鉄壁の憂鬱と、特製かつ丼
ズズズ、ズズズ……。
深夜一時。アスファルトを重い何かで削るような音が、店の裏手から近づいてきた。
怪獣の足音ではない。もっと金属質で、引きずるような音だ。
俺は洗っていた中華鍋を置き、身構えた。
暖簾がゆっくりと持ち上がる。
「……ごめん、なさい。入口、つっかえるかも」
現れたのは、中学生くらいの小柄な少女だった。
だが、その背中にあるモノは異様だった。
彼女の身長を優に超える、分厚い長方形の巨大な盾。
表面は煤と傷だらけで、所々塗装が剥げ落ち、鈍い鋼の色が覗いている。
彼女は体を横にして、カニ歩きのようにしてようやく屋台に入り込んだ。盾を床に下ろすと、屋台全体がズン、と揺れた。相当な重量だ。
「いらっしゃい。……こりゃまた、デカい荷物だな」
俺が声をかけると、彼女は申し訳なさそうに肩を縮めた。
「重戦車級の魔法少女ですから。……スピードも攻撃力もない、ただの壁ですけど」
卑屈な物言いだった。
彼女はカウンターに座ると、メニューをじっと見つめ、小さな声で注文した。
「……かつ丼、お願いします。卵は、半熟で」
俺は豚ロース肉を冷蔵庫から取り出した。
厚さ二センチの特注品だ。
塩コショウを振り、小麦粉、溶き卵、粗めのパン粉を纏わせる。一八〇度の油に静かに沈めると、シュワワワ……と心地よい音が広がった。
揚がるのを待つ間、彼女はスマホでSNSを見ていたが、すぐに画面を伏せてため息をついた。
「……また、キル数ゼロ」
独り言が漏れる。
「守ったのになぁ。私が防いでる間に、アタッカーの子が決めただけなのに。コメント欄は『タンク動きトロすぎ』とか『邪魔』とかばっかり」
彼女は伏せたスマホを指で弾いた。
「盾なんて、地味で誰も見てない。……辞めちゃおうかな、こんな役回り」
ザクッ、ザクッ
包丁が揚がったばかりのカツを断ち切る音。
俺は玉ねぎを甘辛い割り下で煮込み、カツを乗せ、溶き卵を回し入れる。白身が固まり、黄身がとろりと輝く絶妙なタイミングで火を止める。
丼に盛った炊きたてのご飯の上に、それを滑らせるように乗せた。最後に三つ葉を添える。
「へい、特製かつ丼だ」
湯気と共に甘じょっぱい香りが立ち上る。
彼女は割り箸を割り、大きなカツを一切れ持ち上げた。
サクッ、ジュワッ
衣の香ばしさと、溢れ出す肉汁、そして出汁の染みた卵の甘み。
彼女は口いっぱいに頬張り、租借する。その表情から、少しだけ陰りが消えた。
「……んぐ、おいしい。……お肉、分厚いですね」
「ペラペラの肉じゃ、力が出ねえだろ」
俺は彼女がハフハフとかつ丼をかきこむ様子を見ながら、例の巨大な盾に目を向けた。
メーカーロゴは削れて読めないが、その形状とリベットの配置には見覚えがある。
五年前、俺が何度もプレゼンして、何度も「重すぎる」「可愛くない」と却下された曰く付きの商品だ。
「……『グランド・ガーディアンⅢ型』。重工系ベンチャーの『鉄人ワークス』製だな」
彼女は丼から顔を上げた。口の端にご飯粒がついている。
「えっ、詳しいですね。……そうです、すごく重くて、人気がないモデルで」
「だろうな。だが、そいつは名機だ」
俺は布巾を絞り、カウンターを拭きながら続けた。
「装甲材は多重複合セラミック。物理衝撃だけでなく、熱線や酸性の体液も完全に遮断する。カタログスペック上の防御力は、大手の最新鋭シールドの三倍だ」
俺は盾の表面を指差した。
「その傷を見ろ」
盾の表面には、無数のかぎ爪の跡や、爆発による焦げ跡が刻まれていた。
「全部、中央に集まってる。端っこにかすった傷じゃねえ。お前が真正面から受け止めた証拠だ」
俺は彼女の目を見た。
「逃げずに踏ん張ったんだな。その傷一つ一つが、後ろにいた仲間の命だ」
彼女は箸を止め、自分の盾を見つめた。
ただのボロくて汚い鉄板だと思っていたものが、違ったふうに見えたのか、彼女の瞳が揺れた。
「……でも、重いんです。衝撃を殺しきれなくて、いつも肩が外れそうになって……」
「そりゃ、設定の問題だ」
俺は屋台の奥から、愛用のモンキーレンチを取り出した。
「食事の間にちょっと借りるぞ」
「えっ、あ、はい」
俺は盾の裏側、腕を通すハンドルの基部にある六角ボルトにレンチをかけた。
鉄人ワークスの製品は、質実剛健すぎて「遊び」がないのが欠点だ。衝撃を全て「耐える」設計になっているため、使用者の関節に負担がかかる。
「ここのダンパーの圧力を抜く。衝撃を『弾く』んじゃなく『流す』設定に変えるんだ」
ギッ、ギッ、とボルトを緩める。
内部のオイルが循環する音が、シュコー、と小さく聞こえた。
「これなら、受けた衝撃の三割を横に逃がせる。その分、踏ん張りは必要になるが、お前の腰の強さなら問題ねえ」
俺はレンチを回し、最後にハンドル部分に滑り止めのテーピングを巻き直した。
「よし。……持ってみな」
かつ丼を完食した彼女は、お茶を飲み干してから立ち上がり、盾のハンドルを握った。
グッ、と構える。
屋台の狭い空間だが、その構えには微塵の隙もなかった。
「……あれ? グリップが、吸い付く」
彼女は盾を軽く揺すった。
「重心が変わった? なんか、振り回せそう」
「攻撃に使おうなんて思うなよ。あくまで防御(守り)のためだ」
俺が釘を刺すと、彼女はふふっと笑った。
「はい。……でも、これなら次の怪獣の突進、いなせそうです」
彼女はお代を置くと、大きな盾を軽々と背負い直した。
入店時の、あのアスファルトを引きずるような音はもうしない。
彼女の足取りが、心なしか力強くなっていたからだ。
「ごちそうさまでした! ……また、傷が増えたら見せに来ます!」
彼女は元気よく手を振り、夜の街へと駆け出した。
その背中の盾は、街灯の光を鈍く反射して、頼もしく輝いていた。
「……おう、待ってるよ」
俺は空になった丼を下げた。
かつて俺が売り歩き、誰にも見向きもされなかった「不人気な盾」。
それが今、あんな小さな少女の手によって、本来の役割を果たしている。
営業マン時代には味わえなかった充足感が、胸の奥にじんわりと広がった。
「さて、と」
俺は新しい油の温度を確認した。
盾役がいれば、矛役もいる。
どんな役割の客が来てもいいように、仕込みだけは完璧にしておかなくちゃな。
夜はまだ、これからだ。




