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ドグマ・ルーアッハ  作者: 三科享史
エピローグ
57/57

手に入れたのはこれだけ

「隊長、悪(・)魔(・)はライニー橋方面へ行きました!」

「了解。地上に出たし、もう弱ってるはずだ。おまえたちはここの浄化を。マ(・)グ(・)ニ(・)ス(・)、」

「はい」

「支部に連絡だ。三十分後ヨートン支部付近。レベルはⅢ」

「了解しました、隊長」

「……おまえにそう呼ばれると調子が狂うな」

「?」

「何でもない。——ルアハ!」


 ヴェイルがそう名前を呼ぶと、ごっそりと力を失う感覚と共に、バティンの瞬間移動の術が行使される。ルアハが吸収した悪魔の力は、時間をかけて解析すれば、効率は悪いもののある程度再現できるようだった。

 バティンの「グラウ」は恐らく愛馬の名前だ。ヴェイルは覚えていないが、奴の異常なまでの俊敏さはその馬によるものだったらしい。瞬間移動の仕組みは、魂を分け合った「グラウ」がバティンの体を引き寄せること。ヴェイルはそれを、ルアハに全てを預けることで難なく再現可能にした。

 次の瞬間見える景色はパッと変わり、ヴェイルの体は空中を舞う。


「もう、こんな危険な術使いたくないのに」

「そう言って完璧じゃないか」

「く……」


 真下に悪魔憑きの姿が見える。それは小さな少女だったが、ヴェイルは容赦なく銃を構えて撃った。悪魔は懸命に避けるが、着弾地点からルアハの蔓が伸び、少女の体を拘束した。どぷ、と地面が闇(ニクス)に染まって凹み、その体を覆うドーム状の盾が形成され彼女が地下へ逃げようとしていることが分かる。

 だがその前に、銃弾が盾の闇(ニクス)を吸収して突き進み、その胸に届く。


「く、そ……おまえ、なぜ……」

「——さあ、飯の時間だ」

「それってこれのこと? それともあなたの夕食のこと?」

「どっちも。そうだ、君の感覚も僕に共有してみてくれ。ずっと気になってたんだ、悪魔ってどんな味がするのか」

「何でそんなことしなきゃいけないのよ! 別に捕食してるわけじゃないわ、だから味とかないからっ」

「なんだ」


 昔ヴェイルに正しい味覚を教えるために同じことをしたくせに、ルアハはまるで破廉恥な頼みをされたかのように批難の声を上げる。納得がいかない。

 ふらりと倒れた罹患者を担ぎ上げて、ヴェイルは支部方面の空を見上げた。夕焼けが終わり、夜が来ようとしている。この時間から悪魔の活動は活発になる。次々とこの世界に降りてきて、この世界の光(フォス)が強まることを阻止しようとする。


 しかし、追跡者(パーサー)の勢いはそれを上回った。元々イシャナはキレトリア教をベースに追跡者(パーサー)を統率していたから、天使様が降臨して力を与えてくれるというシチュエーションは全ての疑心を眩ませ、目の前の試練への士気を上げた。もちろん、イェスタの期待した通り、「殺すためではなく救うために」戦えるのは嬉しい、と言っている追跡者(パーサー)も多い。

 罹患者(フォトラビック)という言葉は「悪魔憑き」と改められ、悪魔が討伐された後の元・悪魔憑きが罹患者と呼ばれる。光に驚いたりする症状——恐光症——が後遺症として一定期間残ることが多いから、そ(・)の(・)罹患者だ。

 そこに悪魔の影はない。その発表が、どれだけの地域で受け入れられているのかは分からない。しかし少なくとも、変革の中心となったこの国では時代が変わった。


 そして、一番変わったのはヴェイル自身かもしれない。ヴェイルは追跡者(パーサー)の中でも特殊な立ち位置——追跡(パースー)協会理事直属部隊の隊長となった。これは闇(ニクス)の力を使う都合上と、実力、それから「予言」の特性を加味しての判断だった。「過去の未来」でもヴェイルは電信受信機に触れることによって先の追跡(パースー)任務の詳細を入手していたが、理事直属として協会全体に対して因果を持つことで、それを大規模に行うことができるようになったわけだ。

 もちろんそれにはエネルギーが必要だ。ヴェイルの部隊は、厄災が控えている地域を旅するようにしてなぞり、厳しい前線に立ち続けていた。


「……というか、この罹患者……見覚えがあると思ったら」

「え? 知り合い?」

「いや。——」


 ヴェイルは目を細めて、少女を担いだまま街並みを歩いた。

 ——故に追跡者(パーサー)の層が薄くないダロンに来るのは非常に珍しいことだったが、ちょうどいい時期に帰ってきたらしい。県都の地図は大まかに頭に入っていて、目的地の方角くらいはすぐに分かった。


「ちょっとヴェイル、協会はこっちじゃないわ。日陰も少ないし……どこに行くの?」


 その進む道を、向かいから走ってくる小さな人影が一つ。


「はっ、はっ……」

「止まれ」


 必死な形相で走る彼女を、ヴェイルは呼び止めた。彼女はゆらりと体を傾けて止まり、胡乱げに視線を上げ——そして目を見開く。


「あ、アネっ⁉︎」


 やっぱり。ヴェイルは担いでいた少女を日陰に下ろしてやった。


「お兄さん、追跡者(パーサー)なの? さっきまで、アネ、悪魔に憑かれて……」

「そうだな」

「……!」


 彼女は——ノーマはぱあっと顔を明るくして、涙を浮かばせてしゃがんでアネの手を握った。


「報告は僕がいいようにしておくから、おまえが連れ帰れ。恐光症(フォトラビア)の症状が出るようだったら協会に行くんだ。いいな」

「うん。よかった……本当によかったあ。ありがとう、お兄さん!」


 ヴェイルの制服は黒く、追跡者(パーサー)らしくはないのだが、彼女にとってはアネが無事なことだけが重要だった。

 ノーマがアネの呼吸を確かめるのを、ヴェイルは何となくその場で眺めていた。ルアハはそんなヴェイルが珍しいのか沈黙している。


「——やっぱり、追跡者(パーサー)ってかっこいいね」


 ノーマはふとそう言って、右目の傷を隠さず“天眼”を開きっぱなしにしているヴェイルをまるで英雄と見ているように見上げた。幸せそうな少女の笑みは、戦いも憎しみも知らない。


「あたしも追跡者(パーサー)になりたいな。アネみたいな人を助けたいもん」


 この国の追跡者(パーサー)の選考基準は、身分から、天使がその人を見初めるかどうか、つまり光(フォス)の量を基準とした実力主義にシフトしていっている。ヴェイルとイェスタはこの世界に供給される天使に絶対量があることを知っているが、結果的に身分の低い者でも追跡者(パーサー)を目指しやすくなった。

 だが、それは追跡者(パーサー)の道のりが険しくないことを示すわけではない。


「——はっ。おまえは『お薬屋さん』の方が似合ってるよ」

「えっ?」


 ヴェイルは笑って、ひらりと手を振って踵を返した。ルアハは不思議そうにノーマを見ながら空を泳いでヴェイルに追いつき、いつも通り隣を歩き始める。



「……『過去の未来』の知り合い?」

「もう関係ない他人だ」

「そのわりには機嫌が良さそうね。変なの」

「君は不機嫌そうだ」


 ヴェイルは肩を竦めて苦笑する。ルアハはそれで余計にむすっとした顔をして、目を合わせようとしない。


「……だってヴェイル、『過去の未来』のことを何も話そうとしないじゃない」

「ルアハ……僕は君には格好つけたいんだ、代わりに過去の過ちは必ず繰り返さないさ。今の現実がうまくいってることに感謝してくれ。僕(・)と(・)君(・)が(・)『光(・)の(・)世(・)界(・)』で(・)生(・)き(・)て(・)て(・)、英(・)雄(・)イ(・)ェ(・)ス(・)タ(・)は(・)味(・)方(・)で(・)」

「————」


 その、最低限と思えるようなことすらその世界にはなかったということを……ルアハは改めて知って、緊張した顔でごくりと喉を上下させた。ヴェイルは続けた。


「——そういえば君こそあの頃、頑なに言わなかったことがあったな」

「え。な、何?」

「僕が『他にしたいことなんてない』って言った時に、君は自分にはあるって言った」

「ああ……」


 ルアハはばつの悪そうに眉を寄せた。確かにそれは、ルアハがヴェイルに「過去の未来」について訊ねたのと同じくらいの回数ヴェイルが訊いて、ルアハが答えなかったことだった。


「……そうね、それは何もしなくても叶ったことだから」

「そうなのか?」

「ええ。……ほら、今もね」


 ルアハは少し照れ臭そうにそう言った。



 太陽が今日の一日の終わりを囁いている。夜が来て朝が来る。

 何も恐くはない。世界の因果が二人をどこまでも巻き込むとしても、そこにいつでも互いの帰りを待つ永遠はあるのだから。



Fin.

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