第85話:入れ替わり解除と、戸田家の重圧
深夜。新宿のアパートのベッドで、大介は深い眠りから覚めました。
目を開けた瞬間、視界に飛び込んできたのは見慣れた安アパートの天井。そして、指先を動かして感じるのは、お嬢様の華奢な感触ではなく、節くれだった自分の男の掌でした。
「(……戻った。俺の体だ……!)」
起き上がり、鏡の前で自分の情けない顔を確認して、大介は大きく息を吐きました。 四日間に及ぶ「エイミー生活」は幕を閉じました。手元には、彼女の体で稼ぎ出した二億一千万という、現実離れした通帳の数字だけが残っています。(テスト報酬と新宿ダンジョン報酬)
その時、机の上でスマホが震えました。画面には**『実家(父)』**の文字。
いつもなら「また説教か」と即座に無視するところでしたが、ふと、妹の麻衣が以前言っていた言葉が脳裏をよぎりました。
『お兄ちゃん、お父さんだって言葉はキツいけど、心配で眠れない夜もあるんだよ。たまには声くらい聞かせてあげなよ』
大介は少しだけ迷い、覚悟を決めて通話ボタンをスライドしました。
【父・誠一郎の正論】
「……もしもし」
『――大介か。やっと出たな』
受話器越しに聞こえてきたのは、市役所勤めらしい、定規で引いたような硬い父・誠一郎の声でした。
『麻衣から聞いたぞ。お前、まだあの「冒険者」とやらを続けているそうじゃないか。会社が倒産して気が動転しているのは分かるが、いつまで現実逃避をしているんだ』
「現実逃避じゃないよ、父さん。俺、これでも結構本気で……」
『本気? 明日死ぬかもしれない仕事が本気か? お前の世代は甘い。普通に就職して、堅実に働き、普通に家族を持つ。それがどれだけ尊いことか、お前には分からんのか。老後資金の心配までさせるな』
誠一郎の言葉は、正論ゆえに大介の胸に突き刺さります。 父の世代にとって、ダンジョンに潜る息子は、ただの「安定を捨てたギャンブラー」にしか見えないのです。
【母・美香の過保護な祈り】
『ちょっと、お父さん、代わって! ……大介? 大介なの!?』
電話の向こうで騒がしくなり、今度は母・美香の震える声が聞こえてきました。
『大介、怪我してない? 毎日ニュースでダンジョンの事故が出るたびに、お母さん生きた心地がしないのよ。お願いだから、もう帰ってきなさい。地元のスーパーなら、お父さんの紹介で雇ってもらえるかもしれないし……』
「母さん、心配しすぎだよ。俺なら大丈夫だから」
『大丈夫じゃないわよ! 早くお嫁さんを見つけて、落ち着いてほしいの。麻衣ちゃんだって、もうすぐお医者様と結婚するっていうのに、お兄ちゃんがそんなフラフラしてたら……』
母の愛は痛いほど伝わりますが、同時に「早く孫の顔を見せて」という無言のプレッシャーが、大介の肩を重くします。
『あーあ、二人とも、お兄ちゃんを責めすぎだって。……もしもし、お兄ちゃん?』
電話を奪い取ったのは、看護師としてバリバリ働く妹の麻衣でした。
『お兄ちゃん、相変わらず親に心配かけてるね。私は夜勤明けでこれから寝るとこ。……正直、看護師の私から見ても、お兄ちゃんの仕事は「不健康」の極みだよ。私は事情を知ってるから応援してあげられるけど、早く彼女の一人でも作って、まともな生活に戻りなよ。
……まあ、今の無職同然のお兄ちゃんに、付いてくる物好きな女の人がいればの話だけどね!』
「……手厳しいな、相変わらず」
『当たり前でしょ。でも、死んだら承知しないからね。……じゃあ、お父さんに代わるよ』
エイミーや大介がやってることを詳しく話さないのは、大介が隠したがっている父と母がいるからだろう。麻衣の優しさを感じた。
再び電話口に戻ってきた父は、短く吐き捨てるように言いました。
『とにかく、来月には一度戻ってこい。そこで今後の身の振り方を決める。いいな』
反論する隙も与えず、ツーツーと通話が切れました。
静かになった部屋で、大介はスマホを置きました。
父の失望、母の涙、妹との比較。
大金を手にした今の自分でも、この「普通」という高いハードルを越えられる気がしない。
「(……安定、か。父さんの言うことも分かるけどさ)」
大介は、ポケットに入ったエイミーのメモ――**
『おまえの体、少しだけ筋肉痛にしておいた。感謝しろ』**というたどたどしい日本語を見て、なんで文だとこんなに口調が強いんだよと少しだけ笑いました。
「(普通じゃない生活かもしれないけど、
俺、あっちの世界じゃ魔法使いの令嬢と命を預け合ってるんだぜ。……なんて言っても、信じてもらえないよな)」
大介は、家族に誇れる自分になるための「次の一手」を考えながら、冷めたコーヒーを飲み干しました。




