9.佐々木……
雀の家を想像しやすい例えで言うと、時代劇での大名屋敷だ。
入り口は木製の巨大な門で、その横に人が入るサイズの入り口があり、中に入れば門から玄関までの石畳とあと二三軒家が立つのではないだろうかと思えるほど広大な庭が広がっている。
その先には二階建ての純和風な家が建っている。
もしもここは高級旅館ですと言われれば信じてしまえるほどだ。
それほどの面積を有する佐々木邸なので、もちろんヘリが降りるには十分な面積がある。清秋達は学校の敷地から一歩も地面を踏まずに移動することができた。
「いったいどうなってるんだ」
そんなお屋敷に圧倒されながら、言われるがままついてきた清秋は現在二階の一室にいる。
部屋にはこれといって家具も置いておらず、テーブルと座布団だけなところを見ると誰も使っていない空き部屋なのだろう。そんな部屋で清秋達二人はいかにも高級そうな一枚板のテーブルをはさんで向かい合わせに正座している。
着いて早々この部屋に通された清秋なのでもちろん全く意味がわからない状態である。雀は湯呑を口元から離して
「どうなっていると言うと?」
「どうしてこんなでかい家に連れてこられたんだ」
「私たちは狙われている可能性があり、万が一襲撃されたとしても安全な場所は私の家だと判断したからです」
再度補足文をいれて聞き直す清秋に対してあらかじめ考えていたのではないかというほど無駄のない返答をする。
しかし今のセリフには清秋にとって理解できない事が多すぎる。まず一つは
「清水出魅が狙われてるから俺たちは安全なんじゃないのか?」
「それは私の推測にすぎません」
一言で一蹴される。
「あくまで推測。あの場所で一番考えられるのはその可能性が一番大きいというだけです。私たちが狙われている可能性もありうる話です。……もはや私たちも人間ではないのですから」。
確かに自分達が狙われている可能性もある。その理由はあとで詰めていくとして、清秋は次に気になった事を質問する。
「雀の家が安全っていうのは?」
見たところ高い城壁や巨大な堀が張り巡らされている訳でもない。警備員が立っている訳でもないようだ。
「ええ、もちろん通常時はただの家です。強力な結界師がいるわけでもないので先ほどの様な魔力による襲撃には耐えられないでしょうね」
でも、と
「今のような緊急時には清水家からのバックアップが入りますから心配はいりません。現在は空中から地中まで結界で覆われています」
「清水家っていうのは出魅の家の事か?」
雀はコクリと頷き
「佐々木家と清水家は昔より協力関係を結んでいます。両家共に昔ながらの魔力を持つ家系ですが、その性質は大きく違っているんです。佐々木家は主に個々の能力が高く一対一、もしくは一対少数の戦闘には向いています。ただし広範囲を全面的にカバーするような能力を持つものはいない」
一方で、と
「清水家は個々が魔力は飛び抜けているわけではありません。だから少数の戦闘ではどうしても不利になります。しかしそれ故に魔力の研究に特化し、今のような広範囲における結界や魔力を使った武器など、効率的な魔法式を作ることに長けています。簡単に言えば佐々木家はアスリート、清水家は研究者だと思っていただければ結構です」
「つまり両家は互いの欠点を補いあっているって事か」
「ええ、清水家が持つ開発力を手に入れようとする者はたくさんいます。だから清水家の人間の護衛として佐々木家の人間が充てられる。そしてそういった協力関係にあることから佐々木家を叩く者も多い。そんな時は清水家よりバックアップが入る」
だから雀は出魅に秘書のようについているのか。と清秋は納得する。
「でも出魅部長って護衛なんか必要ないんじゃないのか?」
「あの人は特別ですね。出魅の状態の時は吸血鬼の能力があるからあれだけ自由にできるんです。ふつうの清水家の人間は佐々木家の人間がぴったり警護しています」
少し不満気な顔をしながら雀は言う。
清水家の人間を守るという自家の伝統を自分はできない。それに対する不満。彼女も自分の家に誇りを持っているのだろう。
「まあ、私自身が戦闘向きではないのでちょうどいいともいえるんですけど。もし出魅部長がいなかったら私は清水家の護衛なんてできませんから」
遠いところを見るような、寂しそうな表情をちらつかせる。何か思うところがあるのだろうか。
気づかない内にあまりよくない事を思い出させたのだろうか。清秋はどうフォローしようかと声をかけあぐねていると、雀はそんな清秋の視線に気づいたのか
「も、もう質問はありませんね。ではお風呂にでも入ってきてください」
表情を悟られまいとしたのか強引な話の方向転換をする。
清秋もそこでわざわざ追求するほど鈍感ではない。聞かれたく無いことなら聞くまいと清秋は彼女にあわせる事にする。
「いやいや、家に突然おじゃまして風呂とか。親御さんに挨拶とかしないと」
ついでに言うと風呂より先に夕食をとるのが先ではないだろうかとも思ったが、そんな厚かましい事もいえない。この家では風呂、食事の順番なのだろう。
「確かにそういう礼儀正しいところは好印象です。でも残念ながら両親は家にいないので」
つまり現在この家には自分と雀の二人きり。どんなラブコメ展開だと、内心でテンションがあがるが
「使用人がいるだけですのであまり気にせずにくつろいでください」
残念ながらそういうわくわく展開にはならないようだ。
「というか家族は家にいないのか?」
「はい、先ほども言ったように現在は非常事態ですから両親は清水家の警護に行っています」
雀はいいのか。
という質問は無粋だろう。先ほど彼女は戦闘に向かないという話を聞いたばかりだ。
それに今は夜。清水出魅、吸血鬼の能力が最大限に発揮できるのだからわざわざ護衛などつける方が足手まといになる。
「そんなわけなのでどうぞ気にせずに。お風呂は部屋を出て右手突き当たりの階段を降りたところです」
そういうと部屋から廊下に出される。
一日ぐらい風呂に入らなくてもいいのだが、その辺女性は気になるのだろう。仕方なく彼女に従う事にした。
それにしても
「(突き当たりって結構遠いな)」
遙か彼方、とは言わないが廊下の突き当たりは数メートル先にある。
こうして見ると本当に旅館のようだ。
廊下を挟んで部屋の反対側は雨戸が閉まっているがガラスの窓で、入ってきた時に見たこの家の構造から察するに中庭が見えるのだろう。
階段まで向かうまでにも部屋の入り口が多数見える。
ただ、廊下に面した入り口が大きな障子張りなのが宿泊施設とは違っている。他の部屋との境界を曖昧にした一般的な日本家屋だ。
どうやら本当に誰もいないらしく、どの部屋も明かりがついていない。
使用人とやらは食事でも作っているのだろうか。この家に入ってから雀以外で会った人物と言えばヘリの操縦者だけで、彼も自分たちを降ろすとそのまま飛び去ってしまった。
そんな事を考えながら僅かに軋む階段を下りると、再び長い廊下がある。
突き当たりに他の扉とは少し違った引き戸がある。障子やガラス張りでなく、全てが木で作られており、他の扉よりかはすこし頑丈そうだ。
恐らくこれが風呂なのだろう。丁寧にのれんが掛けられている。これが銭湯や温泉なら男湯、女湯とかかれているのだろうが、もちろん一般家庭の風呂が二つあるはずもない。
というか一般家庭の風呂にはのれんは掛かっていないし、この家が一般的だと行ってしまっては日本の家はほとんど一般的ではなくなってしまう。
近くまできてみると、そののれんにはもじがかかれている。もちろん性別を表す文字ではない。
百舌鳥
はて、なんと読むのだったか。知っているのだがすぐには思いつかない。単語の最後に鳥がついているし、鳥の名前だったのは間違いないのだが。
思考がその漢字の読みに行ってしまい、清秋はもっと重要なことを忘れていた。
その文字はなんのためにかかれているのか。ということを考える前に引き戸をあける。
そしてそこで清秋の脳は停止した。
「なんで?」
思わず声が出る。
目の前には佐々木雀の姿があった。
先ほどまで二階で会話をしていた相手がなぜ再び目の前にいるのか。
しかも服を着ていない。
今し方湯から上がったところなのか、その水分を纏った色白の肌は艶やかに光っている。
彼女は彼女で目の前の人物自体誰であるか理解できていないようだ。
風呂に行けといったのは雀本人ではないか。まさか自分が言った事を忘れて風呂に入ったわけではあるまい。
というかそれ以前に僅かな時間で清秋より早く風呂場に行く事は不可能だし、万が一できたとしても今現在風呂上りという事は時間を飛び越えでもしない限り不可能だ。
と、
「百舌鳥!」
清秋の後ろから叫び声があがる。
そうだ、あの漢字はもずと読むのだったと軽い現実逃避をしてながら振り返るとそこには佐々木雀の姿があった。
もちろん服は着ている。
全く矛盾のない彼女の姿に少し安心するが、再び振り返れば矛盾だらけの現実があることを再認識する。
前方には佐々木雀、後方にも佐々木雀。合わせ鏡の間に入ったような感覚に陥り完全に混乱する清秋だが、そのフリーズする頭は
「とりあえず寝てください!」
さらに気が動転した雀(着衣)によって強制シャットダウンさせられた。
「で、なんで俺は気絶させられたんだ」
雀によって失神させられた清秋はすぐに目を覚ました。そのころには雀も落ち着いており、一言謝罪の後に一通り説明すると言う。ちなみにそのころには雀のそっくりさんはいなくなっていた。
「それが一番最善の方法でした」
現在清秋達は冷房のがんがんに効かせた部屋にいた。正確に言うと15度に設定されたその部屋は、佐々木家の地下二階に位置する。
学校の体育館程あるその部屋は、地下室というよりは地下スペースと言った方が良い広さをがある。しかしその面積の割には明りはほとんどなく。壁一面から放たれる青白い光だけが部屋を満たしている。
「それにしても寒いな」
今はまだ五月の末。ここまでエアコンを効かせなくてもいいだろう。
「寒いならこれを着てください」
小振りのブランケットを雀はとりだす。差し出されたそれを遠慮なく受け取り肩にかける。
あらかじめ用意されているあたり、恐らくこの部屋は年中これぐらいの温度に設定されているのだろう。
原因はおそらく
「この光ってるのは全部コンピューターか?」
壁一面からの光はコンピューターとディスプレイのによるものだ。前後左右だけでなく天井からも放たれるその光は、寒さも相まってまるで宇宙に放り込まれたような気持ちにさえさせる。
これだけのコンピューターだ。放つ熱量も膨大な量になるだろう。その熱によって電子回路が焼き切れてしまわないようにするための冷房だ。
「こんな寒い部屋で何の話をするんだ。説明ならさっきの部屋で十分だろ」
「いえ、ここじゃないとだめなんです」
振り返らずに雀は言う。
そしてしばらく何も言わずに進むと、
「この子、佐々木百舌鳥はこの部屋でないと生きていけないので」
彼女の立ち止まった先は一際大量にディスプレイが敷き詰められた壁の前。手前には広い机と、キーボードが数個並んでいる。おそらくそこが彼女、佐々木百舌鳥と呼ばれた少女の作業場なのだろう。
手前に置かれた回転いすがこちらを向き、この部屋の住人が顔を表す。
それは先ほど風呂場で見たいのと同様、雀と全く同じ顔の少女だった。