第44話:二つの飢え
白々と明ける雪原の中、九戸城の中庭に敷かれた薄氷の上で、豊臣秀吉と九戸政実は対峙していた。
周囲の兵らは息を潜め、冷気の底に沈んだ二人の様子をただ見守るしかない。
どちらか一人が動けば、この凍てついた空気が一気に切り裂かれるような緊張感が漂っていた。
「……一人で待っていたのか」
秀吉は黄金の鎧を鳴らしながら、政実の数歩手前で足を止めた。
その唇は寒さと興奮でわずかに震えている。
「大軍を引き連れてくると聞いておったが、残ったのはわずかな亡霊どもか。……おもしろい。天下人とは、かくも孤独なものだったか、太閤殿下」
政実は盃に酒を満たすと、それを自分の口ではなく、ただ雪の上に静かに傾けた。
冷たい酒が白銀の地面に吸い込まれていく。
「何をしておる」
「死出の酒よ。お前も、そしてこの国も、ここで終わりを迎えるためのな」
政実は初めて顔を上げ、秀吉をまっすぐに見据えた。その瞳には恐怖も、怒りすらなかった。あるのは、すべてを焼き尽くした後のような、底知れぬ静けさだけだった。
「お前は天下を獲った。日ノ本のすべてを掌中に収め、神のごとく振る舞った。だが、その胸のうちはどうだ? 満たされたか? それとも、あの泥まみれの貧しかった頃より、さらに深く、暗い飢えに苦しんでいるのではないか?」
秀吉の胸を、電撃のような衝撃が貫いた。
図星だった。聚楽第の豪奢な御殿にいても、何千もの兵を従えていても、心の奥底にある「飢え」は一日たりとも消えたことがなかった。
いや、天下が広くなればなるほど、その飢えは巨大な怪物のように膨れ上がっていたのだ。
「……黙れ」
「図星か。お前も、そしてこのわしも、本質は同じだ。権力が欲しいのではない。富が欲しいのでもない。ただ、この身を焼くような空しさを埋めるために、何かを破壊し、喰らい続けなければ生きていけない化け物だ」
政実はゆっくりと立ち上がった。
その長身から放たれる気迫は、一領主のそれではなく、この冬の荒野そのものが具現化したかのような威圧感を帯びていた。
「ならば、ここで終わらせてやろう。お前のその終わらない飢えを、そして、わしのこの冷え切った退屈を」
政実の手が、腰に差された刀の柄にかけられた。
一瞬にして、空間の温度がさらに数度下がったような錯覚に陥る。
秀吉もまた、自らの腰の太刀に手をかけた。
天下人・豊臣秀吉と、北の鬼・九戸政実。
二人の怪物による、最初で最後の問答の幕が下り、いよいよ牙を剥き出しにする瞬間が訪れようとしていた。




