陣取り盤を前に
「すまぬな。もう休んでいたのではないか?」
廊下で待っていた執事の案内で、部屋に入って来たニコスを見て顔を上げた陛下が少し申し訳なさそうにそう言って右手を上げる。
「いえ、居間でレイやタキス達と一緒にのんびりと話をしておりました」
「それはすまぬ。一家団欒の邪魔をしてしまったか」
「どうかお気になさらず。そろそろ休もうかと思っておりましたので」
ニコスは笑ってそう言うと、陛下が座っているソファーのテーブルを挟んで向かい側に置かれた、執事が示すソファーに軽く一礼してから座った。
皇王様は最上位のお方なのだから、単にもう少し自分が遊びたいと言う理由だったとしても、一晩自分の気が済むまで陣取り盤の相手をしろとニコスに命じればいいだけのはずだ。それなのにこのお方は、こうして今は何の身分もないただの平民である自分にわざわざ気を使い、一家団欒の邪魔をしたと言って詫びてまでくれる。
自分の知るオルベラートの王との違いに、今だにニコスは慣れずにいる。
目の前の低いテーブルの上には、既に陣取り盤が置かれている。
「言ったようにひと勝負したくなってな。言っておくが遠慮は無用だ。全力で来い。手抜きなどしたら許さんからな」
「かしこまりました。では、全力でお相手を務めさせていただきます」
笑顔の陛下の言葉にニコスも笑顔になり、一礼して居住まいを正す。
密かに一つ深呼吸をしたニコスは、まずは先攻後攻を決める為の白と黒の兵士の駒をそっと握った。
陛下が先攻を取りそれぞれの駒を並べつつ、ニコスはこの部屋にシヴァ将軍もシルカー伯爵もいない事に密かに驚いていた。
しかもお酒の用意をしていた執事まで勝負が始まった途端に控えの間に下がってしまい、今、この部屋にはニコスと陛下しかいない。
もちろん、護衛の者も含め控えの間には大勢の者がいて、常に部屋の様子は監視されているので完全な二人きりと言うわけではないが、それでも今の身分はただの平民でしかない自分と皇王様が二人きりで部屋にいるという事自体が異常事態だ。
だが、通常ならば必ず見える位置に控えているはずの執事達までもが全員が控えの間に下がっているという事は、この状態は陛下が命じたからに他ならない。
先程別室にて、皆と一緒にニコスは陣取り盤で陛下のお相手を二度務めた。
他に、シヴァ将軍やレイも陛下のお相手を務め、どちらもなかなかに見応えのある激戦となっていた。
今回は特に対戦に対する褒美の話が出ずに密かに安堵していたが、もしや個人的に何かくださるおつもりなのだろうか?
しかもシヴァ将軍もシルカー伯爵もいないとなると、何か下さったとしても内密の事として扱わねばならない。
どうするべきか頭の隅で考えつつ、とにかく黙々と駒を動かしていく。
しかし、ニコスの戸惑いを知ってか知らずか終始笑顔の陛下は時折ワイングラスを傾けつつ平然と駒を動かし、口を開いても陣取り盤の話しかしない。
どうやら今回は真剣勝負をしたいのではなく、陣取り盤の話をしながらのんびり打つ事自体を楽しむような対決をご希望のようだ。
となれば、先程のように罠を仕掛けたり多方面から一気に攻めるような作戦ありきの攻め方ではなく、正攻法で正面から堂々と攻めるのが良かろう。
そう判断したニコスは、失礼にならぬよう気をつけつつまずは正攻法での攻め方守り方で進めていった。
そろそろ駒が減り終盤に差し掛かったところで、陛下が一気に攻めに転じた。
即座にニコスも対応して陣形を変え、ここからは怒涛の攻勢をニコスが必死で受ける展開となった。
しかしこれは予想の範疇だ。しかも、陛下は遠慮は無用と念押ししてくださった。
小さく笑ったニコスは、攻撃を受けつつ密かに陣形を整え最後はどこに打ってもその次で詰みとなる展開に無理やり持っていった。
これは、正攻法で攻める振りをしつつも、使わなければそれでいいと思って密かに張り巡らせておいた、幾つかの仕掛けのおかげでもある。
「ううん、今回は勝てたと思ったのだがなあ。いや、さすがだ」
投了となったところで、陛下が悔しそうにそう言いながら顔を覆う。
「何とか勝てて安堵いたしました。良き勝負をありがとうございます」
てっきりこれで終わりだと思ってそう言ったのだが、こっちを見てにんまりと笑った陛下がいそいそと白と黒の兵士の駒を両手で包んでから握るのを見て小さく吹き出す。
「どっちを選ぶ?」
嬉しそうに握った二つの拳を差し出されて、苦笑いしつつ座り直したニコスは、少し考えて右の拳をそっと示した。
今度はニコスが先攻で始まった戦いも先ほどと同じようにのんびりと進み、楽しそうな陛下を見てニコスも少し気を抜いてのんびりとお相手を務めていた。
そろそろ中盤に差し掛かった時、陛下が一旦手を止めて新しいワインのボトルを手にした。どうやら飲んでいた白ワインのボトルが空になってしまったらしい。
「ああ、私が開けさせていただきます」
慌ててそう言って立ち上がり、ワゴンに戻された白ワインの栓を手早く開ける。
「すまんな。せっかくだ。ニコスも飲みなさい」
グラスに注がれた白ワインを見て笑顔でそう言った陛下は、伏せてあったワイングラスをニコスに渡すと、ワインのボトルを素早く手に取り、自らニコスの持つワイングラスにゆっくりと白ワインを注いでくれた。
「お、畏れ多いことにございます」
深々と一礼したニコスが、ワイングラスを手にしたままソファーに戻る。
「精霊王に感謝と祝福を。そして夜更かし出来る自由にも乾杯」
笑顔の陛下の言葉に、不意を打たれたニコスが咄嗟に堪えきれずに横を向いて小さく吹き出す。
「よし、ニコスを笑わせたぞ!」
これまたにんまりと笑った陛下の言葉に、もう一度吹き出してしまったニコスだった。
笑顔の陛下にもう一度一礼してから、手にした白ワインをいただく。
少し冷えた白ワインを味わっていると、陛下が無言で自分を見つめているのに気付き、慌てて居住まいを正す。
「構わぬから楽にしてくれ。実は……ニコスにちょっと話があってな」
グラスを置き陣取り盤を見ていた陛下は、そう言ってから改めてニコスを見た。
「私に話、でございますか?」
改まってそう言われて驚きつつニコスもワイングラスを置き、そう言って陛下を見る。
「ニコスよ。間も無く生まれるティアの子に、専属の執事として仕えて欲しいのだが、どうだ?」
思ってもみなかったその突然の言葉に、ニコスは声も出せずに呆然と陛下を見返す事しか出来ないでいたのだった。




