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14話 なんか、カッコいいな

 まだ高い陽に照らされながら、机に向かう。

 壁の厚い室内は、いつも勉強中に聞こえてくるスポーツ部の喧騒を全くと言っていいほど通さなかった。

 途切れ途切れに聞こえてくる吹奏楽部のトランペットは良いアクセントになる。


「……ちょっと休憩するか」


 とんでもないことに巻き込まれたと、柄にもなく悩んでいるうちに一日が経過して。

 いつも通り過ごして、いつも通りに終わるはずだった平日の五日間は終わりを迎えた。


 そして俺は今、高校の図書室の自習スペースで古文をやっつけ終わったところだ。

 静かに呟きながら、時計を見るついでに伸びをすると周囲の光景が目に入る。

 まばらにいる人は、多分全員上級生だ。受験勉強だろうか。そんな中に一人混じるのにももう慣れていた。


 大会が近い女バレは土曜だろうが日曜だろうが、祝日だろうが気にせず練習だ。

 この大会を勝ち上がることは、高校生バレーの二大大会の一つ、春高に続いているらしい。ナツキは多くを語らないので、情報源は九割がた両親だ。ともすればナツキ本人より熱意がある。


 そして、その期待の新人の『登下校係』である俺は、朝早くから駆り出され、平日と同じように勉強で時間を潰しているというわけだった。


「飲み物でも買うか」


 立ち上がって図書室から出る。

 静かにしないと白い目で見られるあの空間は、集中していると気にならないが、それが切れると一気に肩身が狭くなる。

 無意識のうちに強張った身体の色んな所を伸ばしながら歩き、俺は中庭近くの自販機に小銭を入れた。ごとん。


「……ん?」


 ふと視線を上に向けながら缶コーヒーを飲んでいると、三階にいる誰かと目が合った。

 窓ガラスの反射で見えづらいが、あれってもしかして……。


 ぺこりとお辞儀をされた気がして、いまいち確信を持てないまま会釈を返す。

 そのまま去っていく人影が歩いていくのを視線で追いながら、俺は思わず呟いた。


「あれって、風松のどっちか……だよな?」


 会釈を丁寧にしたのを見ると、多分妹の方だろうか。

 生憎と風松にそんなことをするお淑やかさはないことが分かっている。


「土曜も学校来てるのか」


 勉強だろうか?

 それとも何か用でもあったのか?

 いっそ部活とか……あ。


「……もしかして」


 俺は三階に向かってみることにした。正確には三階隅のとある教室。

 人気のない美術室だ。


「なるほど。……なるほど」


 二回復唱する程度には、何とも言えない光景がガラス越しに広がっている。

 安藤が鬼気迫る表情でキャンバスに向かっていた。ああでもないこうでもないと頭を悩ませ、それでも一歩ずつ、少しずつでも進もうとしているように見えた。


「俺の適当アドバイスが役に立ったわけじゃない、よな」


 安藤を動かしているのは、好きだという幼馴染への気持ちだろう。

 行き詰まっていたものをそれでも完成に導こうとする強い気持ちを安藤は最初から持っていたんだと思う。


「……どうしたもんかな」


 コーヒーを口に入れる。見ていて胸焼けしそうな高校生の恋愛が目の前にあることに、縁がない俺は耐えられなかった。


「あ、やべ」


 そこで丁度集中が切れたのか、安藤と目が合った。

 俺に気付くと、すぐに立ち上がって美術室から顔を出す。


「花野君? 何か用?」


「気紛れに来てみたら安藤がいてビックリしてた」


「土曜日に学校に?」


「俺はナツキの部活の送迎。そっちこそ、土曜でも作業してんのかよ」


 そんな俺の言葉に安藤は苦笑した。


「送迎って……本当に陽佐さんと付き合ってないの?」


「あいつが極度の方向音痴じゃなかったら俺だって休日は家でゴロゴロしてるんだよ」


 不本意極まってるぞ、こっちは。


「へぇ、陽佐さんにそんな一面が……あぁ、だからいつも一緒に登校してるんだ」


「そういうことだな」


「花野君って面倒見良いんだね」


「断じて違う。お前はナツキの方向音痴を甘く見過ぎだ」


 小学生の時、ナツキとはぐれた。『まぁ、家くらい帰れるだろ』と楽観視していたら、二つ隣の町の警察のお世話になった。

 俺が両親に死ぬほど怒られた。確かに俺が悪いが、そこまで怒る必要はないと思う。ちなみにナツキは気にしていない様子だった。


「……俺の話はいいって。そっちは? なんか頑張ってるっぽかったけど」


 人が絵を真面目に描いてるところなんて初めて見たが、息を呑むとはこういうことを言うんだろう。

 絵ではなく、描いている安藤に引き込まれるみたいな感覚になった。


「うん、頑張ってる。今、不思議と調子が良いんだ」


「そうか、良かったな」


「花野君のお陰だよ」


「俺?」


 適当な言葉でお茶を濁すくらいしかしていないが。


「うん、花野君に『それだけ好きってことだろ』って言われて改めて考えたんだ」


 イケメンは目を伏せてから言う。


「俺が何の為に絵を描くのか。好きだってことを伝えるために絵を描いてるのか、その子に認めてほしいから絵を描いてるのか」


「どっちだったんだ?」


「どっちもだったし、どっちでもなかったんだ」


 安藤が苦笑する。口ぶりの割に、俺は彼のことをどっちつかずな奴だとは思わなかった。


「花野君が言ったみたいに、自分に言い訳して先延ばしにしてたんだと思う。作品に納得が行かないからって理由をつけて画家を気取ったフリをしてただけで、本当は『駄目だった時』を考えるのが怖かったんだ」


「別に、普通のことだと思うけど」


 告白とか、恋愛とか、そういう類のものじゃないけど身に覚えはある。

 多分、誰でも抱えるものだ。


「断られたら……そもそも俺のことなんて何とも思ってなくて、いつもの関係性が壊れたら……そう思うと、自分の気持ちがどんどん弱いものに見えたんだ」


「今は違うのか?」


「うん。先生に言われたことも思い出したよ。『自分に自信がない奴に誰かを魅了する絵なんて描けない』だってさ」


 思ってたよりまともなこと言う人だったんだ、美術の先生。

 もっとこう、『俺が一番偉い画家だぞぉ! ひれ伏せぇ下民どもぉ!』くらい言うような、それこそ絵に描いたような傍若無人を想像していた。ごめん。


「……まぁ、続く言葉が『だから私は最強に絵が上手い。敬え』だったから流しちゃってたんだけどね……ははは」


 うん、間違ってなかったな。


「自信がついたってことか」


「いいや、それが全く。俺、あんまり自分に自信ないんだ」


「嘘つけ。イケメンの癖に」


「ほ、本当だよ! 俺、あんまり運動とか得意じゃないし勉強もそこまでだし。……けど、そんな俺でも確かなことってあるんだよ」


 安藤が振り向いた。美術室のキャンバスに視線が行く。


「彼女を好きだってこと。そのためにこれまで頑張ってきたこと。この二つだけは、嘘じゃないし、嘘はつけない」


「なんか、カッコいいな安藤」


「か、揶揄わないでほしいなぁ!」


 照れる安藤に俺は肩を竦めてコーヒーを飲んだ。

 嘘ではない。きっと、こいつに好かれた女子は幸せになるだろうと思った。そのくらい、このイケメンの思いは真っすぐだ。


「もう『駄目だった時』は考えない。先延ばしにもしない。あの絵は完成させる。たとえ見惚れさせるようなものにならなくたって、これが俺だって伝えられる作品にする」


「で、ちゃんと告白する、と」


「う、うん……返事、待たせちゃってるし」


 頬を赤くする安藤を尻目に俺はコーヒーの苦みを飲み込んだ。空になった缶はやけに軽い。


「……ちなみに、完成はいつ頃になりそうなんだ?」


「元々最後の仕上げに手こずってただけだったし、この調子なら週明けには見せられるようになると思う」


 ……週明け、か。


「分かった、陰ながら応援してるわ」


「ははは、もっと盛大に応援してよ」


「俺が力になるとは思えないし、こそこそくらいで丁度良いだろ」


「俺、君のお陰で頑張れるようになったんだけどな?」


 よく口が回るイケメンですこと。

 モブはとっとと退場させてくれ。


「じゃあ、あれだ。結果は教えてくれ」


「分かったよ。花野君、本当にありがとう」


「……俺は何もしてないっての」


 手を振って歩き出す。これ以上邪魔しても申し訳ない。

 階段を降りていたら踊り場の鏡で自分の顔と鉢合わせた。


「……なんだこいつ」


 凄く渋い顔をした俺がいた。

 これは多分、コーヒーが苦かったからではないと思う。


 こんなに週明けが憂鬱なのは、とても久しぶりだった。

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