公爵令嬢
「ネリネ様、もうじきセアンサに到着します」
「まさか、わたくしがここを訪れることになるとは思いもしませんでしたわ」
従者に声をかけられて、ネリネは馬車の窓から外を眺めていた。
父親であるシワラ公爵に、セアンサの統治の補佐をするように命じられたのが二週間ほど前のことだった。
「浮かない顔ですね」
「厄介払いされたかもしれない、と考えてしまいまして」
「それは考えすぎでしょう。お父様は、あなた様のこと大事にしていると思いますから」
「本当に、そうでしょうか。ティア」
唯一付けられた世話役で、同年代の侍女でもあるティアにネリネはそう言った。
「と、申しますと」
「わたくしも公爵家に生まれた身です。ですから、家のために生きることは当然のことでしょう」
「確かにネリネ様は、そろそろご結婚されてもおかしくない年頃です。ですが、その前に公爵家以外の場所で学びを得よということでしょう」
ティアはネリネを励ますように言う。
「確かに、わたくしはお飾りの妻にはなりたくないと常々思っています。それもあって、内政の勉強を続けてきましたが……世の中の殿方は、お飾りの妻を望む方が多いようですね」
「ネリネ様は、どこに出しても恥ずかしくない令嬢だと思いますが」
自嘲気味に言うネリネに、ティアははっきりと言い切った。
「ありがとう」
その心遣いを無下にすまいと、ネリネは僅かに笑みを浮かべて見せる。
「おや?」
「どうしたの」
「いえ、セアンサ領に入ってから、馬車が揺れなくなったと思いまして」
「言われてみれば、そうですね……ですが、前の領主はこのような気遣いができる方とは思えません」
ティアの言うように、セアンサ領に入ってから馬車の揺れが緩やかになっていた。これは道が整備されているということなのだが、前の領主の人柄や不正をしていたという話を聞く限りでは、そんなことができるとは到底思えなかった。
「と、なると新しい領主の手腕ということになるでしょうか」
「そうなりますね。お父様の話では、元々はシアソトと隣接した……サイカオ領の領主、でしたわね。聞いた話ですが、陛下からの昇爵を一度は断ったとか」
ネリネは父親から聞いていた話を思い出していた。
「それはまた謙虚な方ですね。昇爵ともなれば、大抵の貴族は喜んで受け入れるでしょうに」
「その方は……確か、ハックル様とおっしゃられましたか。今のサイカオでは子爵の義務を果たせないと言って断ったそうです。更に、セアンサへの領地変更も『サイカオの民と共に生きていきたい』と断ったたと聞いています」
「その話を聞く限りでは、相当な人格者とも受け取れますが……」
ネリネの話を聞いて、ティアは半信半疑だった。
「いずれにしでも、会ってみないと始まりませんね」
「そのようですね」
そのまま馬車にしばらく揺られていると、領主の館らしき大きな建物が見えてきた。
「ここのようですね」
目的地に着いたと判断して、ティアは馬車から降りる。
「ネリネ様」
ティアはすっと手を差し伸べた。
「ありがとう」
ネリネはその手を取ると、ゆっくりと馬車から降りた。
「無駄に大きい館です。ここの領地の規模からしても、ここまでの館は必要ないでしょう」
ネリネは呆れたように口にしていた。貴族がある程度の館を構えるのは、決して贅沢をしたいというのだけが理由ではない。
だが、それにしても限度というものがある。
セアンサの規模や収支からしても、ここまで贅沢な館を立てる必要はないだろう。
「おや? すでに出迎えが来ているようです」
館の門前に誰かが立っているのを見て、ティアは感心したように言った。
「あらかじめ到着予定日を伝えておいたとはいえ、手回しが良いようですね」
そうこうしているうちに門に立っていた中年の男がゆっくりと近づいてくると、二人の前に立ち止まった。
「ネリネ様、でよろしいでしょうか」
男は一礼すると、そう聞いてきた。その所作はどこの家、下手をしたら王宮に勤めても問題ないようなものだったので、二人は驚かされていた。
「これは失礼を。まず私が名乗るのが先でした。セアンサ領主、ハックル様に仕えているノキュと申します。どうぞ、お見知りおきを」
二人が驚いているのを見て、自分が不躾だと思ったのかノキュは名乗ると再度一礼する。
「い、いえ。そのようなことは……と、失礼しました。わたくしはシワラ公爵家のネリネと申します」
「ネリネ様にお仕えしている、ティアです」
二人は名乗ると、ノキュ同様に一礼した。
「申し訳ないのですが、ハックル様は現在この館に住んでおりません。ですので、私がハックル様の所へとご案内するべく、こうしていた次第です」
「それは、どういうことでしょうか」
ノキュの説明を聞いて、ネリネは疑問を抱いていた。
いくら分不相応な館とはいえ、これだけの館を使わない理由が思い当たらない。
「道すがら説明しましょう。お二人がいらっしゃる前に、不正をしていた人間を大量に処理することになったのですが」
ノキュは歩きながら説明を始めた。
「不正……確か、前の領主は不正をしていて領主を辞めさせられたと聞いています。領主個人ではなく、その配下も一緒に行っていた、ということでしょうか」
「そういうことです。おかげで大変苦労させられた挙句、人員も大幅に減ることになりました。そうなると、あの館の管理をするだけでも大変になりまして」
「それで、別の場所へと?」
「そういうことです」
ノキュの話を聞いて、二人は互いに顔を見合わせていた。
新しい領主は外見よりを内面を気にするようだが、貴族としては珍しいタイプと言える。
「どう思いますか」
「そうですね……他の貴族の方と同じと考えていたら、足元を掬われそうな感じがします」
小声で囁くように聞いてくるティアに、ネリネは同じような声で返した。
体面を気にするような相手は嫌というほど見てきているが、逆にそれを気にしないような相手は初めてだった。
はっきり言って、何を考えているのかわからないという一種の怖さすらあった。
「さて、着きましたな」
ノキュが足を止めると、最初の館の半分程度の建物が目の前にあった。
「ここが、領主の館……ですか」
ネリネは驚きのあまり、言葉が上手く出せなかった。
さすがにこの規模の館が領主の物だと言われても、誰も信じないだろう。
「ネリネ様」
「ご案内、ありがとうございます」
ティアに小声で言われて、ネリネは我に返って一礼する。
「まあ、驚かれるのも当然でしょうな。私ももう少しまとも……と、大きい館でも良いかと思ったのですが、何せ当の本人が『サイカオと同程度の規模で良い』とおっしゃるものですから」
その様子を見て、ノキュがそう言った。
「そうでしたか。領主様が決めたことなら、わたくしがどうこう言える立場でもありませんので」
「そう言っていただけると助かりますな。では、ハックル様の所へご案内いたします」
ノキュは館の扉を開けると、二人に入るよう促した。
「ありがとうございます」
館の中に入って、二人は更に驚かされていた。高価な装飾品の類が一切なく、あるのは実用性に長けたものばかりだった。
それでいて手入れはしっかりとされているあたり、領主の方針が何となく伺える。
「ハックル様、シワラ公爵令嬢をお連れしました」
領主の部屋の前で、ノキュが扉をノックした。
「わかった」
中から声が聞こえたのを確認して、ノキュは扉を開ける。
「どうぞ」
二人が部屋に入ると、そこにはネリネよりもかなり年上の男がいた。さすがにネリネの父親ほど年は離れていないが、少なくとも五歳から六歳くらいは年上のように見えた。
「初めまして、私はセアンサ領主のハックルと申します」
ハックルは名乗ってから一礼した。
「わたくしはシワラ公爵家のネリネです」
「私はネリネ様の侍女で、ティアといいます」
二人も同様に一礼する。
「お二人だけ、ですか」
ハックルは二人しかいないことに違和感を覚えていた。さすがに大人数を連れてくるわけにはいかないだろうが、公爵令嬢のお付きが一人というのはどうにも引っかかる。
「あまり大人数を連れて行くと、シワラ公爵家が傀儡にするかもしれないとあらぬ疑いを持たれますから」
「なるほど、そういうことですか。配慮に感謝します。お二人……いや、お連れの方は侍女でしたか。ネリネ様」
「ネリネ、で構いませんわ」
「私は子爵ですので、公爵令嬢を敬称無しで呼ぶわけにはいかないでしょう」
「わたくしは構いませんが」
「……では、ネリネさん、で良いでしょうか」
「それで構いませんよ」
「では、ネリネさん。早速ですがこの資料に目を通してもらえますか」
ハックルは今までまとめていた資料をネリネに差し出した。
「……」
「どうされましたか」
ネリネが困惑した表情で資料を受け取ろうとしないので、ハックルは体調でも悪くなったのかと気になっていた。
「い、いえ。そういうわけではなくて……ハックル様はわたくしのことを、全く知らないはずです。それなのに、もう仕事を任せてくれるとは思いもしませんでしたので」
ネリネはハックルがいきなり仕事を回してきたことに驚いていた。大抵の貴族は女性を下に見る傾向があり、女に仕事を任せるなど有り得ないという風潮も珍しいものではない。
「あなたはここに遊びに来たわけではないでしょう。それに、陛下とシワラ公爵が直々に推薦されるような方が、ぼんくらや能無しとも思えませんが」
「……あなたの期待に、できる限りではありますが応えて差し上げますわ」
だが、次のハックルの言葉にネリネは俄然やる気になっていた。ハックルから資料を受け取ると、細部まで取りこぼすことのないようにしっかりと目を通す。
「驚きました。ここまで商人協会や職人協会と細かいやり取りをしているなんて……道路の補修も、彼らの意見を取り入れた結果ですか?」
そして、ハックルが道路の補修に手を出した理由を推測していた。
「その資料から、そこまで読み取りますか……どうやら、あなたは綺麗なだけでなく頭も回るようだ。これからは頼りにさせてもらいます」
「お世辞を言う方は、あまり好きではありませんが」
「これは手厳しい。そんなつもりはなかったのですが」
ネリネにきっぱりと言われて、ハックルはたまらず苦笑していた。




