幕間:Sランクの日常、あるいは『部活』帰りの食卓
ジリリリリリ……!
無機質なアラーム音が、泥のような眠りを引き剥がす。
「……ん、ぅ……」
私は重たい瞼をこじ開け、スマホの画面を見た。午前六時半。
全身が鉛のように重い。特に背中と太ももが悲鳴を上げている。
昨夜、深夜二時に緊急招集がかかり、新型の槍『天穿』のテストも兼ねて音速機動をしたせいだ。
G(重力加速度)の負担は、魔法の防護服でも完全には殺しきれない。
『おはよう、藍。心拍数が低いよ。早く起きないと遅刻する』
脳内に直接、相棒の妖精の声が響く。
「……分かってるよ、シエル。……あと五分」
私はベッドから這い出し、洗面所の鏡を見た。
そこには、ボサボサの髪に、目の下にクマを作った、冴えない女子高生の顔があった。
数時間前まで、青いドレスアーマーを纏い、超音速で空を翔けていた「Sランク魔法少女」の面影はどこにもない。
魔法少女の契約には、『認識阻害』の魔法が含まれている。
変身中の私は、大人っぽく、凛々しく見えるらしい。
たとえ家族や友人がテレビでラピス・ナイトを見ても、「なんか雰囲気似てるけど、まさかね」と脳が勝手に処理してくれる。
便利な機能だけど、時々、少し寂しくなる。
◇ ◇ ◇
午前十時。高校の教室。
二限目の数学の時間。私はシャーペンを握ったまま、意識を飛ばしかけていた。
窓の外は快晴。平和だ。
「ねえねえ、昨日のニュース見た? ラピス・ナイト、また凄かったよね!」
「見た見た! あの青い槍、新型かな? 一撃で怪獣吹き飛ばしてたじゃん!」
休み時間、前の席の女子たちが盛り上がっている。
「やっぱSランクは違うよねー。カッコいいなぁ、憧れるわー」
私は机に突っ伏したまま、心の中で苦笑した。
(……そのSランク様は今、二次関数の課題が終わらなくて絶望してるんだけどね)
平和な昼間でも、油断はできない。
『藍。警戒レベル3の反応。距離五キロ』
シエルの警告が脳裏に走る。
私はガバッと顔を上げた。
「……先生! 保健室行ってきます! ちょっと貧血で!」
「おい蒼井、またか? 大丈夫か?」
「はい、ちょっと休めば治ります!」
私は嘘をついて教室を飛び出した。
屋上の給水塔の裏で変身し、音速で現場へ急行。
十分で怪獣を処理し、変身を解いて、何食わぬ顔で保健室から教室に戻る。
これが私の「日常」だ。
◇ ◇ ◇
午後七時。自宅。
私はヘトヘトになって帰宅した。
「ただいま……」
「おかえり、藍。早かったわね」
キッチンからお母さんの声。リビングではお父さんが新聞を読んでいる。
ごく普通の、一般家庭の夕食風景。
食卓には、ハンバーグとポテトサラダ、そして具沢山の味噌汁が並んでいた。
「いただきまーす」
私は箸を伸ばした。
……屋台のカツ丼も最高だけど、家の味はやっぱり落ち着く。
テレビのニュースが流れる。
『速報です。本日午後、〇〇区に怪獣が出現しましたが、ラピス・ナイトの迅速な対応により――』
画面には、青い光を纏って空を飛ぶ私が映っていた。
お父さんが、チラリと私を見た。
そして、何も言わずに自分のハンバーグを半分に切って、私の皿に乗せた。
「……食べなさい。育ち盛りなんだから」
「え? いいよ、お父さんだって仕事疲れてるでしょ」
「いいんだ。お前の方が……『部活』、大変なんだろう?」
お父さんは、少しぎこちなくそう言った。
私は帰宅部だ。
でも、両親には「放課後はボランティア活動みたいなことをしている」としか言っていない。
深夜に抜け出すこともしばしばある。
普通なら、不良になったと疑われても仕方がない。
でも、二人は何も聞かない。
「そうよ、藍」
お母さんが、味噌汁のおかわりをよそってくれた。
「最近、ニュースでラピスちゃんを見ると、なんだかハラハラしちゃうのよね。……あの子、ちゃんと寝てるのかしらって」
お母さんは、私の目の下のクマを優しく撫でた。
「……怪我しないといいけど。あの子のお母さんも、きっと心配してるわよ」
心臓がトクンと跳ねた。
気づいている。間違いなく。
でも、決して「あなたがそうなんでしょ?」とは言わない。
それを言葉にしてしまえば、私が戦場に行くのを止めなきゃいけなくなるから。
あるいは、止めても私が行くことを知っているから。
「……大丈夫だよ、お母さん」
私はテレビの中の自分を見ずに、ハンバーグを頬張った。
「ラピス・ナイトは強いもん。それに……美味しいご飯を食べてるはずだから」
「……そう。なら、いいんだけど」
お母さんは、少しだけ寂しそうに、でも誇らしげに笑った。
『藍。感知した。湾岸エリア、大型反応』
シエルの無慈悲な声。
私は箸を置いた。まだ半分も残っているのに。
「……ごめん。ちょっと、コンビニ行ってくる。ノート買い忘れてて」
バレバレの嘘。
でも、二人は止めなかった。
「……行ってらっしゃい」
お父さんが言った。
「気をつけてな。……暗いから」
「ちゃんと、傘持っていきなさいよ。雨が降るかもしれないから」
お母さんが玄関で渡してくれたのは、折りたたみ傘ではなく、頑丈な長い傘だった。
まるで、身を守る武器を持たせるように。
「……うん。行ってきます」
私は傘を受け取り、家を出た。
夜の風が冷たい。
路地裏に入り、私は強く地面を蹴った。
「変身!」
光に包まれ、私は「蒼井 藍」から「ラピス・ナイト」になる。
日常を置いて、戦場へ。
でも、怖くはない。
帰れば温かいご飯がある。
そして、深夜になれば、あの温かい屋台の灯りも待っている。
私は槍を構え、夜空へと舞い上がった。
行ってきます。
この街の、私の大切な日常を守るために。




