ってたわよね。でなきゃさっちんに罪をなすりつけようだなんて非情なアイディア、普段のあなたからは絶対出てこないはずよ。あっ、違うか、あなたじゃなくて後ろの性悪爺さんの入れ知恵ね」

 ゼロムは言葉に詰まる。ひよりの推測はほとんどすべて的中していたからだ。

 海岬ほたてを暗殺した後、どうせヘクセンナハトの手により隠密に処理されることだろうとあえて死体を放置したのがそもそもの間違いだった。ザファエルから呼び出しを受け、殺したはずほたてが死に際にわずかに息をふき返し、桜桃ひよりの名前を遺していたという話を聞いたときには口から心臓が飛び出る思いだった。

 その後、ザファエルから他の魔法少女を替え玉にして急場を凌ごうという提案を受けたとき、ゼロムは一度は断った。彼は幼少より殺人が禁忌の聖天界において、存在してはならぬはずの殺し屋として育てられてきたが、それでも罪なき者を殺したことなど一度もなかった。ましてや人間を巻き込むなどもってのほか、自分の尻は自分で拭くと豪語し裏工作に躍起になった。

 しかし、事態はゼロムが思っていたよりもはるかに深刻だった。

 暗殺任務は極力事故死――今回はターゲットが隙を見せてくれず、仕方なく魔人の仕業に見せかけて殺したつもりではあったが、ダイイングメッセージのおかげでへクセンナハトには身内の仕業であると勘付かれており、今回の一件においてはその手の工作は一切通用せず、聖天界にしてもイチゾウの悪質な報告もあってか桜桃ひよりの評判が極めて悪く、評議会ではこの機に処分してしまおうという意見が事情を知らないザファエル派からも紛糾する始末だった。

 ヘクセンナハトから聖天界への報告時期も迫ってきており、結局ゼロムは当初のザファエルからの提案を受け入れ、彼の助力を借りざるをえなかったのだ。

「沈黙は肯定と受け取るわよ。もっとも、そっちの殺人は私にとってはどうでもいいこと。魔法少女としては失格かもしれないけど、ほたてさんのことを私はよく知りもしないからね。私にとってもっとも重要なのはその次のほうよ」

 一瞬、ひよりの怒りに呼応するかのように大気が酷くざわついた。大剣型のスティッキはいつの間にかその封印が解かており、蒼穹を翔る鳥の両翼を模したその本性を露にしていた。それを見とめたゼロムが恐怖で全身を戦慄かせる。

 担当魔法生物であり長年のパートナーであるゼロムは誰よりもよく知っている。桜桃ひよりが本気になるとき、いったいどのような惨劇が起きるかということを。

「いいことゼロム、質問はいたってシンプルよ」

 炎のように赤く。鮮血のように紅く。夕焼けのように朱く――世界の終末を顕現させたかのようなそれは、魔法少女ワイルドチェリー固有の魔力の結界。ひよりの内面を具現化させた真紅の空間にゼロムたちは閉じ込められたのだ。

 結界の深度はあの魔人ブラックシネマと闘ったとき以上。一度閉じ込められれば何人たりとも逃れる術はない。

「さっちんが死んだ日、あなたはどこで何をしていたの?」

 発言次第では即、死に至る。いや、あっさり死ねるぐらいならまだマシかもしれない。ひよりはこの現世に地獄を出現させることが出来るゼロムが知りうるかぎり唯一の魔法少女。ある意味ではあの如月あやめより遥かに恐ろしい赤鬼なのだ。

 しかし、どれだけひよりが恐ろしかろうと、今のゼロムに出来ることは一つしかない。

「ザファエル様の宮殿に戻っていた。芭蕉さちえへの冤罪を取り消してもらうよう取り計らってもらうために」

 すべての真実を話すこと、ただそれだけだった。

「それは真実?」

「真実だ。ひよりに指摘されたあの後、頭を冷やして思い直したんだよ。いくらひよりを救うためとはいえ、さちえを犠牲にするなどやはり間違っていた」

「だったら私の冤罪はどうするつもりだったのよ。やっぱり悪の組織に罪を着せる気だったとか?」

「いいや。それよりも、もっと簡単で確実な方法がある」

 ――いったいどんな方法?

 疑いの眼差しを向けるひよりに、ゼロムはまるで憑き物が落ちたかのように爽やかな笑顔で自らの覚悟を口にした。

「僕が自首すれば良かったんだ。こんな簡単な方法に気付かなかったなんて、あの時の僕はどうかしていたよ」

 そう、本当にどうかしていた。ゼロムは愚かな自分に呆れ果てる。

 厳密に言えば、自首するという案がまったく思い浮かばなかった訳ではない。思い浮かんだ瞬間、すぐに却下されてどこかに立ち消えてしまったのだ。

 穢れた血と蔑まれ、どこにも行く場所のなかったゼロムを救ってくれたザファエルのために暗殺者になると決めた日から、すべてを捨てる覚悟はしていたはずだった。

 そんなゼロムが生まれて初めて捨てたくないと思ったもの。それがひよりとの生活だった。彼女の担当魔法生物として共に生きた数年間は、彼にとって本当にかけがえのない時間だった。養父からは与えられることのなかった家族の温もりが、そこには確かにあったから。

「でもそんな真似、あのザファエルさんが許すわけないでしょう。万一あなたがゲロったりでもすればあの男の立場だって危うくなる。どれだけあなたの口が堅かろうと、そっちじゃ自白剤の使用なんていう非人道的なことも平気でやってるんでしょ?」

「そう、だから説得するのに時間がかかった。捕まる前に記憶をクリーニングしてしまえば問題ないと主張したんだけど、なかなか聞き入れてもらえなくてね。結局その日はザファエル様の邸宅で就寝したよ」

 ひよりがザファエルのほうに視線を走らせると、彼は「当然でしょう。我が子を檻の中に放り込みたい親がどこにいますか」と毅然とした態度で即答した。

 その息子に、檻に放り込まれるような真似をやらせておきながら今さらなにをとひよりは鼻で笑ったが「あなたたちにはあなたたちなりの絆があるのでしょう」と、それ以上ザファエルを責めることはしなかった。そもそも本題はそこではないのだから。

「それじゃあ、あなたはさっちんを殺してはいないのね?」

「ああ、そうだ。それどころか、さちえが死んだことを、僕は君から聞かされるまで知らなかった」

 ゼロムはひよりの眼を見て力強く断言した。

 この時点で、すでにゼロムは自身の生命を断つ覚悟をしていた。自分の生命を捧げる代わりにザファエルの生命だけは救ってくれるよう頼み込むつもりだった。

 薄汚い暗殺者の最期にしては上等すぎて先に死んでいった仲間たちに申し訳ないぐらいだと、ゼロムは軽く吊り上げていた口の端の角度をもう少しだけ上げた。

「ふぅん、そうなんだ」

 すべての弁明を聞き終えると、ひよりは少し考えるような素振りを見せてから、持っていたスティッキをくるりと回転させてゼロムの喉もとに突きつける。

「だったら、もういいわ」

 突きつけたスティッキが淡い光の粒子を放って消えると同時に、真紅の結界もいつも間にか解除されていた。

「僕のことを信じてくれるのかい」

「もちろんそれもあるけど、最初からこの連続殺人事件は、同一犯による犯行じゃないって思ってたもの。ほたてさんのときはヘクセンナハトにも気取られないほど完璧に魔力を隠滅しておいて、さっちんときはバレバレだなんて職務熱心なあなたの仕事とはとても思えない。私に罪を被せたいなら最初から現場に魔力痕を残しておけばいいだけだし、普通に考えればさっちんを殺したのは別人の犯行の可能性が高いわよね」

 ――そこまで考えていたのか。

 ゼロムはひよりの推理に感嘆する。言い方は悪いが彼はひよりのことをもう少し頭の悪い少女だと思っていた。完璧なはずだった自分の不意打ちを読みきって回避したことといい、長年相棒を務めていた彼女の意外な一面を見た思いだ。

「ちなみに、さっちんの死体は中央公園の『憩いの池』のど真ん中に沈められていたらしいわよ。死体なんて沈んだと思っても時間が経てばすぐに浮いちゃうから簡単に発見されちゃったわけなんだけど……ゼロム、あなたにそんな真似できる?」

 ゼロムがぶんぶんと大きく首を横に振ると、それはそうよねえとひよりが笑う。

 ゼロムは水が死ぬほど嫌いだ。人間社会には水によって身を清める風習があるが、実際風呂場を見るまではまるで信じていなかったほどだ。死体を沈めるためにボートで池を渡るなど絶対にやらない。そんなことをするぐらいなら地面に穴でも掘ってそこに埋める。そっちのほうがよほど気が楽だし死体も発見もされにくいだろう。もっとも彼は死体の隠蔽は死因を殺人と断定させ、さらには隠蔽の際に何かしらの痕跡を残しかねない悪手だと考えているので滅多にやらないのだが。

「だから、あなたがさっちん殺しの犯人という線は消したわけよ。残りはザファエルさんのほうだけど、広い人間世界のたった一地方にそこまで深く関わっている余裕はないでしょうし、うちの地域はたぶんゼロムに任せきりだったと思うから、こっちの線も薄そうね。

 でもとりあえず訊いておくわ。あなたはなぜ殺し屋を地上に放ったのかしら? 私のことを裏切り者かもしれないと疑っていたらしいけど、もしかしてさっちんもそうだったのかしら。だとしたら少々事情が変わってくるわ」

「さちえさんは裏切り者ではありません。綿密に身元調査した結果それは間違いありません。パートナーのイチゾウも神への信仰は深く、その点についてだけは信用できる天使です」

 いきなりひよりに話を振られたザファエルが反射的に言葉を返す。

「ていうか……そもそも、その『裏切り者』っていうのは何よ。ヘクセンナハトを転覆させようと魔法少女の中に魔人でも紛れ込んでいたの?」

「そんな生ぬるい話じゃありませんよ。なにしろ連中の目的は『邪神復活』ですから」

 ――邪神?

 どこかで耳にしたことがあるなと思いつつ聞き返すと、ザファエルはいつになく緊張した面持ちでひよりにこう告げる。

「今より五百年ほど昔――聖天界にひとつの派閥が台頭してきました。自らを真の革命派と名乗る彼らは、失われた神の代わりにこの地に邪神を迎えるなどという狂った思想をもって評議会を乗っ取ろうと目論みました。

 ええ、もちろん叩き潰してやりましたよ、わしらの悪名のほとんどがその時代に生まれたといっても過言ではないほど徹底的にね。しかしあなたの言うとおり、わしは根っこのところで甘いのでしょう。連中を完全に駆除しきれていなかった」

 温厚な孝行爺の顔を鬼のような形相に変えて、ザファエルは自らの拳を硬く握りしめた。

 それは、大人らしく感情を極力表に出さなかったザファエルが初めて見せた怒りだった。

「生き残った連中は潜伏し、力を蓄え、ふたたび表舞台へと舞い戻ってきた。すべては非情に徹しきれなかったわしの責任。心を鬼にして、ゼロム君たちのような天使と人間の混血児を拾って暗殺者に仕立て上げたのも、今度こそ連中を一匹残らず完全に駆除してやるためにやったこと!」

 しゃべっているうちに当時の怒りが甦ってきたのだろう。ザファエルは今まで決して崩さなかった敬語を忘れるほどの憤りをその場にぶちまけた。

 しかし聖天界の御家事情にまるで興味のないひよりにはあまり感心のない話で、熱弁する彼を少し冷ややかな眼で見ていた。

 ザファエルの口からある固有名詞を聞くまでは。

「奴らの名はノワール! 放置しておけば三界を滅ぼすであろう外道どもよ!」

 ――ノワー……ル。

 その組織の名前にひよりは聞き覚えがある。

『邪神崇拝のノワールのことですね。あれは悪の組織というよりオカルト好きの集まりですから、ひよりさんが名前を知らないのも無理はありません』

 確か最初にヘクセンナハト本部に連れて来られたとき、あやめがそのような名前の悪の組織があると話していた。部長の田嶋良子は善良な一般市民だという話だったが、果たしてそれは真実なのだろうか。そしてなにより、

『今後のことは良子ちゃんとでも相談して決めるわぁ』

 去り際にさちえが口にしていた名前とノワールの部長の名前が同じなのは、果たしてただの偶然なのだろうか。

「確かめる必要があるわね」

 点と点が繋がりひとつの線になっていく感覚。

 ヘクセンナハトを脱出したときは長期戦を覚悟していたひよりだが、真相は思っていた以上に自らの傍にあり、すべての決着は間近にまで迫ってきているのかもしれない。

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