ロートルの引き際と、海鮮塩焼きそば
金曜日の夜。週末の解放感に浮かれる都市部とは裏腹に、この吹きっさらしの国道沿いは静まり返っていた。
俺は鉄板の焦げ付きをヘラでこそぎ落としながら、遠くの空を見上げた。
今夜は怪獣の出現予報がない。平和な夜だ。
だが、そんな夜にこそ、行き場を失った「戦士」がふらりと現れることがある。
「……大将。まだ、いいかしら」
落ち着いた、低いアルトの声。
暖簾をくぐってきたのは、長身の女性だった。
年齢は二十代後半。魔法少女業界では、とっくに引退を囁かれる「高齢者」だ。
彼女は変身を解いていたが、その立ち振る舞いには戦場の匂いが染み付いている。トレンチコートの下から覗くのは、紫色のコンバットスーツ。
かつて「紫電の戦乙女」として一世を風靡し、今は前線を退きつつあるベテラン、ヴァイオレット・セイバーだ。
「いらっしゃい。……珍しいな、あんたがこんな所に来るなんて」
俺が言うと、彼女は苦笑してカウンターの端に座った。
「今日は非番なの。……それに、ちょっとね。昔の味が恋しくなって」
彼女はメニューも見ずに言った。
「塩焼きそば。具は海鮮で。あと、ノンアルコールビールを一本」
俺は冷蔵庫から冷えた瓶を取り出し、栓を抜いて出した。
手酌でグラスに注ぐ彼女の手には、無数の古傷がある。治癒魔法でも消えなかった、激戦の勲章だ。
俺は鉄板に油を引き、キャベツ、もやし、そして冷凍だが大ぶりのエビとイカを投入した。
ジャァッ! と威勢のいい音が響く。
中華麺を加え、酒を振って蒸し焼きにする。味付けはシンプルに塩、胡椒、そして隠し味の鶏油。
ソースの焦げる匂いもいいが、ベテランには素材の味が引き立つ塩が好まれる。
「……最近の子は、すごいのね」
焼きそばが出来上がるのを待ちながら、彼女がポツリと言った。
「オート照準に、自動回避プログラム。妖精のサポートなしでも、AIが最適解を教えてくれる。……私の時代とは大違い」
彼女はグラスを揺らし、琥珀色の液体を見つめた。
「昨日、後輩のサポートに入ったの。でも、私の反応速度じゃ、もう彼女たちの連携についていけなくて……。邪魔になっちゃった」
自嘲気味な笑い。
「そろそろ、潮時かしらね」
俺は焼きあがった塩焼きそばを皿に盛り、青のりと紅生姜を添えて出した。
「……食ってから言え」
彼女は箸を割り、湯気の立つ麺を口に運んだ。
香ばしい鶏油の香りと、海鮮の旨味。彼女は一口食べるごとに、ほう、と息を漏らした。
「……美味しい。最近、コンビニの栄養ゼリーばっかりだったから、余計に染みるわ」
彼女が食事を進める間、俺は彼女が足元に置いた細長いケースに目をやった。
その形状を、俺が忘れるはずがない。
「……『菊一文字・改』か。まだそれを使ってるのか」
彼女は箸を止めた。
「ええ。大和重工の名刀よ。重いし、魔力効率も悪いけど……私の相棒だもの」
一〇年前のモデルだ。俺が営業マン時代、一番最初に大口契約を取ったのがこのシリーズだった。
無骨で、扱いにくく、だが芯を食えばどんな装甲も断ち切る、職人気質な刀。
「……ちょっと見せてみな」
「え? でも、メンテは先週したばかりよ?」
「いいから」
俺はケースから刀を取り出した。
刀身には細かな刃こぼれがあるが、手入れは行き届いている。
だが、俺が見たかったのは刃ではない。柄の内部に埋め込まれた「振動ユニット」だ。
俺は柄頭を外し、内部の調整ダイヤルを確認した。
「……やっぱりな。設定が『デフォルト』のままだ」
「それがどうかしたの?」
「この『菊一文字』はな、使い手の魔力波長に合わせて振動数を自動調整する機能がある。だが、そのアルゴリズムは『十代の反射神経』を前提に組まれてるんだよ」
俺は工具箱から精密ドライバーを取り出し、ダイヤルを回した。
カリカリ、と小さな音がする。
「若い頃は勢いでねじ伏せられただろうが、経験を積んだ今のあんたには、この設定は『軽すぎる』んだ。振った時に、刀身が手元より先に走りすぎてる」
俺は振動数を下げ、代わりにトルク(回転力)を上げる設定に変更した。
「あんたの今の剣術は、反射神経勝負じゃねえ。読みと、一撃の重さだろ。……刀の方を、今のあんたの呼吸に合わせてやった」
俺は刀をケースに戻し、彼女に返した。
彼女は不思議そうな顔でケースを受け取ったが、少しだけ引き抜いて柄を握った瞬間、その表情が変わった。
「……あれ?」
彼女は小さく手首を返した。
「しっくりくる。……まるで、腕の一部になったみたい」
「道具ってのはな、新品が最高ってわけじゃねえ。使い手と一緒に歳をとるもんだ」
俺は鉄板を掃除しながら言った。
「AI任せの最新装備じゃ、その『馴染む』感覚は味わえねえよ。……あんたはまだ、戦えるさ」
彼女はしばらく呆然としていたが、やがてフッと笑い、残りの焼きそばを綺麗に平らげた。
「……大将。客だったのにいつも間にか代替わりした時から思ってたけど、あんた、ただのラーメン屋じゃないわね?」
「さあな。昔、ちょっと防具を売ってただけだ」
「ふふ、そういうことにしておくわ」
彼女は立ち上がり、空になったグラスを置いた。
その背筋は、店に入ってきた時よりもずっと伸びていた。
「ありがとう。……引退届、出すのはもう少し先にするわ。こいつ(相棒)が、まだやる気みたいだから」
彼女はコートの裾を翻し、夜の闇へと消えていった。
俺はグラスを洗いながら、独りごちた。
一〇年前の装備。それを使い続けるベテラン。
俺が会社で売ったモノが、まだこうして誰かの命を守っている。
それは、ブラック企業で心をすり減らした俺にとって、数少ない救いのような気がした。
「……さて」
俺は新しいキャベツを刻み始めた。
時代が変わろうと、道具が進化しようと、腹が減るのだけは変わらない。
古臭い屋台の灯りは、まだまだ消すわけにはいかないようだ。




