第36話:黄金の鎧と、静かなる狸
聚楽第の広間。出陣を翌日に控えた秀吉は、一人、かつてないほど絢爛豪華な黄金の鎧を身に纏っていた。
それは戦場を支配する者の威光ではなく、自らの魂を飾るための「死装束」のように見えた。
そこへ、静かに徳川家康が足を踏み入れた。
「秀吉様、出陣の準備、整いました」
家康の低い声が響く。
彼は感情を一切表に出さず、ただ静かに平伏した。秀吉は窓の外を眺めたまま、薄く笑う。
「徳川殿よ。そなたは笑っているな。わしが北の果てで泥にまみれ、あるいはあそこで果てることを、心の中で期待しておるのだろう?」
秀吉の言葉に、家康は微動だにせず答えた。
「天下人が、一領主との私闘に身を投じる。これを天下の安寧のために動いていると信じる者は、一人もございませぬ。……ですが、それが貴方様のお決めになった『天下の筋書き』であるならば、この家康、止める資格もございませぬ」
秀吉は振り返り、家康の肩に手を置いた。その手は驚くほど軽く、そして異常なほど熱かった。
「そなたは狡賢いな、徳川殿。わしが死ねば、お前が次を狙う。わしが勝って帰れば、また震えて平伏する。……それがお前の『筋書き』だろう」
「……その通りにございます」
家康は恐れることなく、秀吉の瞳を直視した。その目には、底知れぬ暗闇と、冷徹な理性が同居していた。
「秀吉様。貴方は、本当に九戸政実という男を討ちたいのですか? それとも、あの地獄という鏡の中で、ご自身の『天下人としての最期』を確認したいだけなのではありませんか?」
秀吉の手が止まった。広間に、鎧の擦れる音だけが乾いた響きを残す。
「家康殿……そなた、分かっているな。わしはもう、天下人という仮面を脱ぎたいのだ。あやつは、わしという人間の、一番醜く、一番純粋な『飢え』を知っている。だから、あやつを殺さねば、わしは一生、自分を飼い殺しにせねばならん」
「ならば、行ってこられるが良いでしょう。殿下が不在の京は、この家康が『守り』ます。殿下の望む結果が、どのようなものであれ」
家康の口元には、かすかな笑みが浮かんでいた。
それは、天下を獲るための準備が、すべて整ったことを確信した男の顔だった。
「……面白い。徳川殿に預けるのは、死ぬほど癪だがな」
秀吉はふっと鼻で笑い、兜を被った。
その顔は、天下を統一した頃の、あの恐ろしいまでの活気を取り戻していた。
「明日、わしは北へ行く。二度と戻らぬかもしれんし、生きて凱旋するかもしれん。だが、どちらにせよ、明日の日ノ本は、わしが一人で塗り替える」
「御武運を、秀吉様」
家康が去った後、秀吉は再び窓の外を見た。
遠く、奥州の空はどんよりと曇っている。
天下人・豊臣秀吉の、最後の巡礼が始まろうとしていた。
それは、一人の人間が神になろうとして砕け散る、あるいは神のまま地獄へ降りるための、静かなる決別だった。




