3-6 二つの問題
3-6 二つの問題
第一に魔物入りのアイネの実がない。この部屋になければならない、僕の任務のためにも解決すべき恐怖の元凶が見当たらないのだ。
クローゼットに無理やり押し込んだ可能性もあるが、アイネの実は見た目ほど頑丈ではないと聞く。表面は冷たくまるで石だが、指で強く押し込めばひびが入ってしまう。貴族の間で贈り物とする場合、強度を高める魔法使いの加工が必要なのだ。だからエレノアのいう“六分”の間に移動させるようなぞんざいな扱いはさすがにしないだろう。それ以外の場合、特に恒久的に保管する時には専用のケースが必須だ。この部屋にその専用のケースをしまう場所はない。頭部ほどのアイネの実をそのままの大きさで保管するには成人男性が両手で抱えるほどのケースが必要だ。つまりアイネの実が、僕があれ程恐れていた魔物の住処がないのだ!
じゃあ、あのミシリ、ミシリと恐怖を掻き立てる音は幻聴か? エレノアが音に反応し窓枠に触れに行った以上、僕だけに聞こえている軋みではない。つまり魔物が存在するのは確定であり、そして魔物がこの森で存在するには赤ん坊の頭部くらいの大きさのアイネの実が必須なのだ。
第二に……僕はじっと視線を斜め下に向ける。所謂勉強机と呼ばれるようなテーブルの隣に小さな箱がある。畑を管理している制御装置に似ていて、ここからではよく見えないが複雑な文様みたいな窪みが彫られていた。それがたまにチカチカと光り、文様が青く浮かび上がる。今の場所からでは見えないが上部に透明な薄い板が張られていて部屋に入った時に実は真っ先に目に飛び込んだものだった。
恐らく魔具の一種だろう。だが用途が全く分からない。“普通”の魔法使いの部屋でそれだけが明らかに浮いていた。
透明な板は魔力に反応して映像を映し出すモニターだろう。ただ何を映すのか、そもそも本当にモニターなのかすらやはりわからなかった。
せっかくエレノアの部屋が入ったのに、謎が更に増えてしまっている。埃の匂いがするベッドしたで僕は途方に暮れていた。
すると。
ヴォオオン。
身体が小刻みに震える。違う、床が振動してそれが伝わってくる。地震ではなくもっと規則的な、痙攣に近い震えだった。
ヴォオオン。ヴォオオン。
ミシリ、ミシリ。
ひっ、と声を出しそうになり思わず唇を噛む。奴だ、魔物がやはりいる!
汗ばむ背中に耐えながら僕はできるだけ気配を消す。息を潜め、僅かな隙間から周囲を観察する。そうして数秒後、僕は愕然としながら視線だけ動かしてそれを凝視した。
ヴォオオン。ヴォオオン。
ミシリ、ミシリ。
エレノアの部屋に入り真っ先に目についたあの奇妙な装置が震え、何度も聞いた件の音を響かせていた。
ミシリ、ミシリと家が震える。つまり視線の先の奇妙な箱が作動することにより軋みを発生させていた。
魔物の胎動だと思っていた音の原因が目の前に存在していた。
──嘘だろう!
思わず声に出そうになりまた唇を噛み締める。僕はあんな正体不明の装置に怯えていたのか。家鳴りの正体は閉じ込められた魔物ではなく、謎の箱? 僕は頭をぶつけない程度に首を振り、どろりとした感情を生暖かい息と共に吐き出した。
大きさからしてあの装置のなかにアイネの実及び保管装置があるはずはない。となればそもそもあの装置なんなのか。用途はどんなもので何故エレノアの自室にあるのか。その前に本当に僕が怯え続けていた魔物は存在せずに家鳴りの原因はあの装置で間違いないのか。そうだとしたら僕の特殊な魔除けに反応していた魔物の正体は──困惑する僕を余所に装置はミシリとまた家を軋ませる。振動が冷たい床を通して伝わった。
息を潜め耳に集中すれば階下から話し声が聞こえる。先程訪ねてきた客とエレノアに違いないだろうが何を話しているかは勿論、来客が何人かすら不明だ。口を押さえられた状態で無理やり話そうとしているような呻き声がいくつかする、というのが近いかもしれない。それがちょうどこの下のリビングから聞こえてくる。何かを話し込んでいるようだった。
ふと、装置の反応がなくなったことに気づく。さっきまで存在を主張していた振動はなくなりこの部屋自体は静寂に包まれていた。だが。
ミシリ、ミシリ。
突如また癇癪を起こしたように装置が鳴く。と、同時に階下の声達が遠ざかっていった。帰るのかと期待したものの、声自体は一層聞き取りにくく、しかし確実に鼓膜を揺さぶり続けている。ふと大きめにガチャリという音が突如鼓膜をついた。階下のどこかの扉が開いたのだろう。エレノアと客は家の中を移動しているようだ。すると申し合わせたように装置がまた大きく震え始め、いつもの音がした。
どうやらこの家鳴りは人間の移動にあわせて発生するらしい。僕の仮説が正しければ魔物が確実に人間を狙っている、こちらの動向を把握している証明となる。
だが一方で魔物入りアイネの実は見つかっていないどころか、存在しない可能性の方が今や高いのも事実だった。僕の魔除けが反応した存在が何か、何故門扉に魔除けが設置してあるのかは未だ不明だが家鳴りの正体はもはや魔物では、ない。
ショックだった。
魔物入りのアイネの実なんてない方が僕の身の安全のためにも、任務のためにもいいのに。それなのに信じていた友人に裏切られたような喪失感が冷たく胸に去来する。
いないもの相手に一人で怯え続けていた滑稽さが、惨めさが誰かに嘲笑われたのではないのにそうされたような心持ちだった。
かといって魔除けが反応したように魔物がこの家に住んでいるのが正しい場合、今度こそ僕はどうしていいかわからない。どんな理屈かはわからないが野放しになっていて、かつ不可視の魔物の恐怖に怯えながら任務完了までの間を過ごすのか、あるいは任務遂行中に魔物の横槍が入る可能性を考慮して気を張らなければならないのか。
不安と恐怖が混ざり僕の心を染めていく。ベッド下という薄暗く圧迫感に苛まれる空間が更に僕を追い詰めていった。
やがてぽっかりと空いた心の穴がじくじくと痛み、それから埋まっていく。矛盾への思考を放棄した途端、惨めさがそっと滾る血液のように熱く、胸を焦がす。怒りだった。怒りが八つ当たり以外の何物でもないのに──エレノアに向いた。
僕を怖がらせやがって。違う、お前が勝手に妄想しただけだ。何が魔物だ、本当はそんなものはいないのだろう。そうじゃない、まだいるかもわからずその矛盾の答えを出すことがお前の役目だ。魔物と暮らしているんだろう、魔物を使役し人々を苦しめて……僕を苦しめているんだ。かつて魔物を生み出し、使役し人間を支配して恐れられた魔王のように。そうともだってエレノア、君は──
とん、とん、とん。
軽快な音が僕の身体を揺らし、身勝手すぎる憎悪が断ち切られる。足音だ、エレノアと来客の。階段をのぼり二階に上がってきたのだ。
「……で──から……」
「で……お……」
声は二種類。親しげでもなくかといって剣呑な空気をまとっているわけでもない。片方が低めの、男の声でもう片方が聞きなれたエレノアの声だった。来客はつまり一人だ。淡々と何かを主にエレノアの方が話していて、男が相槌を打っているようだ。
「次は──ので……」
「では……めて──」
二階に彼女達が来たことで不鮮明なくぐもった音が少しずつ、鮮明になっていく。それでもまだ何を話しているかまでは聞こえない。
バタンと音がする。どこかの扉を開け、そして閉めたらしい。
数分後またバタンと音がして扉が閉まる。先程よりもほんの少し遠くに聞こえ、僕は身体を強張らせて目を見張った。
部屋を一つずつ巡っているのだ。
僕が借りていた部屋を、そして隣の散らかり放題だった部屋達をエレノアは何故か来客に見せて回っている。おそらく一階でも同様にしていたのだ。彼女達が移動する度に装置はまた煩く家を揺らす。
喉が乾く。この先で何が起きるか想像がついたからだ。
一つは靴下におおわれたエレノアの足音だ。もう一つはスリッパが床を叩く音で客の男性のものだ。彼女達はこっちに近づいてきている。となればこの後何が待っているのか。困惑したままの頭脳でも導き出せる答えがそこにあった。
がしゃりとドアノブが下がる。
「ここが最後。私の自室になります」
「温室もあるので最後にはなりませんよ。エレノアさん」
「そうでしたね。でも屋内の案内はここが終わりです」
「隠し部屋でもなければ、ですが」
見覚えのある紺色のパンツの裾と靴下の横から大股開きでこちらに近づいてくる男性の両足のスリッパが視界に飛び込んできた。




