第二十話『親子』
体の中まで震わす衝撃と共に視界は反転。
気づけば高台の下まで転がり落ちていた。
地面に手をつき起き上がるが、何が起きたのかの理解が遅れる。つい数秒前までイザクと会話していた筈。何故落下しているのか。
真っ白になった思考だが、瓦礫の山と化した建物を見た事ですぐに理解を取り戻す。状況から判断して、何かの衝突の危険を察知したイザクによって突き飛ばされたのだと。
突き飛ばされた胸元を見ると、元々ボロボロだった衣服が更に裂かれていた。まるで力任せに洗濯したかのように擦り切れ、胸元に隠していた首飾りが地肌と共に見えていた。
見上げる視界の先。土煙を上げる建物は爆発したかの様に崩壊していた。周囲には金属臭が漂い、ただぶつかった衝撃で崩れたわけではない事を伺わせる。
崩れた煉瓦は足元まで飛び散っており、衝撃の激しさを物語っていた。
その瓦礫の中で、ふと目に付く物があった。暮れなずむ夕日を照らし、鋭く光を照らし返している。
近づきその正体を確かめたカナンは再び思考を白く染めた。
騒ぎに集まってくる人々の喧騒も耳には入らず、しゃがんでそれを手に取る。
それは槍の穂先と、握り締めた手だった。しかし肘から先がない。赤い断面を見せている手の持ち主が、そこにはいなかった。
何も考えることが出来ず、身動きも取れないカナンの近くに人が集まってくる。やがて、立ち尽くした不審人物をすぐさま発見した兵が警戒も露わに、カナンに近づこうとした。
「……っっっっっそがああぁあぁあぁぁぁ!!」
突如として上がった叫びと破砕音。崩れた家屋の頂上にカンドは立ち、怒りに任せ吠えていた。
その様子に警戒する対象を切り替え、武器を構える兵士たち。
「そこを動くな!何者だ、貴様!?」
「あぁ!?」
カンドの衣服はズタボロに吹き飛び、腰に布切れが辛うじて引っかかっている状態だった。剥き出しとなった胸元は赤い杭が刺さっており、杭から伸びた触手は胸全体に広がっている。
「ああ、くそったれ。随分吹き飛ばしやがって……!――まあいい、仕切り直しだ。戦力を補充して再挑戦と行くか」
そういいながらカンドは兵士たちが目に見えていないかのように、軽やかに高台から飛び降りた。突然の挙動に兵士たちの間で動揺が走る。
「待て!動くなと言ったはずだ!」
「ぴーぴーうるせーな。少し静かにしやがれや!」
「なっ!?よもや本物の狂人か!?ええいっ!近づくでないわ!!」
兵士たちの制止を聞かず、ゆっくり歩み寄るカンド。兵士の一人は全く話を聞かない様子のカンドへ戦棍を叩きつけた。
「はっ!――――は?」
肩から打ち据えられたカンドだが、骨折は免れない衝撃に何の痛痒を見せる様子もなく。
それどころか、先端に付いたスパイクに抉られた肉体からは出血する様子もなかった。
「ば、ばけものお、おっ!?」
「おらっ!」
近づかれたカンドに頭を掴まれ、動きが止まる兵士の一人。彼の見開かれた眼は次第に赤みを帯びていき、口からは言葉にならない声が漏れ出るようになる。
その様子に周囲の兵は異様さを感じ、飛び掛かることも出来ない。やがてカンドは手を離し、解放された兵士は他の兵士たちへと振り向いた。
街に現れた暴徒と同じ、赤い目をした状態で。
「おら!仲間を増やしてこい!」
「しー、しーぷーっ!!」
「なっ!?お、応援をっ!こいつが騒動の元凶だ!!」
叫びと同時、展開していた複数の兵士による攻撃がカンドを襲う。それぞれ別部位へ叩きこまれた戦棍は先ほどと同じように何の痛痒もカンドへ与えられていない様だった。
「おお、自分から配下になりに来るとは殊勝じゃねえか」
「くっ!?があぁっ!」
カンドの両手が兵士二人の頭部を掴まえる。繰り返される異様な光景は兵士たちの心を折るのに十分だった。
「ひ、ひぃっ!」
「あ、待て!逃げるな!」
「か、かねええぇぇええぇえぇ!!」
「く、来るな!こっちに来るなあぁぁああぁぁ!!」
騒然となる現場をよそにカンドは攻撃を受けた部位を摩り、肩を回す。
「随分便利になってきやがったな。血も出ねえし痛みもねえ。勝てる、次は勝てるぜ!クソ領主も死にぞこないのハサムも、今度こそぶっ殺してやる!!」
その様子を、カナンは静かに見ていた。
先ほどの仮面の男。彼の記憶を覗いた際に垣間見た、カンドのある姿を思い出す。
「……父さん……」
「――あ?」
カンドが振り向く。その顔が僅かに驚きを形作った。
「てめえ、こんな所にいやがったのか。黙っていなくなりやがって。……まあいい。てめえは後回しだ。ぶっ殺す奴ぶっ殺してからお仕置きしてやるよ」
「この事態は、父さんが引き起こしたの?」
「あ?」
カナンを置いて歩き出そうとしたカンドを呼び止める。カンドは面倒くさそうに再び振り向いた。
「おう、そうだよ。すげえだろ?もう少しでこの街の支配者に俺はなるんだ。分かったら邪魔すんなよ。俺はこれから忙しいんだ」
「……そんな事の為に……」
口元だけで呟かれた言葉は、カンドに届かず風に消えていった。
怪訝な顔をするカンドに構わず、手元の腕を握り締める。
イザクもイザクの父も死んで、街に多大な被害を齎した。この前訪れた騎士から感じさせた街と居住地との友好の目も潰えただろう。しかもそれらを代償に目指した目的が街の支配者という余りに無謀な夢。
あのように人を強制的に操る男に誰が付いていくというのか。支配に成功したとして街を運営していく術や伝手はあるのか。そもそもその目的は死んでいった人たちと釣り合う物なのか。カナンには理解できない。理解したくもない。
カナンはカンドを睨む。その眼差しにカンドは不快気な表情を浮かべる。
「あ?何だその顔は。俺に文句でもあるか?」
「……あなたに、統治者になる資格はない。あなたのような犯罪者には」
「……ほぉ?しばらく見ない内に、随分生意気な口を利くようになったじゃないか」
初めて見せる息子の反抗にカンドは目元を歪ませる。
「王は民に対して責任を負う。負わなきゃいけない。あなたのような他の人の足を引っ張るばかりで自分を大きく見せたい臆病者には、務まらない!」
「ははっ……、母親そっくりに育ったな、てめえ……!」
カナンの挑発に憤怒の表情を浮かべ激高するカンド。握った拳は怒りに震え、今にも殴り掛かってきそうな気配を漂わせている。
「あいつも口ばかり達者で碌に働けねえ軟弱者だったが、お前も同じだな。俺に敵わねえくせに刃向かいやがって。弱者は弱者らしく黙って俯いて強者に従ってりゃいいんだ!」
「じゃあお前こそ黙って俯いていろ!」
カナンが声を張り、決定的な一言を発する。
「敗北者!」
途端、カンドの態度が急変する。眼を剥いてカナンの頭を掴み上げ、万力のような怪力で締め上げる。
奇しくもあの仮面の男がしたのと同じように。
「俺はまだ負けてねえ!くそが!もう一度言ってみやがれ!」
「ぐっ、い、いっただろ、お、前は、敗北者、だっ!」
敗北者。
カンドの脳裏には命を落としかけた敗戦の記憶が蘇る。
得体のしれない少女の放った一撃。何の感情も見通せない目に恐怖を感じ、一目散に逃げた過去。
思い出すだけで動悸が激しくなり、呼吸が苦しくなる。ともすれば今も後ろから現れ、あの時の様に攻撃されるのではないかと不安で意識が遠のきそうになる。
務めて意識しないようにしていたが、あれから十年。忘れた頃にカンドを襲う恐怖の記憶。夜が眠れなくなる日も珍しくない。
カンドはあの戦場から逃げる事が出来たと思っていたが、その実、今も心は囚われのまま。
こうして今も古傷が疼き、傷を負った時が思い出せる。
逃げ延びた兵を追う追手。駆ける蹄の音。出会い頭に斬りつけられ次々と倒れる同僚。反転した拍子に背中を斬られ、息も絶え絶えに足場の悪い岩地を逃げていき。高い所から無理をして飛び痛む足。土埃に塗れ汗か血も分からない液体に塗れ。必死の覚悟で川に飛び込み命を拾ったあの日々を。
――ああ、思い、だし、……た?
カンドの全身から血が噴き出し、その拍子に離され落下するカナン。
何が起きたか分からず、全身を襲う懐かしい激痛に声も出せないカンド。堪らず頭を抱えもんどり打った。
「あ……、ああぁ、あがああああああぁぁ!?」
「いっ、だっ、いっ……!」
そして離されたカナンも全身から血を流す。一見血塗れで分からないその傷は大小の違いこそあるが、カンドが負った傷と同じ場所に開いていた。
――カナンの切り札の二つ目、『古傷を開く』。
カナンが編み出した『思い出す』ギアの応用の一つ。相手の負った傷を思い出す事による、カナン唯一の攻撃的な技。
デメリットとして他の技同様、相手と接触しなければ発動できない。また見ず知らずの相手が対象の場合、まず傷を負った記憶の参照から始めて傷の部位や範囲の把握をする必要がある。
今回はカンドが対象だったためすぐに能力を発動できた。武勇伝として耳にタコができるぐらい背中の古傷は聞かされてきたため……なのだが。
前回仮面の男に発動しようとした時と同様、カンドの記憶を追体験した。十年前の戦争、褐色の少女、敗戦と逃亡。カンドに埋め込まれた杭の能力による異常なのか、カナンの能力に起きた異変か、成長か。
今は判断できないため、とりあえず能力によって自分の傷口は塞いでおく。
カナンの能力の一つ、『健康体を思い出す』。
絶好調を思い出す能力が精神の回復能力なら、この能力は体力の回復能力になる。この能力がなければ、古傷を思い出す能力など使う気にはなれなかっただろう。
とは言え健康体に戻る速度は微々たるもので、今は出血を止め筋肉の断裂や骨折を繋ぎ合わせる程度に回復は留まる。それでも、カンドに止めを刺すのに支障はない。
「あっ、あっ、な、何でだ!?何でこんな、傷が!?」
カンドは杭の回復能力が効かずに藻掻いていた。隙さえ作れればと思っていたが、良い意味で誤算だった。古傷を開くのは序の口、本番はこれからだ。
立ち上がったカナンはゆっくりとだが、カンドへと歩み寄る。
「今度こそ終わりだ。この騒動も、野心も」
「カっ、お、おまえがやったのか?これを?」
カンドの疑問の声を無視し、仰向けに倒れて露わになった胸元の杭へと触れる。
「おっ、やめろ!それに触るんじゃねえ!!」
思い出すのは仮面の男の時にも浮かんだ記憶。
夕焼けの中、カンドが受けた悍ましい悪魔の契約。
――サア、我慢デスヨ。この杭を受け入れることが出来たとその時、アナタは悪魔の力を授かり王になる資格を得るのデス!――
――ぐ、ぐあああぁあぁぁっ!――
カンドの胸へ赤い杭が穿たれる。杭からは赤い触手が方々へ伸び、半数以上がカンドの胸元へと吸い込まれていった。
辺りに血飛沫を巻き上げながら。
――あ、がああああぁぁああああ!!――
――頑張りナサイ。アナタは王となるのデショウ?――
――あ、当たり前だ……っ!ウウオォオオォ!ハサムも領主も気に入らない奴全部ぶっ殺して俺が王に……なるっ!――
そして恐怖で夜も眠れない臆病な自分を縊り殺し、不安も抱く事のない、あの強者のようになるんだ、と。
そしてそれは……、決して叶わない。
カナンは悪魔の杭を受け入れる前、健常者だったころのカンドを思い出す。
古傷こそ負った体である者の、得体の知れない代物など胸に刺さっていなかったあの頃を。
「がっ、あがっ、や、やめてっ!!う、嘘だろ?ああがっ!」
カナンが能力を発動した途端、暴れだす赤い杭。
それは仮面の男とのやり取りと同じような光景で、決定的に違うのはカンドの身体が杭を受け入れることがないという一点のみ。
「な、何で!?ぼ、暴走?お、お前がやっでぃいいいいいいっ!!」
杭から触手が伸びカンドの身体を貫き、しかしカナンの能力で杭は拒絶される。その度に触手は別の所からカンドを刺す。その執拗さは自分を受け入れるまで続けるという杭自身の執念を思わせた。
「あ、りえねえ、お、俺は、強く、強者に……ぎぎぎぎぃいいいぃいぃぃっ!!」
延々と繰り返される生き地獄。やがて全身を触手に貫かれ、カンドの命も虫の息というところまで追い込まれる。
か細い呼吸の中、カンドの声が発せられた。
「……ひ、ひぃ、……や、やめ、やめてくれ……っ。ち、ちちを、実の父親を、殺すのか……?」
「……実の父親?」
カナンは目を瞑る。思い出すのはこの世界に生まれ落ちた日の事。
まだカナンはこの世界の言葉も分からず、発せられた声と雑音の区別がつかなかった幼児だった。頭の痛さから落とされたという事も、後にカンドという父だと判明した男が母と呼ぶことになる女性へ浴びせた罵声の内容も、その頃は何も分からなかった。
しかし今はっきりと思い出せ理解することが出来る。頭の痛さの意味も、カンドが母に放った言葉の意味も。
「――『叩き落したそいつの心配をするわけないだろう。俺の子供でもねえのに』――」
「……は?」
カンドは果たして覚えているのか。覚えていたとして理解できるのか。歩くことも出来ない幼児期の記憶を今もなおカナンが持ち合わせている事など。
それは、しかし永遠に判明することは無かった。
「あ……がっ…………――」
最後に響いた呻き声を最後に、カンドの身体から力が抜ける。と同時、赤い杭から伸びた触手は枯れたように水気を失い、乾物の様に萎れていった。
赤かった杭は色を失い、真っ白に染まっていく。やがて杭自身も乾いた音を立てて罅割れ、高い音を立てて真っ二つに割れた。
そのまま触手の端から崩れていき、風に吹かれて飛んでいく。
後に残るのは苦悶の表情を浮かべたカンドの遺体と、立ち尽くすカナンの姿。
カナンは掌を見つめ、確かに父と呼び一緒に過ごした人間を殺めたと自覚する。
もはやそれ以外の道を選ぶつもりはなかったが、カナンは今日、人を殺した。
これ以上の被害を出さない為と自分に言い聞かせもしたが、本音はきっと、イザクを殺された恨みだった。殺人はいけないなどと、この世界で綺麗ごとを言うつもりはない。
ただ憎しみを持って人を殺した事実は、カンドに向けた犯罪者と呼んだ言葉が自分に返って来るようで……。
……ああ、イザクの槍を回収しなくちゃ……。
これ以上何かを考える余裕は残っていなかった。最後に浮かんだ目的から力を無くした足でとぼとぼと歩き、地面に落ちた目当ての槍と手を発見する。
そして回収しようとしゃがむが、突然力が抜けてそのまま崩れ落ちた。
既に起き上がる気力も尽き、能力で誤魔化してきた体力は指一本動かす余力も残っておらず。
目の前に降って来た雪を見つめながら、カナンの意識は闇へと落ちていった。




