規格外の黒猫と、激辛麻婆麺
午前四時。空が白み始める前の、夜が最も深く淀む時間帯。
俺は寸胴の火を落とし、本日最後の客を待っていた。
いや、待っていたというよりは、来るべきものが来た、という感覚だった。
音もなく、そいつは現れた。
暖簾が揺れた気配に顔を上げると、カウンターの隅に、いつの間にか影が座っていた。
「……いらっしゃい」
俺の声に、影はピクリとも反応しない。
全身黒ずくめだ。黒いパーカーのフードを目深にかぶり、黒いカーゴパンツ、黒いブーツ。背中には、これまた黒い布で包まれた何かが背負われている。
魔法少女、なのだろうか。フリルも、リボンも、きらびやかな装飾は一切ない。だが、漂う空気はカタギのそれではない。もっと鋭利で、危険な匂いがする。
「……注文は」
俺が尋ねると、フードの奥から、低く嗄れた声が返ってきた。
「……辛いもの。一番、辛いやつ」
「ラーメンか? それとも……」
「何でもいい。とにかく辛くして。……舌が麻痺するくらい」
自暴自棄とも取れるオーダー。俺は少し考え、冷蔵庫からある瓶を取り出した。
自家製の激辛ラー油。それに、ハバネロとジョロキアを粉末にした特製スパイスだ。
中華鍋でひき肉と豆板醤を炒め、鶏ガラスープを注ぐ。豆腐を投入し、最後に片栗粉でとろみをつける。そして、仕上げにラー油とスパイスをこれでもかと投入した。
鍋から立ち上る湯気だけで、目が痛くなる。
「裏メニュー、激辛麻婆麺だ。……残しても知らねえぞ」
真っ赤に染まったドンブリを出すと、影は微かに頷き、割り箸を手に取った。
ズルッ
彼女はためらいなく麺を啜った。咳き込むこともなく、顔色一つ変えずに、黙々と赤いスープを胃袋に流し込んでいく。
ただ、箸を持つ手が、時折ピリピリと痙攣しているのが見て取れた。
俺は洗い物をしながら、彼女の背中にある「荷物」に視線を向けた。
布の隙間から、金属パーツの一部が覗いている。
(……あれは、大和重工の試作型ジェネレーター『雷電』の排気口か? 五年前、出力が安定せずに開発中止になった欠陥品だ)
視線を下に移す。ブーツの踵から伸びるワイヤーは、ミツビシの旧式ジャンプユニットの残骸。腰のベルトに装着されたポーチは、六角重機の廃棄品払い下げだろう。
統一感ゼロ。各メーカーの試作品、廃棄品、ジャンクパーツが、無理やり針金とガムテープで繋ぎ合わされている。まるでフランケンシュタインの怪物だ。
「……おい、お前」
俺が声をかけると、彼女は箸を止めた。
「その背中のジェネレーター。冷却液が漏れてるぞ。そのままだと爆発する」
彼女はゆっくりと顔を上げた。フードの隙間から、ギラギラとした瞳が俺を射抜く。
「……あんた、何者?」
「ただのラーメン屋だ。だが、元は防具屋の人間だ」
俺はふきんで手を拭き、カウンター越しに身を乗り出した。
「お前、どこの所属だ? 事務所は? 妖精は?」
彼女は鼻で笑った。
「事務所? 妖精? ……そんなもの、いないわよ」
彼女は布を荒々しく剥ぎ取った。
現れたのは、鈍く光る巨大な鉈のような武器と、それを駆動させるための歪なジェネレーターだった。
「私は『適正なし(エラー)』だってさ。妖精に見向きもされなかった落ちこぼれ。……だけど、力は手に入れた。ゴミ捨て場から拾ってきた、こいつらのおかげでね」
彼女は規格外の存在だった。
妖精との契約を経ず、廃棄された魔導兵器を自力で修理し、体に接続して戦う「野良」の魔法少女。
その体は、正規の契約者が持つ魔力防壁で守られていない。ジェネレーターの熱と、魔力汚染を生身で受け止めている状態だ。
「……だから、辛いものが必要なのか」
俺は納得した。舌を麻痺させなければ、体の痛みに耐えられないのだ。
ジェネレーターから、シュウシュウと白い煙が漏れ始めていた。限界が近い。
俺は厨房から出て、彼女の背後に回った。
「……触るな」
「死にたくなきゃ、じっとしてろ」
俺は工具箱から絶縁グローブと、特殊なシーリング材を取り出した。
「『雷電』の冷却パイプは、熱膨張で継ぎ目が緩みやすいんだ。……ったく、こんな危険なモンを背負って走り回るとは」
俺は漏れている箇所にシーリング材を充填し、緩んでいたボルトを増し締めした。さらに、不安定な魔力供給ラインに、手持ちの抵抗器を噛ませてバイパスを作る。
あくまで応急処置だ。だが、これで数日は持つだろう。
「……終わったぞ。だが、早めにまともな整備士に見せろ」
俺が工具を片付けている間に、彼女は残りの麻婆麺を平らげていた。
真っ赤なスープが、一滴残らず消えている。
彼女は立ち上がり、背中の装備の感触を確かめるように体を捻った。
煙は止まっている。駆動音も、先ほどよりは安定していた。
「……お代」
彼女はポケットから、くしゃくしゃの紙幣を数枚、カウンターに叩きつけた。
「釣りはいらない。……余計なこと、しやがって」
悪態をつきながらも、その声には、入店時のような殺気はなかった。
彼女はフードを目深にかぶり直し、出口へと向かう。
だが、暖簾をくぐる直前、一度だけ足を止めた。
「……あのラーメン。不味くはなかった」
それだけ言い捨てて、彼女は夜明け前の闇に溶けていった。
「……不味くはない、か」
俺は苦笑いしながら、カウンターの上の金を集めた。
正規の魔法少女たちが光り輝く表舞台。その裏側には、ああやって光を浴びる資格すら与えられず、それでも泥にまみれて戦う連中がいる。
企業の論理からも、妖精のご都合主義からも外れた、規格外の存在たち。
俺は空になった真っ赤なドンブリを洗剤の泡に沈めた。
東の空が、白々と明け始めていた。
「……さて、店じまいだ」
今日の売上は、まあまあだ。
俺は屋台の提灯を消した。
都市の喧騒が始まる前に、少しだけ眠ることにしよう。
今夜もまた、腹を空かせた誰かが、この止まり木に羽を休めに来るだろうから。




