第1話 身の丈に合わない人生
ハイスベルト校の庭園は、ヴェイルに“永遠の春”を想起させた。
だが、あの頃とは何もかもが違った。ヴェイルが身に纏っているのは正装で、髪は綺麗に短く切られ、傷を負って失明した右目は上等な眼帯で覆い隠されていた。たった二年でかなり健康的な体型になり、身長も随分伸びたと思う。
「? ヴィー、何かあったか?」
飾り付けられていない静かな庭園に目を奪われたヴェイルに、イェスタは不思議そうに振り返った。
右目を失明しているから、右側の庭園を見るためにはあからさまに首を向ける必要があった。ヴェイルは短く「いや」と首を振って、彼に歩調を合わせる。“永遠の春”を思い出しはしたが、あの筆舌に尽くし難い神聖さはここにはなかった。
あまりの場違い感に内心落ち着かないヴェイルとは逆に、イェスタはリラックスした様子だ。彼は元々ハイスベルト生で、今日着ているのもその制服だった。
「——それにしても、最初にヴィーの夢を知った時は驚いたよなあ」
「夢?」
ヴェイルは若干どきりとした。ルアハのことは、命の恩人であり親友である彼にも言った覚えはない。
「追跡者なんて、今の時代一番危険な職業だろ? あの頃のヴィーははっきり言って貧弱だったし」
ああ、そっちの夢ね、と思いながら、ヴェイルは適当に相槌を打つ。
追跡者というのは、恐光症の罹患者を斬る一種の軍職である。
恐光症は、光に当たると恐慌状態に陥る症状からその名が付けられた。その最たる特徴は、罹患者が異能を得て、光を避けるために地下へと構造物を展開していくことである。
「でも、もう普通に俺と互角だもんな。何がそんなに君を駆り立てるんだ?」
……この手のことを訊かれるのは初めてではない。ヴェイルはいつもはぐらかしてきた。
全てから手を離したつもりでいたヴェイルにとって、マックスウェル家で手に入った“第二の人生”は持て余すものでしかなかった。イェスタと遊ぶのは楽しかったが、イェスタにはマックスウェル卿としての諸々がある。ヴェイルが持て余すものよりも更におそろしいものだ。
そうして思い出したのが、ヴェイルがイェスタに助けられるということを予言して消えた夢の少女、ルアハのことだった。ヴェイルの人生の全てだったと言っても過言ではない彼女は、しかし単なる幻の存在である。——ただし、ルアハの発言を整理すると、無視できない可能性が浮かび上がってくる。
ルアハはずっと、力を得るために悪魔を捕らえることを頼んでいたが、ヴェイルは一度もそれに応えなかった。そして予言の力を使うと同時に、彼女は消えた。
つまり、悪魔を捕らえれば、彼女が復活するのではないかと——。
「……それより、お前まで追跡者を目指すって言い出した時、僕がどれだけ伯爵に詰められたか」
まさかそんな理由を話せるわけもないので、ヴェイルは矛先をイェスタに返した。
「何もこんな大ごとにしてまで僕をここに連れて来なくてもよかったのに」
「それはだって、俺は騎士の末裔だ。全部君のためってわけじゃない。君と話して恐光症の被害を改めて考えたら、いてもたってもいられなくて……」
「お前は優し過ぎる」
「覚悟は決まってるよ」
そう返されて、ヴェイルはやれやれと肩を竦めるしかなかった。追跡者がどれだけ危険な仕事か分かってるのか、と言いたくなるが、それを言うのがお互いなら受け入れるのが筋だろう。
「しっかりしてくれよ、お前に何かあったら、伯爵は僕を……」
「——イェスタ先輩!」
「ん?」
ヴェイルの言葉を遮ったのは、向かいから現れた女子生徒だった。彼女はキラキラした目でイェスタを見て嬉しそうに寄ってくる。ハイスベルト生ということは、イェスタと同じく良家の娘ということだ。気が引ける。
「この間はありがとうございました!」
「ああ、あの時は災難だったな。次は気をつけて」
「はい。あの先輩、ところでその方は……? 親しげにお話しされていましたが」
ありがとうございましたと近づいてきたそばから、イェスタの身辺調査か。イェスタは誰にでも過剰なほど優しいから、こうしてファンがついているんだろう。
でかでかと眼帯をした知らない男が怖いのか、それとも別の理由か、彼女は明らかにイェスタに寄って立っていた。
「学校に連れて来るのは初めてだったな。私のおとう——」
「イェスタとは古い友人だ。たまたま合流しただけだ」
弟、と紹介されて巻き込まれたくなかったので、ヴェイルは大きめに一線を引いた。イェスタは残念そうにするが、そもそも伯爵家の令息が冗談で弟などと言うものではない。
「……ごめんな、こいつ無愛想で。ま、そういうわけで今日は旧交を温めるってところだから、失礼させてもらおう」
「は、はい。楽しんで、先輩!」
話が終わった瞬間にスタスタと歩き始めたヴェイルに、イェスタは呆れながら小走りで追いついた。「あんな純粋な子とくらい話してみればいいのに」と小言が飛んでくるが、余計なお世話だ。「あ、そっちじゃない。右右」
そんなことより、目下の課題は——今日この学校内で行われる「選定の儀」だ。
追跡者は罹患者の作り上げる絶光領域を攻略しなければならない。それにあたって必要になるのが、罹患者の異能“闇”に対抗する“光”だ。新約聖典によれば、光は人間が生来備えているものである。
その強さや形、能力は様々で、それがそのまま追跡者としてのポテンシャルとなる。追跡者志望者に対してそれを確かめるのが、この選定の儀だ。
この結果によっては、追跡者の才能がないということになり、より一般的な警備職などのリクルートへ誘導される。今時珍しく戦闘が本業の追跡者を目指せる武力があれば他でもやっていけるというのが常套句だが、悪魔を捕らえることが目的のヴェイルにとってはゼロとイチほどの絶対的な違いだ。
「ヴィー、追跡はチームプレイなんだぞ。俺と一緒の班になるとも限らないし、もうちょっと人と話す練習をしてみたらどうだ」
「目的が一致すればそれなりにやるさ」
「またそんなことを言って」
悪魔のことを考えている間は、ヴェイルは冷静でいられる。ヴェイルにとって一番怖いのは、イェスタに助けられた後の恵まれた“第二の人生”の果てしない迷路——それは虚無だ——の中に放り出されてしまうことだった。
「——あの訓練場が今日の会場だ。彼らが未来の同期候補だな」
訓練場の入り口付近、イェスタがそう言って指差したあたりには、既に二十名ほどの追跡者志望者が集まっていた。ハイスベルト生以外が六割を占めていたが、やはり制服を着ていないのはヴェイルだけだった。追跡者は不文律によって、ある程度の身分のある者しか就任を許されていない。
ヴェイルはイェスタの影に隠れるようにして、その輪に近付いた。マックスウェル家で暮らすことには慣れたが、未だに他の人間は苦手だった。
外面も内面も良いイェスタはやはり人気者らしい。立場の上下左右関係ない生徒たちが、彼を見つけるとぱっと顔を上げて「おっ」という顔をした。……居心地が悪い。
思わず爪先をあらぬ方向に向けると、目敏いイェスタに襟首を掴まれた。
「どこ行こうとしてるんだ、ヴィー。もう始まるからここにいろよ。はい整列」
「…………」
イェスタの言う通り、布をかけた道具を持った職員たちがここに向かってくるところだった。職員の服装は灰色の布地に白の模様が入った、地味だが厳格なものだった。志望生たちは軍隊のように行儀良く整列してそれを待った。ヴェイルは最後列の端っこに収まった。




