第34話:揺らぐ忠誠の楔
三成らが聚楽第の一室に封じ込められたという噂は、瞬く間に京の町と豊臣家の重臣たちの間に駆け巡った。
この知らせは、ある者には「衝撃」として、ある者には「好機」として、そして大半の者には「終わりの予兆」として受け止められた。
深夜の京、加藤清正の屋敷。
酒を飲んでいた清正の前に、福島正則が血相を変えて飛び込んできた。
「おい、聞いたか清正! 三成たちが謹慎処分になったぞ! それも、殿下の命に背いて九戸の件で独断専行したのが理由だという!」
清正は盃を置き、険しい顔で正則を睨んだ。
「……三成が? あの堅物の三成が、殿下に背いたというのか? 九戸ごときに、そこまでして?」
「ああ! 如水殿も行長も、吉継までもが一緒だ。あの面子が揃って謹慎とは、豊臣家の頭脳がまるごと消えたに等しい!」
二人の武将の表情には、怒りよりも先に「深い困惑」が浮かんでいた。
彼らにとって、三成たちは政敵であり、煙たい存在だ。
しかし、彼らが「豊臣の要」であることは認めざるを得ない。
その要が、一人の地方領主を巡って主君と袂を分かつなど、あってはならないことだった。
「……秀吉様は、おかしくなられたのか?」
正則が声を潜めて呟いた。
その言葉は、口に出してはならない禁忌だった。
しかし、今の聚楽第の異様な空気は、誰もが肌で感じていた。
一方、別の屋敷では、前田利家が重い溜息をついていた。
五大老の一人として、豊臣家の柱石を自負する彼は、事態の深刻さに頭を抱えていた。
「三成が動くときは、必ず裏に理由がある。それほどまでに、殿下は九戸政実に執着しておられるのか……。いや、あの男は、殿下の魂を食い荒らしているのだ」
利家は、自分の老いた手を見つめた。
彼らが謹慎させられた今、秀吉を止める者は誰もいない。
このままでは、豊臣という巨大な船は、奥州の冷たい海域で座礁する。
「皆、動揺しておるぞ」
側近が静かに報告する。
「三成派の武将たちは憤慨し、反三成派の者たちは殿下の変貌に恐怖を抱いている。このままでは、軍全体の結束が崩れます」
「結束など、とっくに崩れておるわ」
利家は立ち上がり、刀に手をかけた。
「殿下が一人で奥州へ向かうつもりなら、わしが止めねばならん。だが……今の殿下には、もはや『天下』など見えてはおらんのかもしれん」
京の各地で、夜通し武将たちの密談が続いた。
主君を救いたいという想い、自分たちの立場への不安、そして崩れゆく天下への絶望。
聚楽第を包む冷え切った静寂の中で、豊臣政権という巨大な建造物の基礎が、音もなくひび割れていく音が、誰の耳にも響いていた。
誰一人として、九戸という名に呪われている主君を止める術を持たないまま。
ただ、寒々しい夜明けが近づいてくることだけが、彼らの心をいっそう重く沈ませていた。




