陛下の願いとニコスの願い
「ニコスよ。間も無く生まれるティアの子に、専属の執事として仕えて欲しいのだが、どうだ?」
真顔の陛下の予想外の言葉に、ニコスは咄嗟に反応出来なかった。
しばし無言で陛下と見つめ合う形となる。
「お……お戯れを……」
ようやく我に返ったニコスの焦ったようなその言葉に、しかし陛下は真顔のままだ。
「戯れでも冗談でもない。私は本気で勧誘しているのだがな」
真顔の、陛下のその言葉に、ニコスもこれは誤魔化したり聞かなかった事に出来る話ではないと悟る。
「しかも、勧誘、でございますか……命令ではなく」
これは先ほども思った事だ。
今、目の前にいるのはこの国最上の位をお持ちのお方である皇王様で、元オルベラートの貴族の館で執事をしていたとはいえ、今の自分は何の身分も後ろ盾もないただの農民だ。
その自分に向かって皇王様が自分に従えと命令するのではなく、あくまでも執事として仕えて欲しいのだが、どうだ? と、選択の余地を残して提案してくれる。
これはニコスの常識では絶対にありえない事だ。
「その、一つ質問をお許しいただけるでしょうか」
深々と頭を下げたニコスが遠慮がちにそう口を開く。
「もちろんだ。何でも聞いて良いぞ。遠慮はいらぬ」
当たり前のようにそう言われて、顔を上げたニコスは居住まいを正した。
「では……まず、今は何の身分もない私ごときをそこまで評価してくださり、心から感謝申し上げます」
そう言って、もう一度深々と一礼する。
「私の知る皇族のお方であれば、自分に従え。新たに生まれくる子に執事として仕えよ。そう命じられるだけでしょう。そして、命じられた私には、選択の余地どころか拒否権もございません。それが私の知る常識です。ですが、ですが陛下はそんな私ごときを直々に勧誘してくださり、ましてやその勧誘に対してこちらに選択の余地まで与えてくださる。恐れながらその意図は何処にあるのでしょうか? 今の私には、陛下のお考えが分かりません」
そこまで言って少し困ったように言い淀むニコスを陛下は苦笑いしながら見て、飲みかけだったワインのグラスを手に取りゆっくりと口に含んだ。
「まあ、貴族の考えに詳しい其方ならばそう考えるのが当たり前だろう。では逆に私から質問だ。仮に今ここで、私が其方に、生まれくる我が初孫となるティアの子に専属の執事として仕えよ。これは命令だ。そう言ったら其方は素直に従うか? 全てを捨ててオルダムに来てくれるか?」
「それは……」
「ん? 遠慮はいらぬと言ったはずだ。何でも申してみよ」
少し上目遣いになった、先ほどとは一転して面白がるような陛下の言葉に、少し顔を上げて小さく息を呑んだニコスが改めて頭を下げる。
「そう命じられれば、私には従う他ありません」
「ニコスがオルダムに来てくれれば、レイルズは喜ぶであろうな」
「そうですね。恐らくは無邪気に喜んでくれるでしょう」
俯いたままのニコスの言葉に、陛下は頷きそっとグラスを置いた。
「では、仮にそうなったとして、オルダムの奥殿で、我が孫に仕えている其方はそんな自分の境遇をどう考える? ここで仲間と共に苦労してここまで築き上げたものを強制的に全て放棄させられ、選択の余地なしにオルダムへ連れてこられ、生まれたばかりの赤子の世話をさせられてどう考える?」
「……今までの経験を思い出し、懸命に働くでしょう。ただ、目の前の幼い命を守る為に」
またしても俯いたままのニコスの言葉に、陛下は何故かすぐに答えなかった。
しばしの沈黙の後、陛下はゆっくりと立ち上がり陣取り盤の置かれたテーブルをゆっくりと引いて横にずらした。当然のようにシルフ達が集まってきてそれを助ける。
そしてそのまま開いた場所に進み出ると、ニコスの前に片膝をついてしゃがんだのだ。
そして、俯くニコスの顔を覗き込みながら静かにこう尋ねた。
「もう一度聞く。仮にそうなったとして、その時、其方の心は何処にある? 帰れぬ第二の故郷であるこの蒼の森か? それとも目の前の赤子かティアの元か? あるいは、元々執事として仕えていたオルベラートの今は亡き貴族の当主の元か?」
「お、お戯れを! そしてどうかお立ちください!」
まるでニコスに向かって跪くようなその仕草に驚いたニコスが慌てて立ち上がり叫ぶようにそう言い、さらにそれよりも低くしゃがみ込み両膝をついて低頭しようとしたところで陛下に止められた。
「構わぬ。今の私は休暇中だ。なのでここにいるのは、初孫が生まれるのが楽しみで仕方がない単なる親バカなジジイだよ。そして、そんな孫に仕えてくれるかもしれぬ貴重な人材を、今まさに勧誘しているところなのだからな」
「な、何をおっしゃいます」
呆然とニコスがそう呟き、二人して床に膝をついたまましばらく無言で見つめ合う。
沈黙を破ったのは、先に吹き出した陛下だった。
「ううん。なかなか思ったようにはいかぬな。良いから立ちなさい。とりあえず座ろう。これではどうにも落ち着かぬわ」
苦笑いしながらぽんぽんと肩を叩かれ、顔を上げたニコスも戸惑いつつ立ち上がる。
それから、横にずらしたテーブルを二人で元の位置へ戻してそれぞれのソファーに座り直す。
またしてもしばし無言で見つめ合い、苦笑いした陛下がニコスのグラスに勝手にワインを注ぎ、慌てたニコスが陛下のグラスにもワインを注いだ。
「精霊王に感謝と祝福を」
「精霊王に感謝と祝福を」
陛下の乾杯の言葉にニコスも遅れて唱和し、それぞれグラスをゆっくりと傾けて半分ほど飲み干す。
「では、改めてニコスの答えを聞きたい。どうだ? 言っておくが、これは命令ではないぞ。ここにいるのは、初孫が生まれてくるのが楽しみすぎてちょっと馬鹿になっておるジジイで、先程の勧誘はそのジジイの単なる個人的な願い事だ」
完全に面白がるような口調でそう言われてしまい、ニコスは困ったように顔を上げて陛下を見る。
「どうだ? ちょっとくらいは、それも良いかもしれないと考えてくれたか? もちろん、タダでとは言わぬ。当然充分な報酬は出すぞ」
真顔で胸を張ってそう言われて、もう一度困ったように陛下を見たニコスは、勝負の途中で放置されたままだった陣取り盤を見た。
そして一度だけ小さく頷くと、改めて陛下に向き直った。
「では、答える前に……先程の私の一勝に、一つ褒美を願ってもよろしいでしょうか」
まさかのニコスの提案に、一瞬驚いたように目を見開いた陛下が笑顔で頷く。
「もちろんだ。何なりと希望のものを言いなさい。金でも物でも身分でも、出来る限り叶えてやる」
身を乗り出すようにしてそう言われ、ニコスは小さく笑って首を振った。
「金も物も、ましてや身分など望みません。ただ、今から私が話す事を黙って聞いてくださればそれで結構です。その話を聞いた上で、それでもまだ私を望んで下さると、そう仰られるのなら……私も、陛下の勧誘を受けるかどうかをこの場で本気で考え、心して答えさせていただきます」
「分かった。黙って聞く故、其方の気が済むまで全部話せ」
真顔の陛下がそう言いこちらも真顔で小さく頷いたニコスは、残りのワインをゆっくりと飲み干してから口を開いた。




