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3R武神訪ねる

すみません、今週中にとか思ってたのに……。

これも全部模試が悪いんや。

私は建物を前に萎縮しておりました。その建物は京都にある総合格闘技の練習場所。言わばジムとでも言いましょうか。とにかく私が来るべき場所でした。総合格闘技の選手として登録した時についでに教えて頂いたのがこの場所です。私がこのトゥルークに入るのに躊躇していたのはどんな人達だろうと不安に思う気持ちでもこれから格闘家としてやっていけるかというような殊勝な気持ちでも有りませんでした。それはあまりにも目の前の建物――トゥルークがボロかったからでした。仮に私の気持ちを言語化するならば、え?ココ?といった所でしょうか。それほどまでに酷かったのです。

まず今の時代でトタンというのはどうなのでしょうか……。紹介されて文句を言うのは筋違いとは思いますが流石にこれはどうかと……。確か京都には景観条例か何か有ったと思うのですが、それが一切機能してないのですかね。全てベーシックな色で塗られては居ますがこれでは冬は寒いでしょう。

初めて見たときは老眼で地図を見間違えたか、と思いましたが何度地図を見直してもここの様です。

ここで何時までも立っているのも迷惑でしょう。場所が合っているかは入れば分かる筈です。


「御免下さい」


呼び鈴らしき物が無かったのでしかたなく私が扉を開けながら入るとそこは受付と警備室が一緒になって横に置かれた玄関のようになっていました。

成る程、会社の様な物ですか。しかし私が気になったのはその受付が無人だったことです。

古びたチラシの裏にご用の方は押して下さいと書かれた物の隣にボタンとスピーカーの様な物がありました。恐らく呼び鈴の代わりなのでしょう。そのボタンを押すと室内に音楽が流れ、暫くしてガチャリと繋がる音がしました。


『新聞なら要りません』


若い女性の声でした。その人は私が何か言う前に機先を制してそう言いました。


「いえ、新聞では無いのですが」


『?返済日はまだ先の筈ですけど』


真っ先に思い付くのが新聞の勧誘と借金の取り立て、ですか。随分と常識外の練習場ですね。


「いえ、事務方から紹介を受けて来たのですが、此処がトゥルークで宜しいので?」


『!もしかして新規の方ですか!?』


スピーカー越しの声は先程まで気怠い感じの声だったのですが、それを吹き飛ばすような元気な声に一瞬で変わりました。


「ええ」


『待って下さい!後1分!いや、30秒で行きます!だから逃げないで!』


そう一方的に告げるとブツッと通信が切れてしまいました。

何故でしょう。今まで逃げる気など毛ほども無かったのですが、急に逃げ出したくなりました。不思議です。

私がぼんやりと40秒ほど待っていると、ドタドタと音がして一人の女性が走り込んで来ました。余程慌てて来たのか息が上がっています。その姿を見るに余程急いで着替えて来て下さったのでしょう。今10時頃ですが眠っていたのかもしれません。慌てて引っ張り出したのか上のジャージは明らかにサイズが合っていませんし、下のジーンズは洗濯したばかりなのか少し濡れているのが生地の色で分かります。ついでに言えば社会の窓も開いて居ました。


「急いで来ていただいたのに大変恐縮なのですが、別に私は急いでいる訳では有りませんので身嗜みは整えてからの方が良いかと……」


私が彼女の腰辺りを指差すと、彼女はその指を追って自らの失態に気付いたのか声を上げました。


「きゃあ!」


慌てて手で腰辺りをおさえた彼女は後ろを向いてジジッとチャックを上げました。

年の頃は背丈から見て15、6の中学生位でしょうか。その割りには行動が慌ただしいので小学生位に見えます。髪が瑠璃色に近いのでそう見えるだけかも知れませんが。


「すいません」


口では謝っていますが内心は違うのでしょう。少し不満気に顔をそっぽに向けていました。これが思春期と言う物でしょうか。私のような死に行く老人には眩しい限りです。もうとっくの昔に無くしてしまった物ですからね。若さとは。


「此方こそ恥ずかしい思いをさせてしまいまことに申し訳御座いません」


ぴったりと足を揃えて傾き40℃程度の軽い謝罪です。金メダル取れなかったことといい、最近は謝ってばかりです。お嬢さんは私が謝ったことに驚いたのか慌てて手を体の前で小さく振りました。


「いえいえ!止めて下さい。急いでたウチが悪いんですから!」


確かに自分よりも歳上の人に謝られるのは迷惑かも知れません。これは悪いことをしてしまいました。口に出すと本末転倒になってしまいますので心の中だけで謝るとしましょう。


「では早速で悪いのですが少し案内して頂けますか?実は昨日の夜から楽しみにしていたのですよ」


――


私の前には練習場が広がっていました。見た目と違って案外広かったのか、リングが2つとサンドバックが7、その他様々な器具が置かれています。トタンは外装だけだったのか、中はちゃんと(打ちっぱなしではあるものの)コンクリートがありました。ただ一つ、そこには誰一人居ない殺風景な景色が広がっていましたが。


「き、今日は休みだから!いつもはもっと沢山居るんだけど」


別に何も言っては居ないのですが。殺風景な練習場に何かを感じたのでしょう。気を遣わせてしまったようで申し訳ないです。


「良い処ですね」


「え?」


「確かに型の古い物しか有りませんが。錆など一切ない位に綺麗に磨かれています。それに使い込まれて居て味を感じさせます。私は頭の固い老人ですからね。新しい物はあまり好かないのですよ」


おや、あそこに有るのはエキスパンダーですか?懐かしいですね。最近すっかり見なくなりました。


「あの、有難う御座います。ウチが掃除してるんですけど、そんなこと言われたことなくて」


「いえいえ。そうですか。貴女が磨いてくれて居たのですか。心の籠っている掃除できっとどの道具も喜んでいると思いますよ」


心の籠った仕事には魂が宿ります。どの道具もいつかどのような形であれお嬢さんに恩返ししてくれるでしょう。少なくとも私はそう信じたいですね。


「そうですか……。そうだと良いですね」


「はい」


お嬢さんは何度か口を開いては閉じ、躊躇った後こう続けました。


「あの、ウチが言うことじゃないんですけど、ここに登録するのは止めた方が良いと思うんです……」


その言葉には強い決意が宿っていました。これもまた若さでしょうか。懐かしい物です。


「何故でしょう?」


しかし、何が駄目だったのでしょう。これでも気に入られるようにしたつもりだったのですが。


「確かに此処は経営が厳しいし、入会金は喉から手が出る位欲しいです。でも、人を騙して此処を続けたくは有りません!お父さんとの約束に嘘はつけないから!だから!例えボクシングコースでも怪我はしますし、定年後の趣味は他で見付けて欲しいんです。良い人みたいだから、あんまり怪我して欲しくなくて……」


「これは、心遣いは嬉しいのですが、一つ勘違いしておいででは?」


私がそう言うとお嬢さんは心底分からないというような顔をしました。


「私が入りたいのはそのボクシングコースでは有りません。一応これでも事務に選手登録した自称格闘家なのですよ」


最初お嬢さんは鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていましたが、数瞬して何か思い当たる節があったのでしょうか。口をワナワナと動かし震える手で私を指差します。


「も、ももも、もしかして、く、くくく、九鬼選手……」


「おや、そう言えば自己紹介はまだでしたかな。これは失敬。私、柔道を少しやっておりました九鬼と申します。以後、宜しければお見知り置きを」


まさか私としたことが自己紹介を忘れるなど……。幾ら雰囲気に呑まれたとは言えこれは人として恥ずべき行為。以後改めねば……。などと私が一人自戒しています横で、先程から絶句していたお嬢さんは遂に決壊してしまいました。


「ええぇぇぇぇぇぇぇぇえええええええ!!!!!!!!!!」


朝の10頃、京都市内にまるで天に突き抜けるような大声が響き渡ったと言います。


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