笑いと刺繍とちょっとしたコツ
「レイルズ様、もしやそこにおられるのは……」
「あ、はい。ブルーが来てくれています」
恐る恐ると言った風なミレー夫人の言葉に、レイが笑顔で頷き裁縫箱の上に座ったブルーの使いのシルフを示す。
「ラピス様。前回に引き続きようこそお越しくださいました。レイルズ様と共に、少しでも楽しんでいただければ、我ら一同嬉しゅうございます」
立ち上がったミレー夫人は、その場で両手を握って額に当て、膝を折って深々と一礼した。隣にいたイプリー夫人もそれに倣う。
『うむ、構わぬから立ちなさい。今回も、レイにしっかりと教えてやってくれ。我はここで見学させてもらう故な』
嬉しそうな、ちょっと面白がっているようなブルーの言葉に、立ち上がったミレー夫人はとても良い笑顔で頷いた。
「もちろんでございます。では、レイルズ様、早速刺していきましょうか」
「はい、よろしくお願いします!」
糸の入った箱を開けたレイも満面の笑みでそう言い、ここからはミレー夫人とイプリー夫人、それからガルクールに糸の扱い方や刺し方を一から教えてもらって、早速張り切って刺し始めたのだった。
「うう、分かっていても難しいよ。これはやり直さないといくらなんでも下手すぎる」
若干ひきつれて歪んだ形になった自分の刺した花びらを見て、口を尖らせて眉間に皺を寄せたレイが小さな声でそう呟きながら針から糸を抜いて刺したところをほぐし始めた。
「おや、いかが致しましたか?」
自分の刺繍をしていたガルクールが、その呟きに気付いて慌てて手を止めてレイの手元を見た。
「ぶふぉ!」
しかし、その際に口を尖らせて眉間に皺を寄せたレイの顔をまともに見てしまい、咄嗟に堪えきれずに思いっきり吹き出す。
「まあまあ、どうなさったのですか?」
「いかがなさいました?」
こちらもそれぞれ自分の刺繍を刺していたミレー夫人とイプリー夫人が、驚いて手を止め、慌ててレイとガルクールを見た。
当然、拗ねて珍妙な顔になったレイと、必死になって笑いを堪えるガルクールを見て二人揃って同時に吹き出す。
何事かと驚いてこっちを見た会員の人達もレイの珍妙な顔を見て次々に吹き出し、しばし部屋は笑いに包まれたのだった。
「はあ、久々にお腹が痛くなるほど笑わせていただきましたよ」
笑いすぎて出た涙を拭いつつ、ガルクールがそう言ってまた笑う。
「本当に、ちょっと今のは予想外でしたわ……」
「そうですわね。まさか、あのようなお顔に……」
チラリと横目でレイを見てから揃って右手で口元を覆ったミレー夫人とイプリー夫人の言葉に、同じく笑いを堪えたご婦人達が何度も頷いている。
「うう、皆して僕で遊んでる」
そして、すっかり拗ねたレイがそう言ってまた口を尖らせる。
「レイルズ様……お願いですから、その顔はやめてください。もう、私も限界です……」
両手で顔を覆ったガルクールのうめくような声に、ご婦人達がまた次々に吹き出す。
『おやおや、レイの拗ね顔の破壊力はここでも健在のようだな』
完全に面白がっている口調のブルーの使いのシルフの呟きに、またしてもあちこちから吹き出す音が聞こえてきてきたのだった。
ようやく笑いも収まり、刺繍が再開したところでレイは小さなため息をついて、また刺しかけの刺繍をほぐし始めた。
「はあ、なんとか解けたけど糸は駄目になっちゃったね」
ため息を吐いて傷んだ刺繍糸をくず入れに入れ、新しい糸を用意する。
糸が用意出来たところで素直に隣にいるガルクールにお願いして、もう一度刺し方をしっかりと教えてもらう。 今刺しているこれは、サテンステッチと呼ばれる技法で、花びら全体を糸で埋めていく刺し方だ。
『では、我が見ていてやる故、もう一度指してみなさい』
それでも自信が無くて密かにため息を吐いているレイを見て、苦笑いしたブルーの使いのシルフがレイの手元に来て右手を叩く。
「うん、お願いします。図案の通りに刺しているはずなのに、どうして形が歪むんだろう」
困ったようにそう呟き、もう一度同じところを刺し始める。
『主様ちょっと刺す位置が悪いね』
『ここに刺したらまた同じように歪むよ』
その時、ニコスのシルフ達が不意に現れてレイの手を軽く叩いた。
「え? どうして?」
思わず声に出してそう言い、慌てたように口元を押さえる。
「どうかなさいましたか?」
ガルクールにそう聞かれて、何と答えたらいいか一瞬口ごもる。恐らくニコスのシルフ達の姿は、ガルクールに見えていないだろう。
『我が言ったのだよ。刺す位置が少し悪い、とな。そのまま刺したら先ほどと同じように歪むと』
当然、心得ているブルーの使いのシルフがそう言って誤魔化してくれる。
「え? どこですか?」
驚いたガルクールが、慌ててレイの手元を覗き込む。
「ああ、成る程。おっしゃる意味がわかりました」
納得したように頷いたガルクールが、今刺し始めたばかりの部分を指で示す。
「レイルズ様、ラピス様がおっしゃる通りで、この部分を刺す際には、針をもう少しだけ外側に刺してください」
「え? 図案の外側に刺すの?」
図案の線の横を示されて、驚いたレイがそう言って刺していた針を抜く。
「この場合、糸を刺したら手前側に引きますので少しだけ糸が生地を引っ張って小さくなるんです。これは糸の向きで自然にそうなりますので、それを込みで刺さないといけないんです。特にレイルズ様は力がありますので、糸を引く際にどうしても生地が引っ張られやすくなります。なのでそのまま刺していると、先ほどのようにどんどん刺している部分が小さくなってしまうんです」
そう言ったガルクールは、置いてあった予備の生地に実際に軽く刺してくれた。確かに糸を引いて少しだけ小さくなったところを見せられて納得する。
「へえ、ちょっとした力加減でこんなに変わるんですね」
素直に言われた通りに意識して刺してみたところ、先ほどと違って綺麗な花びらの形通りに刺せて思わず笑顔になる。
「まあ、こういうのは図案集や教本には書いていないものですから、もう経験して覚えていただく他ありません。どうぞ頑張って覚えてくださいね」
苦笑いしたガルクールの言葉に、ニコスのシルフ達も笑顔で頷いている。
「そうなんですね。ありがとうございます。勉強になりました。じゃあもう少し頑張って刺しますね」
「はい、頑張ってください。もし何か分からなかったり失敗したりしたら、いつでも言ってくださいね」
「はい、その時はまた教えてください」
素直にそう言うレイに、ガルクールだけでなく横で聞いていたご婦人達も揃って笑顔になっていたのだった。
『楽しそうで何よりだな。ふむ、何であれ変に知ったかぶりをせずに、ああして知らぬ事に対して素直に教えを請えるというのは、レイの良きところの一つだな』
『そうだね』
『主様の素直なところはとても愛おしいし』
『教える側にとっても良き姿勢だと思うね』
笑ったブルーの使いのシルフの言葉に、ニコスのシルフ達も嬉しそうにそう言って頷く。
そのあとはもう特に口出しもせず、張り切って刺繍をするレイを揃って愛おしげに見つめていたのだった。




