予期せぬ来訪
「ま、まさか……」
ニコスの口から、絞り出す様な声が漏れる。
目の前には、大小二頭の竜が降り立ち、大きな竜の背から一組の男女が降りて来た。薄い朱色の竜から降りた軍人と思しき男性が駆け寄り、女性に手を貸して草原に降り立つ。
「ニコス。私を覚えていて?」
目の前に立ち、得意気に目を輝かせている小柄な女性は、ツバの広い帽子を被り、緩やかに波打つ輝く様な銀色の髪をしている。
身体に沿った優しい薄緑色のドレスの裾はふんわりと柔らかく、全体に広がっているものの引きずるほどには長くはない。少しのぞいた細い足は、膝下まである真っ白なブーツに隠されていた。そして腕が全て隠れる長い真っ白な手袋をしていた。
「ティア姫様……お美しくなられましたな……」
その場に、両手を握りしめて額に当て跪いたニコスの言葉に、弾かれた様にタキスとギード、そしてアンフィーも、同じ様に跪いて握った両手を額に当てて深々と頭を下げた。
「もちろん私の事も、覚えているよね。ニコス?」
笑みを含んだ王子の声に、少し顔を上げたニコスは、小さく頷きもう一度深々と頭を下げた。
「オリヴェル殿下。ご立派に……」
感極まった様に、そう言ったきり言葉が途切れる。
「突然驚かせてすまなかったね。彼女が、オルダムへ行く前にどうしてもここに寄りたいと言って聞かなくてね。竜騎士隊の皆とは、ここで合流する様に頼んだんだよ。勝手に場所を使って悪かったね」
驚いて顔を上げたニコスに、オリヴェル王子は得意気に胸を張った。
「だって、ここにはドワーフの石の家があるんだろう? 私は大学で建築と設計も勉強したんだよ。それは是非とも見せて頂かないとね」
「殿下……相変わらず、お人が悪うございますぞ」
「だって、ニコスはいつだって我が儘を聞いてくれるからね」
面白がっている様なその言葉に、ニコスは小さく吹き出す。
「お変わりありませんな。ではその前に申し上げますぞ」
立ち上がって小さく咳払いをする。
「殿下、人の規範となられるお方がその様にだらしない格好をなさるものではありませぬ。剣帯が歪んでおります。背筋を伸ばしてください!」
いきなり大きな声でそう言い、反射的に背筋を伸ばしたオリヴェル王子の背中を叩いて剣帯の位置を直す。
襟元を整え、跪いて靴先のわずかな汚れを払った。
「はい、これでよろしい」
顔を見合わせて、同時に吹き出す。
「嬉しいよ、ニコスは変わっていない」
「ニコス、会いたかった!」
いきなりそう言って、ティア姫が両手を広げて飛びついてきた。
小柄なニコスだが、しっかりと飛びついてきたその身体を抱きとめる。
「姫様、子供の様な真似をなさいませぬ様」
困った様にそう言い、なんとか引き剥がす。しかし、彼女の手はニコスの袖を掴んだままだ。
「貴方が生きていたって兄上から聞いて、どうしても会いたかったの。そしてお礼を言いたかったの」
「お礼、でございますか?」
「あの時、庭で隠れて泣いている私に言ってくれたわよね。知らない人が怖い事は駄目なんかじゃ無い、恥ずかしい事なんかじゃ無いって。そのままの私で良いんだって」
「さて、そんな事もございましたか」
誤魔化す様に笑ったが、ティア姫は捕まえた手を放そうとはしなかった。
「貴方には、何でもない簡単な慰めの言葉だったのかもしれないけれど、幼かった私はその言葉で慰められたの。人見知りの激しかった私は、知らない人が怖かった。口々に褒めそやされても素直にその言葉を聞く事が出来なかった。だけど、もっとちゃんとしなくちゃいけないって事だけは分かっていた。上手く立ち回れない自分が嫌いだった。だけど貴方は、そんな私でも良いって言ってくれたの。その一言で、私は救われたのよ。おかげで、少しずつだけどアルスとも話が出来るようになったのだもの」
「おやおや、まさかその様な……」
「本当よ。この銀の髪だってそう。父上にも母上にも似ていないこの髪、ずっと嫌だった。だけどウィリディスと貴方は言ってくれたわ。とても綺麗だ、月の色だって」
「若様との事まで覚えていてくださるとは、光栄でございます」
懐かしそうに目を細めるニコスに、ティア姫はもう一度抱きついてその頬にキスを贈った。
「生きていてくれてありがとう。とても嬉しいわ」
「本当に、ご立派になられ……まし、た……な」
ニコスの目から、誤魔化しようの無い涙があふれる。
「ありがとうございます。ありがとうございます。おかげで私はまた、若様との事を温かい気持ちで思い出す事が出来ます……」
その場に、泣きながら崩れる様にして蹲るニコスに、ティア姫とオリヴェル王子は嬉しそうに何度も背中を撫でて彼が泣き止むのを待っていたのだった。
「ああ、駄目じゃないか。もう少しどこかで時間を潰してから来てくれないと。まだ私は石の家を見せてもらっていないのに」
再び影が落ち、ようやく立ち上がったタキス達が慌てて見上げた時、上空にいたのは若竜三人組の乗る竜達の姿だった。
「無茶を言わないでくださいオリヴェル様」
笑ったロベリオの声がして、三頭の竜が草原に降りてくる。五頭もの竜が並ぶと壮観な眺めだ。
「何と贅沢な眺めでしょう」
感極まった様にアンフィーが小さく呟く。
彼の目は、オリヴェル王子の乗ってきた薄緑色の巨大な竜に釘付けになっていた。
「あれがオルベラートの守護竜。ジェダイト様。何と美しい……俺は幸せ者だ。一度で良いからひと目でも見てみたいと思っていた憧れの竜が……目の前におられる」
「おや、ここには人間もいるのですね」
王子の言葉に我に返ったアンフィーは、改めてその場に跪いた。
「大変失礼を致しました。ロディナの竜の保養所に勤めますアンフィールドと申します」
「竜の保養所の方がなぜこちらに?」
「実はここで飼育している騎竜に子供が生まれておりまして、初産の夏子で扱いが難しかったので、お願いしてロディナより来ていただき飼育の指導を頂いております」
ニコスの説明に、ここがレイルズの実家である事を考え納得した。恐らくあの無邪気な彼からの依頼でロディナの者達が対応したのだろう。
「成る程、彼は騎竜の専門家なのですね」
「はい、その中でも子竜の飼育が専門でございます」
「それは頼もしい。しっかりやりなさい」
そう言うと、そのままニコスの方を向いてしまった。
そのままもう一度深々と一礼して後ろに下がったアンフィーは、戸惑う様にギードと顔を見合わせた。
「貴方がタキス殿ですね。始めまして。オリヴェル・フォルティ・ドラーゲンと申します。エイベル様のお父上にお会い出来て光栄です。貴方に心からの感謝と敬意を。そして、過去の我ら人間の犯したかの行いに、心からの謝罪を」
そう言うと、腰の剣を抜いて地面に横向きに置き、地面に跪いた。ティア姫の後ろに立っていたイクセル副隊長も同じ様に剣を抜いて跪く。ティア姫もそれに倣って地面に膝をついた。
「どうぞお立ちください。もうこれ以上の謝罪は不要です。私の中にはもう人間への恨みも、恐怖も憎しみもありません。我々は等しく精霊王の僕であり、精霊達の友です」
そう言ったタキスの差し出した手を握って立ち上がる。
正面に立つと、一番背の高いタキスよりもオリヴェル王子の方が頭半分は高い。
「それでは、どうぞ石の家へ。大したもてなしも出来ませんが、せめてお茶なりとも」
我に返ったニコスの言葉に、王子は嬉しそうに頷き、竜の背から降りてこっちを見ていた若竜三人組も揃って坂道を降りて行ったのだった。
坂道を揃って降りて行く一同を草原に残って見送ったアンフィーとギードは、苦笑いをして深呼吸をすると、置きっぱなしになっていた道具を集めた。
そして、まずは竜達に何を世話して欲しいか聞き取る為に、アンフィーは巨大なジェダイトの元へ駆け寄って行ったのだった。




