15:差し替え跡地3(つらたんバレンタインデー)
バレンタインデーというイベントが存在する。
意中の男子に、チョコレートを贈り、告白するという乙女的イベントである。
これが告白だけに留まるのならば、良かった。
しかしイマドキのバレンタインデーには、他にも様々な種類のチョコがあるのだ。
お世話になっている人に送る、義理チョコ。
同性間で送り合ったりする、友チョコ。
これが問題であった。
ここにひとり、機会があるのならば、贈らねばならぬ、と使命を燃やす少女がいる。
小学2年生の、この女子。
――名を『藤井ヒナ』と言う。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
事の起こりは、一週間前であった。
「ばれんたいんでー?」
ちょこんと席に座るヒナの前に、ひとりの少女が腕組みをして立っていた。
ツインテールの髪型に勝ち気な目をした彼女は、ヒナの友人の少女(幼女?)である。
色々あった挙句、教室で『ヒナ係』的な役目を押しつけられた少女である。
仮にA子と名づけよう。
「ヒナ、知らないの? ……っていうか、なにやっているの?」
「あ、これ?」
藤井ヒナ。色々とミニマムサイズだが、紛れもなくあのクレイジーサイコビッチの進化前の姿である。ピカ鼠の前のピ鼠のようなものだ。
未だ男を知らぬそのピ鼠ビッチ(略してピッチ)は、机に広げていたノートを見せつけてくる。
「パラパラ漫画書いたの! 見てみる?」
「ぱらぱらまんが……? ずいぶん暇なことやっているのね」
見てみれば、それは見開き2ページに、なかなか達者な漫画絵の男性が描かれていた。
「ふうん」とつぶやくものの、なんだか不穏な予感がして、A子はページをめくる。すると、次にもほぼ変わらない精巧な絵が描かれていた。
さらにめくる。その人物は徐々に振り返ろうとしていた。というか、振り返る映像が、32ページぐらいかけて、描かれていて……。
「セルアニメーションか!」
「えっ?」
「なにやってんの!? アホなの!? これどんだけ労力かけたの!?」
「2週間ぐらいずっと描いてたよー」
「アホの極みだわ」
断言する。相変わらずこのヒナという少女は、ブレーキの壊れた機関車のようだ。
きっと夜中か、お風呂中にか、授業中にか、閃いたのだろう。閃いたからには、やらずにはいられなかったのだ。
「あ、そんなことより、そんなことより」
ぷるぷると首を振る黒髪の少女は、話題を引き戻し、純真な瞳をA子へと向ける。
「ばれんたいんでー、ってなぁに?」
「いやまあ、知らないなら知らないんでいいんじゃないの?
知ってたらお金かかっちゃうし」
「えーなになになになになにー?
なーになにーなになになになにーなにー?
なにーなにーなにーなにーなにー?
おしえてー、おーしえーてー」
「う! る! さ! い!」
席を立ち、A子の周囲をクルクルと回り出すヒナに、一喝する少女。
この辺りの小気味の良さがヒナ係に任命されるが所以であるのだが、それはいいとして。
「ああもう、しゃらくさいから言うわよ。
あのね、バレンタインデーっていうのはね……」
椅子の上に正座して話をヒナに、A子は己の知っている限りのバレンタインデーについての知識を語る。語り尽くす。
といってもまだ小学2年生なので聖ヴァレンティヌスなどについての件はなかったが。
「……って言って、好きな人にチョコを送る日なのよ。わかった? って……!」
「~~~」
ヒナは拳を握って、チワワのようにぷるぷると震えていた。
まるで恐ろしい怪談を聞いたかのように、その目が見開かれている。
なんだこいつ……。
一歩後ずさりするA子の手を、ガシッと掴むヒナ。
「そ、それって……!」
「な、なによ」
「……しょ、小学2年生からの、イベントなの?」
「えっ」
ひたむきに、息さえ止めて、真剣に見つめてくるヒナに。
A子は一瞬だけ迷ったが、どうせここで騙しても、自分で調べ倒すのがヒナだ。真実を告げることにした。
「い、いや、毎年やっているけど……」
「えっ……」
ヒナは絶望的な顔をした。
サンタクロースはいないのだと親に告げられた子どものように、まるで泣きそうだ。
「じゃ、じゃあ去年も……?」
「う、うん」
「その前も……?」
「うん、まあ」
「あうあうあうあう」
「ちょ、ちょっとどうしたの!? ヒナ!?」
頭を抱える彼女の肩を掴んで、ぶらぶらと揺らすA子。
「だ、だって、わたし、A子ちゃんにチョコ、あげてない……」
「いや、あたしの話聞いてた? 好きな子にチョコあげる日が、バレンタインデーよ?」
「わたしA子ちゃんのこと好きだしー!」
「ああうん、はいはい」
てしてしと頭を叩くとヒナは「う~~~」と下唇を噛む。
ここまで悔しそうな顔をするヒナは、さすがのA子も見たことがない。
ふぇーんと抱きついてくるヒナを、「はいはい」となだめるA子。
こうして大人しくしていれば、彼女も可愛いものだが。
それも長くは持たなかった。
ヒナはパッと離れると――ついでになぜかバク転してスタッと床に立つと――毅然とした目を向けてきた。
「じゃあわたし、チョコレート作るね!」
「ああ、うん……」
諦めたようにうなずくA子の前、ヒナは燃えていた。
「わたし、シティホテルの総支配人のおじさんに頼んで、廚房貸してもらってくるね!
山ほど、山ほどチョコレート作らなくっちゃー!」
「……ヒナ、ひとつ教えてあげるけど」
「なーにー!?」
「チョコってひとり5個までしか配っちゃだめなのよ(嘘だけど)」
「全然足りないよーーーーーー!!」
頭を抱えてヒナは絶叫した。
心ある友人の助言によって、彼女のお財布のヒモは守られたのであった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
翌日、2月14日。
学校にチョコレートを持ってきてはいけないという当たり前の常識は、一応ヒナにも備わっているので、その帰り道、わざわざA子の家まで遊びに来たヒナである。
「はい、A子ちゃん!」
「あ、やっぱあたしにはくれるのね。同性なのに」
「もちろんだよ、A子ちゃん! A子ちゃんにあげなかったら、わたし、誰にもあげないよ!」
「あ、そ」
ニッコニコでチョコレートの包み――恐らくは手作りだろう――を手渡してくるヒナから、それを受け取り。
A子はそっぽを向きながら、小さくつぶやく。
「……ありがと」
「えーへーへー」
ヒナは満面の笑みで、A子の手をぎゅっと握る。
「これからもよろしくね! A子ちゃん!」
「うん、まあ、うん、まあ……」
煮え切れずにうなずくA子。
これだから、なんだかなんだで、ヒナの面倒を見てしまうA子なのである。
「で、あと4個は誰に配るの?」
「え、4個?」
「え?」
「え?」
目をパチパチとして、瞬きを繰り返すヒナ。
A子はこめかみを押さえながら、ゆっくりと問う。
「……あんた、ひょっとして、チョコレート、たくさん作ったんじゃないでしょうね」
「うん! 帰ってママに聞いたら、あげればあげるだけホワイトデーに三倍になって返ってくるんだから、いくらでもあげなさいって言われたから!」
「あ、そう……」
母親公認なら、もはやなにも言えることはない。
一度会ったことがあるあのヒナそっくりの、脳天気な母親の笑顔を思い出し、A子は思わずその場にへたり込みそうになった。
ぐったりと脱力したA子は、満面の笑みを浮かべるヒナを見て、「まあいろんな人たちが幸せになるなら、いいのかしらね……」などと、たわけたことを考えていたのだった。
ちなみに、この日ヒナが配ったチョコレートは300個以上にのぼり。
彼女が振りまいた幸せは、多くの人々を救ったらしいが……それはまた、別のお話である。