婚礼の始まり
十一点鐘の鐘の音が響いた時。礼拝堂の祭壇前に列になった神官達がゆっくりと進み出て来た。
ざわめいていた堂内が一気に静かになる。
祭壇の左右にも列になって出て来た神官達がいて、その全員の手にはミスリルの鈴が付いた杖があった。
一定のリズムで鳴らされる軽やかなミスリルの鈴の音が、静まり返った堂内に響き渡る。
神官達が精霊王に捧げる祈りの言葉を唱え、それが終わった時、祭壇の横の扉から大きな蝋燭を捧げ持った年配の僧侶が一人進み出て来た。その手にある蝋燭には火が灯されている。
その火は、ティア姫様がお越しになってからずっと、絶やす事なく灯し続けられていた聖なる炎なのだ。
「本日、式を開始するにあたり、この場を沈める聖なる炎を灯すものなり」
「精霊王に感謝と祝福を」
「精霊王に感謝と祝福を」
朗々たる僧侶のその言葉に合わせて神官達が唱和する。
二度目は参列者達も一緒になって唱和した。
僧侶が精霊王の祭壇に深々を一礼すると、精霊王の前に置かれた一本の小さな蝋燭に持っていた蝋燭の炎をそっと移した。
少しの間チリチリと音を立ててから、蝋燭の炎が燃え移る。
次の瞬間、その炎が左右に走り、次々と祭壇の左右に置かれていた大きな燭台に用意された小さな蝋燭に火を灯し始めたのだ。
まるで炎の波が走るかの如く、次々にごく細い糸を伝って炎が蝋燭に灯されていく様を見て、あちこちから感嘆のため息が聞こえた。
レイも、目の前で突然始まった炎の祭典に、もう言葉も無くただ呆然と見惚れていた。
レイを始めとして精霊が見える者達の目には、火蜥蜴達がごく細い糸を伝って火が走るたびに大喜びでそれを追いかけて走り回り、シルフ達も一緒になって大はしゃぎしながら飛び回って炎を追いかけているお祭り騒ぎの様子が見えていて、揃って笑顔になっていた。
あちこちで集まって来たシルフ達がミスリルの鈴の音に合わせて大喜びで輪になって踊り、時には光の精霊達までもが現れて一緒になって輪になり、大はしゃぎして手を叩き合って喜んでいたのだ。
やがて全ての蝋燭に火が灯ると、やや薄暗かった堂内が一気に明るくなった。
その間もミスリルの鈴の音は絶える事なく鳴り続け、再び祈りの言葉が唱えられていた。
やがて祈りが終わり大きな蝋燭を捧げ持った僧侶が下がるまで、参列者達は誰一人言葉を発する事なく、目の前で灯された無数の蝋燭の炎を見つめていたのだった。
「どうだった?」
しばらくしてようやくざわめきが戻って来た頃、隣に座っていたカウリに小さな声でそう聞かれても、レイはただ何度も頷く事しか出来なかった。
「綺麗……でした」
感動に震えながら、なんとかそれだけを言う。
「糸伝えに使われていたあの糸、ミスリルの針金が入っているからこそ、消える事も無く炎が走り、あんな綺麗な炎になるんだって聞いたよ」
「そっか、普通の糸だったらあんな風に綺麗には燃えないし、途中ですぐに消えてしまうものね」
納得したように頷きながらも、目は燭台にまだ釘付けのままだ。
「聖なる炎が灯されたあの真ん中にある小さな蝋燭が燃え尽きると、式が終了するわけだ」
カウリの説明に、最初に灯された小さな蝋燭を見てまた頷く。
あの蝋燭ならば一刻もかからずに燃え尽きるだろう。つまり御成婚の式自体はそれほど時間がかかるわけでは無いらしい。
その時、祭壇の前に銀糸に紫の肩掛けをした見覚えのある大柄な神官が現れ、参列者達に一礼した。
「あの神官様って、カウリの結婚式の時にもおられた方だよね?」
小さな声でカウリにそう尋ねる。
「そう、あれが今の神殿の一番偉い人、つまり大僧正だよ」
その説明に納得した。カウリの式の時にも思ったが、確かにとっても偉そうだ。
だけど、確かに偉そうなのだが、それが何故かとても俗物的な感じがしてあまり良い気分では無い。
個人的な感想を言えば、その人物に対してどうにも好意的な気分にはなれなかった。こんな事は初めてだ。
これはレイにとっては、他人に対するある意味初めての負の感情でもあった。
大僧正を見てなんとも言えない顔をするレイを横目で見て、カウリは苦笑いして首を振った。
「まあ、お前さんのその感覚は正しいと思うけど、今はとりあえずそれは忘れておけ。後で色々詳しく教えてやるよ」
苦笑いするカウリの言葉に、レイは小さく頷き、気分を変えるようにこっそり深呼吸をしてから背筋を伸ばして改めて前を向いた。
レイ達が座っている前の席に皇族の方々が出て来て座り、これで陛下とマティルダ様、オリヴェル王子以外の席は全て埋まった。
大僧正が手にした総ミスリル製の鈴のついた杖を大きく打ち振る。軽やかな鈴の音が響き渡り祭壇正面の扉が大きく開かれる。
目を輝かせて一斉に人々が背後を振り返るのを見て、レイも慌てて背後を振り返った。
そこには礼装に身を包んだ陛下とマティルダ様とともに、竜騎士隊の第一級礼装に身を包んだアルス皇子が立っていた。
彼の周りでは、精霊達が集まって来て大騒ぎをしている。
皆、先を争うようにして彼の頬や髪、あるいは肩や腕、そして腰に装備している竜騎士の剣にも数え切れないくらいのキスを贈っていたのだった。
参列者達から沸き起こる拍手の中を三人はゆっくりと進み、祭壇の前に並ぶと陛下とマティルダ様はそのまま最前列の席に座った。
そして、祭壇の前に立ったアルス皇子は、ゆっくりと腰の剣を抜いて自分の前に横向きになるようにそっと置き両手を組んで額に当ててその場で跪いた。
そして精霊王の祭壇に向かって深々と一礼した。
立ち上がって床に置いた剣を手に取り音を立てて鞘に収める。
再び大僧正の持つ鈴が大きく打ち鳴らされる。
振り返ったアルス皇子の視線を追うように、その場にいる参列者達も再び扉を振り返る。
光のあふれる扉の前には、オリヴェル王子に手を引かれた花嫁衣装に身を包んだティア姫様が立っていたのだった。




