人生こんなところで終わらせてたまるか!第10話
あたし佐伯美保子は28歳、アラサーまっただ中。某都市銀行の地方支店で働くOLである。身長180センチ、元レスリング部、よく街で男の子に間違われる。
5年越しのお付き合いの末、婚約者の齋藤丈治に別れを告げ、婚活を始めたあたし。
ネットの出会いサイトを誤って出会ってしまったゲイのおっさん権藤さんに紹介してもらった結婚紹介所の社長さんが、なんとあたしの小学生の時の初恋の人!その初恋の人となんかいいムード。と思ったら、今度は社内で気になる年上の課長があたしに個人的にお誘いを……。かと思ったら、京子のことかよ! ……え?融資担当?それって、本社組の仕事じゃ?
どうなるあたしの恋路!?
ドキドキ婚活ストーリー!
「確かに、融資担当は本社組がメインではあるが、地方採用が就くことができないという訳ではないからな」
纐纈課長はそう言った。
「実際私が前にいた支店には地方採用の担当もいたぞ。
…それより、あれか、佐伯は転勤はイヤか?」
転勤はイヤという訳ではなかった。両親も健在だし、婚約破棄とかもあって、特に住む場所にこだわっている訳ではなかった。
「いえ、そういうことはないですけど…。というか、本社採用枠に応募しろってことですか?」
本社採用と地方採用ではかなり身分が違う。給料体型もまるっきり違うし、待遇も違う。もちろん転勤も発生するが、それ以上にキャリアアップの段階が大きく異なる。あたしそういう世界とは全く関係なく生きていくものだと思っていたので、全くの考えの外だっただけだ。
「そうだ。佐伯ならやれると俺は思った。どうだ、チャレンジしてみないか?」
「いえ、あの…期待していただいたのはとっても嬉しいのですが、あたしにはそんな実力はないと思うのですが」
「それは俺が推す。後は簡単な試験だけパスすればいい」
纐纈課長は熱が入ってくると、一人称が変化する。こういうところはかわいいと思う。
「けど、課長待って下さい。簡単なと仰いますけど、あれ、かなり難しいって聞きますよ」
あたしの頭でついていけるものなのか、かなり怪しい。
「あれな、コツがあってな。四則計算さえちゃんとできるヤツなら、そのコツさえ掴めば簡単に受かるんだ。それは俺が教えてやる」
頭のいい人はそう簡単に仰いますけど。
あたしは少し悩んだ。けれど、持ち前の積極性がむくりと頭をもたげた。
「課長がそう仰るなら、わたし頑張ってみます」
「よし、よく言った。それでこそ、佐伯だ」
課長はそう言って、あたしの頭を撫で撫でして褒めてくれた。こんな歳で頭を撫でられるなんて、なんだか照れくさかった。
「それでな、ここで実績を上げて、一緒に本社に行けるといいな」
課長は上機嫌な風に、囁くようにそう言った。
「あはは。そうですね、そうなると良いですね」
あたしは、話を合わせてみた。実際のところ、そんなことほとんど可能性はないのはあたしでさえ知っている。喩え本社採用枠に受かったとしても、本社転勤など夢のまた夢なのだということくらい。
「課長は、いつ頃本社に戻ることになりそうなんですか?」
あたしは、ついそう聞いてしまった。
「そうだな、こっちに来てまだ1年か。まだ2年くらいはあるだろうな」
「奥様も大変ですね。ご家族もこちらなんですか?それとも、単身赴任でしたっけ?」
あたしはケンのつくってくれた、ノンアルコールカクテルをマドラーでかき混ぜながら、なんとなく聞いてみた。さすがケン。空気読んでる。
課長はすでに2杯目を空けようとして、
「いや。実は別れた」
と、短く言ってから、杯を呷った。店内の照明に照らされて、ほんのりと顎の髭が目に付いた。年相応の経験をしてきたのだろう、喉に見える軽い皺が、やたらと男っぽさを強調しているかのようにあたしには見えた。
「あ。そ、それは失礼しました」
しまった! あたしは地雷を踏んでしまったかと、軽口を後悔した。
ところが、
「いや、気にするな。もう済んでしまったことだしな。子供はいなかったんだ。だから、早かった。間違ったのは妻ではなく、俺の方だったんだ。まあ、いろいろあってな。
マスター、おかわり」
課長は3杯目を注文した。
「そう言えば、佐伯、婚約破棄されたんだって?部長から聞いた」
珍しく今日は色々プライベートな話になっている。普段の課長であれば、その手の話には消極的なはずなのに。お酒のせい?それとも、離婚のせい?
「部長もお喋りなんだから…」
婚約した後、両親への挨拶を終えた後、一応形式として部長には話を通しておいたのだ。なので、破棄の報告もしておかなければならないなと思い、つい先日部長には内密にと念を押して報告しておいたのだけれど、もう話が漏れていたとは。あのハゲ部長め。
「こんないい女振るなんて、最低の男だな」
「あたしは、そんな、いい女じゃありませんよ」
一応、謙遜しておいた。いい女と言われて、嬉しくならない女はいないけど。
「…まあ、離婚したばかりの俺は人のこと言えた義理じゃないよな」
ははは、と課長は笑った。若干自虐っぽい笑いでもあった。
それから、課長とはとりとめのない話で始終した。離婚のショックからなんとか乗り越えようとしていたのかも知れない。空元気な感じも見受けられた。ただ、最後まで上機嫌でいてもらえたのは幸いだった。
翌日。
あたしは店舗裏に呼び出された。呼び出したのは清井女史。あたしより6つ年上の、当支店のお局様である。特に若い子への態度が厳しいため、若い職員の間では、「清井ババァ」と呼ばれている。あたしは陰口が嫌いなので、そんな言い方はしない。あたしは彼女に特に好かれているわけでもないけれど、嫌われてもいない、普段はそれほど軋轢もなく、うまくやってきたと思っている。
「清井さん、どうされました?」
新入社員が「清井ババァ」に裏に呼ばれて、口でボコボコにされた噂は何度か聞いたことがあるが、あたしが呼ばれたのはこれが初めてだった。あたしも入社したばかりの頃は随分みんなの前で叱咤された記憶もあったが、裏口に呼ばれるほどのことはなかったし、最近では担当部署が違うので、絡むようなことも少なかった。なので、今日もまさかあたしに何か文句があるとかは思ってもみなかった。
「どうしたって?自分の胸に手を当ててごらん!?ちょっと、あんた本当に偉そうね。人を見下す目はなに?」
それは、身長差の問題で、あたしはけっして見下すような態度はとったことはありませんが。
「あ、いえ、あたしにはなんのことかさっぱり?」
一応、猫背になって、目線は下げられるようにしてみた。
「まったく。あんた、課長に色目つかったでしょ?知ってるのよ、昨日課長と一緒にどこかに行ったでしょ?」
「あ、ああ。そのことですか。いや、確かに行きましたけど、あの後は、ちょっとお話しただけですよ」
ああ、そういうことか。ようやく話の焦点が見えた。
「課長が離婚した途端に、そうやって誘惑しようっての? あんたも、婚約破棄されたばっかりでしょうに?」
あの、ハゲ部長め。どこまで話したんだ?
「え、課長、離婚されたんですか?」
あたしはシラを切った。
「あんた、それ知ってて、課長誘ったんでしょ?」
「いえ、それは知りませんでした。それに、昨日は課長から呼ばれて一緒に出ただけで」
「嘘おっしゃい!課長があんたに何の用事で呼ぶなんてこと?」
「じゃあ、あの…ここだけの話にしてもらえます?」
そこまで言うなら、ぶっちゃけちゃっていいかと思い、わざと小声で囁いた。
「え…。ま、まあいいわよ。私は口が固いから」
清井さんは少し躊躇した面持ちをしてから、そう言った。自称「口が固い」人が固かった試しはないだけれど。
「実は、小林さんがここのお客さんにストーキングされてるって噂を耳にして、本人に注意するようにって、そう忠告されたんです」
京子ごめん、あたしは友達を売った。
「え?そうなの?あたしも知らないわ、そんな話」
お局様、どんだけ情報通のつもりなんですか。
「ええ、本当らしいです。あたしも初めて聞いた話なんですけど。今朝本人にも伝えました。本人も気がついてなかったみたいです。気をつけるって言ってました」
「ああ…そうなの。そうね、課長は課員のことについてはすごく親身になって考えてくれる方ですからね。そう、小林さんも気をつけなきゃね。あなたも、ちゃんと小林さんのボディガードしてあげてね」
あたしは京子のボディガードですか。あたしの頭の中で芝が生えた。
「わかりました。…えっとお話はこれだけですか?」
「え…ええ、そうね、もう良いわ。今の話はここだけの話にしてあげる」
「はい、よろしくお願いします。あたしは持ち場に戻りますね」
きっと今日の昼食の話題のネタは京子一色だろう。あたしは清井さんに一礼すると、店の中に戻った。
店の中では京子が心配そうな様子であたしに目線を送ってきた。清井さんに呼び出されたのを誰かに聞いたのだろう。あたしは、安心してという意味で、笑顔で京子に目線を返した。彼女も少しそれで安心したかのようだった。
しかし、今日の午後には京子があたしに抗議してくるであろうことは、安易に予想できたのだが。




