星降る夜の満漢全席
夜八時
空は澄み渡り、まるで宝石箱をひっくり返したような星空が広がっている。
俺はいつもの路地裏に屋台を止め、深く息を吸い込んだ。
冷たく澄んだ夜気が、肺の奥まで染み渡る。
「……さて、と」
俺は愛用の中華鍋を火にかけた。
今日は、なんとなく予感がした。
長年の勘というやつだ。今夜は、長くなる。
俺は仕込みの量を、いつもの三倍……いや、五倍に増やしていた。
寸胴鍋には、鶏ガラ、豚骨、香味野菜、そして高級な干し貝柱と金華ハムを惜しげもなく投入した「極上清湯スープ」が、静かに、しかし力強く黄金色の輝きを放っている。
チャーシューは大鍋二つ分。煮玉子は五十個。
餃子の皮と餡は山のように用意した。
おでん鍋も満タンだ。大根は三日前から煮込んでいる。
準備万端。
俺が暖簾を掛けた、その瞬間だった。
ヒュンッ!
青い流星が音もなく着地した。
Sランク魔法少女、ラピス・ナイト。
彼女は背中の神造魔槍『天穿』を粒子化して収納すると、弾けるような笑顔で暖簾をくぐった。
「一番乗り! こんばんは、大将!」
『今日は授業中からずっとソワソワしていましたが、この事でしたか……』
「ちょっとシエル! バラさないでよ!」
彼女はいつもの席……ではなく、今日はカウンターの端に立って、腕まくりをした。
「今日は座りませんよ。……だって、今日は『大将の屋台、4周年』なんでしょ?」
「……なんで知ってる」
俺が目を丸くすると、彼女は悪戯っぽく笑った。
「佐々木部長に聞きました。『あいつが脱サラして屋台引き始めて、今日で4年だ』って。だから今日は……私たちがお祝いする番です!」
タイミングを合わせたように、暖簾が開いた。
「よう黒木。4年、案外持ったな」
大和重工・開発部長、佐々木だ。
両手には一升瓶を二本ずつ、計四本も抱えている。
「祝い酒だ。……今日は会社の連中には内緒で、とっておきの『最高級・大吟醸』を横領……いや、持ってきた」
「横領じゃねえか。……ま、ありがたく頂くがな」
静かなスタートだ。
だが、これは嵐の前の静けさに過ぎなかった。
夜九時
店内の空気が華やいだ。
「こんばんは〜! お忍びで来ちゃいました!」
私服姿に伊達メガネの国民的アイドル、プリズム・ハートが入店した。
その後ろから、迷彩ポンチョを目深に被ったホーク・アイと、ジャージ姿でゲーム機をピコピコいじっているネオン・グリッチが続く。
「……今日は『無礼講』って聞いたから。狙撃ポイントから直行したわ」
「……ここ、Wi-Fi強いし。ご飯美味しいし。……あ、おじさん、いつものパフェ。特大で」
一気に席が埋まる。
俺は手始めに、軽い前菜を振る舞うことにした。
大皿に盛ったのは「自家製チャーシューのネギまみれ」、「煮玉子のウニ乗せ」、「揚げたて海老ワンタンの甘酢がけ」。
佐々木が持ち込んだ大吟醸を開ける。
トクトクトク……
芳醇な香りが広がる。
「カンパーイ!!」
魔法少女と、おっさん技術屋の奇妙な宴が始まった。
だが、平和な時間はそこまでだ。
ドタドタドタッ!!
騒がしい足音と共に、あの「信号機トリオ」が雪崩れ込んできた。
「大将ーッ! 聞き捨てならないわよ! 周年記念!? なんで招待状送らないのよ!」
スカーレット・エースがマントを翻して叫んだ。
「招待したら店が壊れるからだ」
「ひっどーい! ……でも、お腹は空いてるの。今日はお祝いだからタダよね!?」
「金は取るわよ! ……あ、大将ごめん、こいつ財布忘れてきて……私が払うから!」
アクア・マリーンが青ざめた顔で電卓を叩いている。
「……お腹すいた。……今日、カレーある?」
イエロー・ウォールが寸胴鍋を凝視している。
さらに、扉が強引に開けられた。
「……肉。……血の滴るような、肉を……」
包帯姿のクリムゾン・ベルセルクが、魔剣を引きずって現れた。
「おっ、ベルセルクちゃんじゃん! 席詰めようぜ!」
スカーレットが強引に席を作る。
定員八名のカウンターに、すでに十名以上がひしめき合っている。
「……大将。これじゃあ座れないわ」
困った顔をしたのは、遅れてやってきたアーキテクト・マイ(建設系魔法少女)だ。
彼女は巨大な左官コテを背負い、店内を見渡した。
「……仕方ない。周年のお祝いに、私が『増築』してあげます!」
マイは店の外に出ると、コテを振るった。
魔力が練り込まれた速乾セメントが空中に展開される。
「展開! インスタント・テラス!」
ズズズズッ……!
屋台の横の空き地に、平らで頑丈なコンクリートのテラス席が一瞬で形成された。
さらに、以前俺が修理してやったコテの調子が良いらしく、テーブルと椅子までもが滑らかに隆起して生成される。
「すげぇ……。建築基準法はどうなってんだ」
佐々木が感心しながらツッコミを入れた。
テラス席ができたことで、収容人数が一気に増えた。
そこに現れたのは、夜の世界の大人たちだ。
黒塗りの高級車が止まり、中から杖をついた老人が降りてきた。
大和重工会長、剛田厳造。
「……ふん。騒がしいと思えば、佐々木。お前、またここで油を売っておるのか」
「げっ、会長!? ……い、いや、これは市場調査で……」
「嘘をつくな。……酒の匂いがするぞ。ワシにも一杯よこせ」
会長は好々爺の顔で、テラス席の特等席に陣取った。
続いて、路地裏の闇から、グレーのスーツの男と、フードの少女が現れた。
公安の葛城警部と、ミラージュだ。
「……大将。今日はパトロールのついでだ。……随分と派手な『集会』だな」
葛城は苦笑いしながら、ミラージュの頭を撫でた。
「……おじさん、おめでとう」
ミラージュが小さな花束を差し出した。路端の野花を摘んできたらしい。
「……ありがとうな。特等席を用意してあるぞ」
そして、最後に現れたのは、この場の空気を一変させる「雲の上の存在」。
「……ほう。下界の宴とは、かくも熱気に満ちているものか」
黄金の髪をなびかせ、ハイ・エルフのエルランド様が降臨した。
護衛のリンドウと、狛犬のレオも一緒だ。
「こ、顧問! こんな無防備な場所で……しかも民間人が多すぎます!」
「よいではないか。今日は私もただの客だ」
エルランド様は、剛田会長の向かいに座った。
日本の重工業のトップと、妖精界の管理者。
とてつもないツーショットだ。
「……ふむ。あんた、人間にしてはいい目をしているな」
「……ほう。あんたこそ、背負っているものが重そうだ。……一杯どうだね、異人さん」
二人は無言で杯を交わした。大物同士、通じ合うものがあるらしい。
これで、役者は揃った。
総勢二十名以上。
魔法少女、妖精、技術屋、権力者、刑事。
普段なら絶対に交わらない点と点が、この屋台を中心にして一つの円になった。
俺はハチマキを締め直した。
「よし……! 野郎ども、腹の準備はいいか! 今夜は在庫が尽きるまで帰さんぞ!」
「「「オオオオーーーッ!!」」」
歓声が夜空に響いた。
注文の嵐が始まった。
「ラーメン! 大盛りで!」「私はチャーハン!」「おでん全部!」「甘いもの!」「肉! レアで!」
俺一人では、物理的に手が足りない。
だが、今日ここにいるのは、ただの客ではない。
「大将! 火力足りないでしょ! 私がやるわ!」
スカーレットが厨房の横に立ち、指パッチンをした。
ボッ!
コンロの火力が三倍に膨れ上がる。
「バカ! 強すぎだ! ……いや、中華鍋ならいけるか! サンキュー!」
俺は轟音を立てるコンロで、巨大な中華鍋を振るった。
米五合分のチャーハンが、熱風で舞い踊る。
「……冷却、担当します」
ホーク・アイとネオンが、ビールケースを冷やしている。
ネオンが電子制御で温度管理をし、ホーク・アイが氷魔法(正確には冷却弾)でキンキンに冷やす。
「……温度、摂氏四度。飲み頃」
「配膳は任せろ!」
ラピス・ナイトが動いた。
彼女は『天穿』こそ持っていないが、その身体能力は超人だ。
ヒュンヒュンヒュン!
残像が見えるほどのスピードで、できたての料理をテラス席へ運んでいく。
「はい、チャーハンお待ち! こっちはおでん!」
汁一滴こぼさない、完璧なウェイターだ。
「……あたしは、皿洗いする」
無口なサイレント・マイムが、袖をまくってシンクに立った。
相棒のタコ八が洗剤を持って叫ぶ。
「なんで客のワシらが働かなあかんねん! ……あ、大将、この洗剤ええ匂いするな」
マイムは目にも止まらぬ速さで皿を磨き上げ、パントマイムで見えない壁を作って乾燥させていく。
厨房はカオスだが、不思議と連携が取れていた。
俺は指令塔となって叫ぶ。
「スカーレット、火力20%ダウン! ラピス、3番テーブルに餃子追加! マイム、どんぶり回収急げ!佐々木、ビールを開けろ!」
次々と料理が出来上がる。
「大火力・爆炎チャーハン」。
「絶対零度・極冷やし中華(冬だけど注文が入った)」。
「高速配膳・熱々小籠包」。
テラス席では、奇妙な交流が生まれていた。
剛田会長が、ベルセルクに肉を切り分けてやっている。
「……ほれ、食え。若いのが痩せてちゃ戦にならん」
「……感謝……。爺さん《オールドマン》、いい肉だ……」
葛城警部が、プリズム・ハートに酌をされている。
「……あー、俺の娘もファンでな。……サイン、いいか?」
「もちろんです! 『お父さんへ』って書きますね!」
強面の刑事がデレデレだ。
エルランド様は、リンドウとレオに、焼き鳥の串の外し方を教えている。
「こうやって回しながら抜くのだ。……リンドウ、顔が怖いぞ。もっと笑え」
「は、はい……! (引きつった笑顔)」
宴もたけなわ。
だが、食材が尽きかけてきた。
麺はあと十玉。スープも残りわずか。
しかし、客たちの食欲は衰えない。
「……最後だ。全員分、一気に作るぞ!」
俺は宣言した。
残った全ての食材を投入した、特大の「ちゃんぽん」を作ることにした。
だが、普通の鍋じゃ入り切らない。
「佐々木! トラックに『錬金釜』積んでたよな!」
「ああ、あるぞ! まさかあれで調理する気か!?」
「耐熱性も容量も申し分ねえ! 持ってこい!」
テラスの真ん中に、巨大な錬金釜が据えられた。
スカーレットが全力で火を吹く。
俺は残ったスープ、野菜、肉、魚介、全てをぶち込んだ。
グツグツと煮えたぎる釜。
だが、何かが足りない。最後の一押し、全員の記憶に残るような「出汁」の深みが。
その時、俺の脳裏に、冷蔵庫の奥に隠した「アレ」が過った。
いや、食材にするわけにはいかない。
だが……。
「ラピス! 槍を出せ!」
俺は叫んだ。
「えっ!? ここで!?」
「お前の槍の穂先は、『世界樹の葉』でできてる! それをスープに一瞬だけ浸すんだ!」
「えええっ!? 武器を出汁に使うんですか!?」
「佐々木! 衛生面は!?」
「完全抗菌仕様だ! 煮沸消毒も兼ねて問題ねえ!」
ラピスは恐る恐る、神造魔槍『天穿』を取り出した。
碧く輝く穂先。
彼女はそれを、煮えたぎる錬金釜の中に突き入れた。
ジュワァァァァッ……!!!
瞬間、光が溢れた。
穂先から漏れ出た世界樹の魔力が、スープに溶け込む。
ただの旨味が、神聖な輝きを帯びた「生命のスープ」へと昇華される。
香りが爆発した。
鶏ガラでも豚骨でもない。森の、大地の、生命そのもののような、優しく力強い香り。
「引き上げろ!」
ラピスが槍を抜く。槍はピカピカに洗浄され、むしろ輝きを増している。
俺は釜の中に麺を投入し、一気にかき混ぜた。
「完成だ! 『特製・世界樹ちゃんぽん(仮)』!!」
全員に小皿が配られた。
黄金色に光るスープと、たっぷりの具材。
全員が一口啜る。
「……!」
静寂が訪れた。
言葉が出ない。
美味い、という言葉では軽すぎる。
疲れた体に、傷ついた心に、染み渡っていく。
明日を生きる力が、腹の底から湧いてくる。
「……なんて味だ」
剛田会長が涙ぐんでいる。
「……心が、洗われる」
エルランド様が微笑んでいる。
「……これ、反則よ。こんなの食べたら、明日から戦えないじゃない」
スカーレットが泣きながら完食した。
誰もが笑顔だった。
敵も味方も、人間も妖精も関係ない。
ただ、「美味しい」という一点で、全員が繋がっていた。
東の空が白み始めた。
宴の跡。
テラスはマイによって撤去され、錬金釜も片付けられた。
客たちは、一人、また一人と帰っていった。
「ごちそうさま! また明日!」
「大将、長生きしてくれよ!」
「……ツケは、出世払いで!」
最後に残ったのは、佐々木とラピス、そして俺だけだった。
佐々木は酔い潰れて、テラスのあった場所で大の字になっている。
ラピスは、少し眠そうな目で、片付けを手伝ってくれていた。
「……楽しかったですね、大将」
彼女がグラスを拭きながら言った。
「ああ。屋台やってて、一番騒がしい夜だった」
俺は洗い終わった中華鍋を火にかけ、水気を飛ばした。
使い込まれた鉄の鍋は、黒光りしている。
「……私ね、時々怖くなるんです」
ラピスが手を止めた。
「Sランクになって、敵も強くなって……いつか、帰ってこられなくなるんじゃないかって」
彼女は自分の手を見た。
震えてはいなかったが、その拳は強く握りしめられていた。
「でも」
彼女は顔を上げ、このボロい屋台を見渡した。
「ここがあるから。……この暖簾と、匂いと、大将の『いらっしゃい』があるから、私は帰ってこられる気がします」
俺は布巾を絞り、彼女の頭にポンと置いた。
「……当たり前だ。俺はどこへも行かねえよ」
俺は佐々木を見下ろした。
「こいつらが作った武器を直して、美味い飯を作って、待ってるだけだ。……お前らがじいさんばあさんになるまでな」
ラピスは嬉しそうに笑い、涙を拭った。
「はい! ……あ、佐々木部長、どうしましょう?」
「放っておけ。朝になれば若手が回収に来るだろ」
ラピスは「じゃあ、おやすみなさい!」と元気に言い、朝焼けの空へと飛んでいった。
青い光が、朝日に溶けていく。
俺は一人、屋台に残った。
静寂が戻ってきた。
だが、孤独ではない。
空気の中には、昨夜の熱気と、料理の匂いと、みんなの笑い声が染み付いている。
俺はポケットから、五百円玉を取り出した。
ハイ・エルフから貰った、ただの硬貨。
そして、冷蔵庫の奥の世界樹の葉。
全部、俺の大切な財産だ。
ガララ……
俺は屋台の戸を閉めた。
長い夜が終わった。
そして、また新しい一日が始まる。
今夜もまた、腹を空かせた誰かが来るだろう。
だから俺は、仕込みをする。
いつもの場所で、いつもの味で。
「……さて、寝るか」
俺は屋台を引いて、朝の街を歩き出した。
その背中は、昨日よりも少しだけ、軽くなった気がした。
(完)




