4.お見舞い
時刻は午後八時。清水出美、いや清水出魅は白いベッドの上でに上半身を起こして白い壁にもたれている。
とうに日の落ちたこの時間に部屋の明かりを点けないのはあらゆるものが白で塗り固められたこの部屋にできるだけ黒を作るためだ。
白は嫌いだ。
自分が吸血鬼だからという事も影響しているのかもしれない。まるでいらないものを全て取り払ってしまったようなその色は出魅にとって気味の悪さを感じさせる。
この部屋に居続ければ、いつかは自分自身も白に塗りつぶされて、なかったものにされてしまうのではないか。
「ならば先にこの部屋ごと病院を破壊してしまうか」
「何を言ってるんじゃ貴様は。感傷に浸っているかと思えば突然物騒な事を言い出しおって。貴様が暴れればこの世界ごと白紙に戻されるではないか」
部屋の入り口から突然声が響く。
「なんだ葛の葉か。さっさと帰ってくれたまえ。君のその白い髪はすごく不快だ」
病室のドアから現れたのは銀髪をもった出魅の旧友であり悪友、白狐の葛の葉だ。
年齢的には出魅よりはるかに年上であるのだが、転生の都合上現在は出魅より一つ年下だ。
「せっかく妾が見舞いに来てやったというのにひどい奴じゃの。それにこの髪はお主の嫌いな白ではなくて銀じゃ。白狐白狐と言われるがより正確に言うならば銀狐が正しい」
「どちらでも構わないが私は白やら銀やらが嫌いなのだよ。眼に優しくない」
もちろん黄色も嫌いだ、と言って窓の方を見る。
それに対して葛の葉はため息をつく。
「まあいいさ。ところでお主は気付いて……気付かれておるようじゃの」
「さて、何の事だか」
「はん、言いよる。お主のような童の考える事などお見通しじゃよ。もちろん妾の体に血液をのこしておるのもな」
出魅は黙る。
その沈黙が葛の葉が言った言葉が真であった事を表している。
この者自身、騙すのが得意分野であるからだろう。目の前の白狐には嘘や隠し事が通じた事がない。
「で、それが君にどういう関係があるんだい?」
開き直ったように挑戦的な笑みを浮かべる。
「何もせんよ。お主が何を考えていようと、誰を殺そうと生かそうと、食おうと飲もうとも妾は干渉せんよ」
ただ、と廊下の方へ足を向けて言い残すように
「あまり人間を甘く見るのもようないかもしれんの。特にお主は見えない者にはめっぽう弱いんじゃから」
そう言うと銀色の髪は闇の中にとけ込んでいった。
「ふふ、自分も気をつけた方がいいと思うがな」
ぼそりと呟いたその言葉が葛の葉の耳に届いたかどうかはわからないが、あの白狐には言葉で言わずともわかっている事だろう。
なにやらぼそぼそと独り言のような声が聞こえる。
すっかり遅くなってしまったがこれぐらいの時間の方が彼女にとっても都合が良いだろう。
それにしても夜の病院というのは君が悪い。廊下は蛍光灯で照らされて明るいといっても人の気配は全くない。
何ともいえない恐怖感におそわれて清秋は少し小走りになる。
目的の部屋の前までくると扉が半開きになっていた。隙間から中をのぞき込んでみる。
部屋の中は電気を点けていないようで真っ暗だ。自分のいる廊下側から差し込んだ明かりがまっすぐと延びている。
眠ってしまっているのだろうか。いやしかし彼女の活動リズムからするとまだ起きたところだろう。
「何をしているんだい、葛葉清秋君。ドアが開いているのだから入ってくればいいじゃないか」
突然中から声が飛び出して来て清秋はびくりと体を跳ねさせる。
「はっはっは、私が気付かないとでも思ったかい。そうやってドアの前に立たれたら眠ってもいない限り気付くだろう」
見るとドアから差し込んだ光に自分の陰がはっきりと写っていた。
いつまでもその場で突っ立っているわけにもいかないので部屋の中へ入る。
「電気ぐらい点けたら良いじゃないですか」
「おっとストップ。そのスイッチを押すんじゃない」
「まさか蛍光灯で死んでしまうほど吸血鬼もヤワじゃないでしょう」
「それがだめなのだよ。蛍光灯には微量ながら紫外線が含まれているからね。それが入ってくると多少なりとも影響がでる」
真っ暗で表情を伺うことはできないが、恐らく得意げない顔をしているのだろう。何がそんなに得意なのだ。
「で、具体的に言うとどんな影響が?」
「お肌があれるのだよ」
「女子高生か!」
言いながら電気のスイッチを入れる。
ぐああ、とか言いながら両手で眼を覆う吸血鬼は考えてみると女子高生だった。
「とまあ冗談はこれぐらいにしようか。君がわざわざここに来たのは何かあるのだろう」
「別に何もありませんよ。ただのお見舞いです」
「ダウト。お見舞いなら六時をすぎる前、私が出美の時に来るだろう。もしくは君は気の利く奴だから六時前に来て、両者に会うだろう」
「出魅部長だけに会いに来るという可能性はないんですね」
「はは、そりゃあそうだ。君はどちらかというと出美の方に心を開いているようだからね。優先順位といしては出美に会うのが普通だろう」
しばらく沈黙が続く。恐らく出魅は清秋の表情を伺って楽しんでいるのだろうが、彼から彼女がどんな表情をしているのかわからない。
「しかしそうなるとおかしいところがあるね。そうだ、わざわざ私を訪ねるのなら先ほど私が推理したようにあらかじめ六時前にここへ訪れておいて、その後に私と会っていたはずだ」
「ええそうですよ」
清秋はため息をつく。
「もともと僕は六時よりも前、というか学校が終わったらすぐに来ようと思っていたんです。それがあんたが呼んだ家庭教師のおかげでこんな時間になってしまったんですよ」
実際はホームルームが終わってすぐに教室の前で待ち受けていたのは雀だった。
あの人なら大丈夫ですから、という彼女の一言によって有無を言わさず部室に連行された。
「佐々木雀君らしいな。確かにあれぐらいでは私は死なない。今はもう完全に傷は完治してしまったよ」
見てみるかいと言って服を脱ごうとする出魅の申し出を丁重に断る。
彼女の言葉は冗談でもなんでもない。清水出魅という吸血鬼は体の一部が欠損しても瞬時にその体組織を再生する。他の吸血鬼の治癒速度の数十倍に匹敵するその能力を彼女自身は『無欠』と呼んでいる。
「とまあそう言うわけで見舞いの必要はないよ。すでに私は君よりも健康体だろうからね」
「まあお見舞いという目的はなくなりましたね」
清秋が今日のことに対して聞きたいのは出魅も理解しているだろう。
彼女の口元がわずかな光を白く反射する。
「そりゃあそうだろうね。突然学校の中で隣を歩いていたものが撃たれたんだ。気にならない方がおかしい。で、何から聞きたいんだね、葛葉清秋君」
「出美さんの撃たれた理由」
「だろうね。と言っても、清水出美が撃たれた理由は君もわかっているのだろう」
「ええ、そうですね。正確には出魅が撃たれた理由です」
私は呼び捨てなんだねとシニカルな笑みを浮かべる。
「うん、清水出美が撃たれた理由は単純明快。裏の存在である私を殺す為だ。夜に私を狙うよりかは殺しやすいからね。ではそんな無謀なことをする輩はいったい誰なのか。それが君の聞きたいことだと私は思うんだが」
得意げに言う彼女にコクリとうなずく。ほぼ確信である彼女の推測を行程するのにはそれだけで十分だろう。
「さて、私ばかりが推理していてもおもしろくないな。ひとまずここからは君が推理してみたまえ」
「え?」
思いも寄らない変化球に清秋は反射的に声が漏れた。
出魅を殺そうとしているものがいることは出美が撃たれたこと清秋も理解している。
しかしそれ以降、誰がどうしてという事まで推理するにはあまりにも情報が足りないのではないだろうか。ましてや彼女とは数日前に知り合ったばかりで出美、出魅、両者の人間関係など全く知らないのだ。
それに推理自体を清秋に投げてくるということは
「ああ、もちろん私は今回の件について誰が犯人かはすでにわかっているよ。今回の件の5W1Hは完璧に把握している」
「じゃあ……」
「じゃあなぜ犯人を捕まえないかって? そんなの決まっているじゃないか」
一瞬声が途切れる。そして
「おもしろいからだよ」
「!」
言葉の続きは清秋後方から聞こえた。
「驚いたね。驚いただろう。君は後ろから声が聞こえた時点では不足の事態に心拍が上がり精神が揺さぶられた。しかしどうだろう。今はすでに君は何も問題ない。ああ、この清水出魅という女は吸血鬼だから人間では考えられないような身体能力を持っている。だから一瞬にして自分の背後に回る事ができたのだ」
更に言えば
「この会話を聞いているうちに、説明のためにこんな不可解な行動をしたのだと自分を納得させている。ではこれならどうだろうか」
突然清秋の方にずしりと重量がかかる。
出魅が突然抱きついてきたのだ。
「ど、どうしたんですか?」
思いも寄らぬ密着に心拍が一気にあがる。
更に出魅はスタイルも良いし出るところはしっかり出ている。高校生にしては発育は良い方だろう。
つまりそんな彼女が後ろから体を密着さえてきているのだから背中にはそれ相応の圧迫があるわけだ。
「ん? どうしたの、葛葉君?」
「どうしたって聞きたいのはこっちなんで……」
何か違和感がある。
「私嬉しかったんだ、わざわざ葛葉君が私のお見舞い来てくれて」
様子がおかしい。出魅なら「どうしたんだい、葛葉清秋君。突然女性に抱きつかれて思いもよらないハプニングに混乱しているのだろう」とでも言っているだろう。
「出魅、じゃないのか?」
「何言っているの? 私は出美よ。葛葉君の先輩の清水出美」
いや、そんな事はあるはずがない。清水出美という女性は午前と午後の6時に出美、出魅の精神が入れ替わり、さらに夜には吸血鬼になるのだ。今この時間に出美の人格が現れるのはおかしい。
「あなたは重大な前提条件を間違えているわ」
息もかかるほどの近距離で彼女は言う。シャンプーだろうか、甘い香りが清秋の花を刺激する。
「ちょうど六時に人格が入れ替わるなんてそんな都合の良いことがあると思う?」
「でもあんたが……」
「私が言っていたから信じたの? ああ、正確には出魅がね。じゃあ私がこう言ったらどうする? 私、いえ私たちは二重人格なの」
後ろから密着されている上に暗闇で彼女の表情は読みとる事ができない。
「吸血鬼って言うところと夜にしか能力を発動できないっていうのは本当。でも六時を境に人格が入れ替わるというのは嘘よ。考えてもみてよ。生物という自然のものが時間なんていうただ人間が決めたものに忠実に従うわけないでしょう」
艶めかしい手つきで両腕を清秋の体に廻してくる。
「そうそう、私がどうして犯人を知っているのにあなたに探偵役を命じているのかだったわね」
「知っているってのも嘘か?」
「残念、それは本当。撃たれた時はびっくりして気付かなかったけど病院に来てからじっくり考える時間はあったもの。すぐに犯人のあてはついたわ。それをあなたに教えないのは、……まあ私達の趣味みたいなものかな」
「なかなか良い趣味をお持ちで」
清秋は苦笑いをする。
「じゃあ僕が犯人探しのために右往左往するのを見て楽しむというわけか。さすが吸血鬼、人間なのは見た目だけなんだな」
「……」
沈黙。
突然黙り込んでどうしたのだろうか。まさか今の言葉で傷ついたというわけではあるまい。
「ほう、まさかこれほどまで順応性が高いとはね」
気付くと今まで自分の背中に密着していた吸血鬼は白いベッドに戻っていた。
「私が手を廻したところまでは緊張と興奮の混じった不安定な状態に陥っていたのに一瞬にして現状を把握し、平常心を保った。いや、装ったのかな」
意地悪い笑みを見せる彼女は出魅の口調に戻っていた。
「まさか、今のは全部演技だったのか?」
「いいや、今の言葉は本当だ。……と言って君は信じるかな?」
この言葉を信じるとすると出魅は清秋に嘘をついていたことになる。となると彼女の肯定の言葉は信用できない。
しかし信じないとすれば彼女の言葉すべてが疑わしくなってしまう。
「混乱しているようだね、葛葉清秋君。信用というものかくも簡単に崩れさってしまうのだよ。あまりにも理解しがたいものは受け入れてしまうし、もっともな意見で反論されればすぐに瓦解する。そしてこれで君は私の言葉を信じることができなくなってしまったね」
「いったい何がしたいんですか」
「だから趣味だと言っているだろう。とまあ私の言葉が真でも嘘でも君はどちらにしても犯人を捜さなければいけないのだよ」
もしここで断ったとしても断れないだろう。実力行使で言うことを聞かせようとする。
となるとここは素直に従っておく方が両者ともに余計な体力を使わなくていい。
そう判断した清秋はうなだれたように首を縦に振る。
「わかりましたよ。でもヒントぐらいは出してください。流石に何もないところから始めるというのは難しいでしょう」
「ああ、それは重々承知している。犯人探しといっても何ら特別な事をしなくてもいいんだよ」
両手を広げて大げさな仕草で
「葛葉清秋君、君は普通に生活してくれればいい。もはや今回の事件は始まっているのだからオカルト部と関わっていさえすれば犯人は自ずと向こうから来るだろうさ」
シニカルに笑いながらそう言った。