姫の求め
ナツル王女サーシャはたった1人の従者をつれてマズル邸を訪問してきた。
マズルとその侍女キャスは慌てて礼を尽くして出迎える。
「そこまでしていただかなくても結構ですよ」
サーシャ姫は言ったが、マズルとしては、はいそうですかとは言えない。
キャスは震える手で、サーシャに茶を出した。
サーシャはにこにこしている。
「何故、私がここにいるのかと?」
マズルはサーシャと向かい合って席に座り、頷いた。
「わたくしは、蟄居の身。斯様な者のもとなど訪れずとも……」
「貴方だからこそです」
サーシャは神妙な表情で言った。
「私は、この戦を止めたい。これ以上ナツルを蹂躙させる訳にはいけません。敵の旗印たるメローラ姫は、かつてこの国の、王女でした」
マズルはメローラの名を聞き、胸に痛みを覚えた。
「お言葉ですが、姫様」
彼は、静かな声で言った。
「わたくしは、メローラ姫の為さり様は、致し方ないと思うてしまうのです」
横でキャスが息を飲んだ。
サーシャは顔色を変えなかった。
「私は、ジャイルの言う事が本当だろうと、父上が仰せの事が本当だろうと、思いはただ1つ。この国を、土地を、民を守りたいのです」
サーシャは身を乗り出し、マズルの手を握った。
マズルは目を丸くして、姫を見る。
「お願いです。私に協力して下さい」
サーシャの目は真剣そのものだった。揺るぎのない信念が燃え盛っていた。
マズルは頷いた。
「わたくしのようなものでよろしければ」
かつて自分は、メローラ姫からの助けを求める声を裏切った。だからこそ、今度はサーシャ姫の求めに応じなければならないのだ。
「わたくしの、お命、如何様にもお使い下さい」
――「ねえ、マズル!」
木の上で、メローラが笑っていた。
「姫様、なりません!」
マズルはあきれ果てるように、腰に手をやった。
「危のうございますよ!!」
「大丈夫よ!」
メローラのご機嫌な声が響く。
しばらくして、するりと降りてきた。
にこやかに言う。
「マズル、あなたはこのメローラを木の上から救い出した」
「姫様……」
マズルは困った顔をした。
彼は姫の小さい頃からお側にあった。お転婆過ぎる姫に手を焼きながらも、嫌どころか、むしろ大変充実した日々だった。
「マズル、あたしもいずれ嫁ぐ。この国の為に役に立てるなら喜ばしい事」
「陛下が姫様を手放すのはまだ先でしょう」
マズルが笑って言うと、メローラも笑うのだった。
「その時は、マズルには祝って欲しい。あたしがどんな顔をしていても。」
「御意」
マズルは跪いた。
「あたしは、ナツル国の王女。他国へ嫁ごうとも、いつもこの国を思っていたい。そう思わせたのはあなたのおかげよ」
後に、メローラにはレトキ王ヒュールとの婚姻話が持ち上がっていた事を彼は知った。
メローラはそれを知ってか知らずか、今にしては分からぬが彼にそんな話をしたのだった。
「勿体無きお言葉……」――
マズルは、サーシャ姫の目的を聞いた。
「私は、メローラ姫と直に話したい。そして和平を結ぶのです。父上はメローラ姫を殺す気でいます。しかしそれでは、戦乱はさらに激しいものとなります……。そもそもこの戦、ナツルが不利です。父上は何をお考えか分かりませぬが、よしんば敵軍を追い返したとしても、国の多くが荒れ果てるのは間違いありません……」
「し、しかしどうやって!?」
和平を?
サーシャは微笑んだ。
「私を、こっそり連れ出してください」
マズルとキャスは互いに顔を見合わせ、開いた口をふさげずにいた。
「メローラ姫のもとに連れて行ってください。話は私がつけます」
サーシャ姫が帰ってしまった後、マズルとキャスの2人はじっと黙りこくっていたが、先に口を開いたのはキャスだった。
「無謀です!」
キャスの顔は困惑の色に染まっていた。
「成功する見込みがあるとは思えません!姫様を危険に晒すだけです」
「分かっている……」
マズルは言った。
キャスは「まさか……」と呟く。
「お受けになる気ではございませんでしょうね!?」
彼女は首を振る。
マズルはにやりと笑った。これまでの無気力で項垂れていた彼とは違う、晴れやかで生気の宿った笑みだった。
キャスは溜息をついた。
「無論、姫様をお諌めするつもりでいる。だが、もしどうしても、と仰せなら、たとえ大逆の罪を受けようとも……」
「……。お供しますとも」
2人は微笑み合った。
逆賊と呼ばば呼べ。2人の腹は決まった。
それから毎日、サーシャは訪れた。マズルは何度も、思い留まるよう進言した。
「危のうございます。お命を落とすやも」
「メローラ姫が聞き入れるかどうか……」
「たどり着く前に賊に襲われるやも」
サーシャは恐れよりも、意気に満ちた表情で答えるのであった。
「覚悟は出来ております」
決行はその晩だった。
「既に、用意しております」
サーシャの侍女、スレスがフードや、保存食を取り出す。エウという魚を干したものや、サダという豆を発酵させ、乾燥させた丸食。それぞれ数日分あった。
「準備のいい事で」
キャスが驚いた表情で言う。
スレスはサーシャ姫と同い年で、キャスより年下である。
もう1人、屈強な男がいた。彼はロークといった。サーシャに拾われた浪人であった。
新月、5人は闇夜の王都ナタラールを、まるで盗賊のようにこそこそと進んだ。
とある箇所でサーシャが止まり、指差す。その方向には巨大な穴があった。枯れた井戸に見せかけてある。
「ここから抜けます」
「ここは……」
キャスが小声で言う。
「かつて、ナツルの王家の為に作られた抜け穴です。入り口は王宮から続いていますが、ここからも入れるのです」
スレスが松明をつける。
穴の中は石で敷き詰められ、ところどころ、水が滴っていた。
「わたくしは知りませんでした……」
マズルは言った。
もしあの晩、メローラ姫に助けを求められた時、もし自分がプリズルの考えを見抜いていて尚且つ、この抜け穴を知っていれば……。
「抜け穴は、王都の外の裏山に繋がっています」とスレス。
「とりあえず、そこまで進みましょう」
サーシャはマズルに微笑みかけた。




