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佐藤さわりの霊障事件簿 買収された大学と悪魔ブリル

物語を書くとき、いつも頭を抱えるのが――佐藤さわりは普通の人間だという事実である。

感は鋭い。観察眼もある。行動力もある。

だが、彼女は魔法少女でもなければ、退魔師の家系でもない。

悪魔と契約したわけでもないし、異能の力を授かったわけでもない。

そんな“ただの人間”が、どうやって悪魔や魔女や邪霊と対峙するのか。

ここが、毎回の最大の難問である。

読者の皆さんも、ぜひ一度考えてみてほしい。

もしあなたが佐藤さわりだったら、どうやって悪魔を倒すだろうか。

警察に通報する? 逃げる? それとも、意外な知恵を使う?

このシリーズは、「普通の人間が、普通ではない怪異にどう立ち向かうか」を描く物語だ。

そのギャップこそが、佐藤さわりの魅力であり、彼女の戦いの本質でもある。

今回もまた、彼女は“普通のまま”悪魔と向き合う。

その姿を、どうか楽しんでいただきたい。

第一章:買収された大学と黒い影

東京の西側に広がる住宅街の一角に、令和親切大学は静かに佇んでいた。文学部の名門として知られ、古くから国語学や日本文学の研究で名を馳せてきた大学である。しかし、その空気はある日を境に一変した。

新しい理事長が就任したのだ。

名を――林勇生りん・ゆうせい

五十代半ば。妙に豊かな黒髪を後ろへ撫でつけ、額には一本の皺もない。肥満ではないのに腹だけが前へ突き出し、歩くたびに揺れる。笑えば、前歯の二本の金歯がぎらりと光り、まるで誰かの魂を吸い込むかのように妖しく輝いた。

仏教には「五光が指す」という言葉があるが、林の背後に立ちのぼるのは光ではなかった。

――黒い靄。

それは煙のように揺らめき、しかし決して消えない。見る者の胸に、言いようのない不安だけを残していく。

林が理事長に就任してから、令和親切大学では奇妙な現象が続発した。

まず、学生たちが――言葉を失い始めた。

キャンパスを歩けば、口を閉ざした学生たちがうつむき、ただ足音だけが響く。まるで全員が突然、唖になったかのようだった。

その静寂を破るのは、中国人留学生たちの大声だけである。

「你去哪儿?」「快点儿!」

キャンパスは、まるでどこかの大陸の街角のように変貌していた。

それもそのはずだった。

林勇生は、大学の公用語を――中国語のみと定めたのだ。

授業も、クラブ活動も、掲示板も、標識も。

すべてが中国語に置き換えられた。

当然、退学者は続出した。逃げるように大学を去る学生も多かった。

だが、残った学生たちには、さらに不可解な変化が訪れた。

キャンパスを離れても、彼らは日本語を思い出せないのだ。

スーパーで買い物をする女子学生が、無意識に口にする。

「我要这个(wǒ yào zhè ge)……」

自分でも驚いたように口を押さえるが、もう遅い。

日本語の感覚が、少しずつ、確実に削り取られていく。

まるで――日本人が中国人へと変貌していくかのように。


さらに、林は思想教育にも手を伸ばした。

授業では、1960年代に中国で吹き荒れたプロレタリア文化大革命が称賛され、学生たちは意味も分からぬまま、C国のウー・テンタイ首席の語録を暗唱させられた。

宗教は否定され、学問の自由は奪われ、構内にあった礼拝堂は叩き壊された。

否定、否定、否定――従来の価値観を破壊し、新しい思想を流し込む教育方針だった。

そして、恐ろしいことに、令和親切大学だけでは終わらなかった。

東京で二番目の大学が買い占められ、さらに――

お嬢様大学として名高い大和女子大学までもが、林勇生の手に落ちた。

静かに、しかし確実に。

林勇生による「日本人の中国人化計画」は進行していた。


第二章:若き国会議員村田薫子、光の中の影

国会議事堂を背に、村田薫子は深く息をついた。

黒髪のショートカットが風に揺れ、紺のスーツの襟がきりりと立つ。

身長一七〇センチ、痩せ型。

その姿は、政治家というより、どこかのステージに立つタレントのように輝いていた。

与党の衆議院議員。

そして、時代の波に乗るように開設したYouTubeチャンネル――「かおるこちゃんねる」の主でもある。

質疑を終えた帰り道、彼女は近所のスーパーに立ち寄った。

ほんの数分の買い物のつもりが、いつも通り、そうはいかない。

「薫子ちゃん、物が高くて買えないのよ、なんとかしてよ」

「うちの孫がね、奨学金が……」

声をかけてくるのは、若者から老人まで幅広い。

村田は一人ひとりの手を取り、笑顔を絶やさずに応える。

「大丈夫です。必ず、なんとかしますから」

その笑顔は、政治家としての仮面ではなかった。

彼女は本気で、目の前の人々を救いたいと願っていた。

しかし、そんな村田にも弱点はある。

――料理がまるでできない。

だから、今日もお弁当を買って帰る。

東京での活動中は、これが彼女の“ご馳走”だった。

夜。

「かおるこちゃんねる」のLIVE配信が始まった。

画面の向こうで、村田は真剣な表情をしていた。

「皆さん、聞いてください。今、日本の大学が買い占められています。

令和親切大学は、もともと文学部の名門校でした。それが今では――中国語学科と革命応用学科に置き換えられているんです」

視聴者のコメントが流れる。

《え、怖い》

《そんなことあるの?》

《かおるこ頑張れ!》

村田は続けた。

「日本人なのに、学内の公用語は中国語。こんな馬鹿なことがありますか?

私は直ちに法案を整備し、このような大学は廃校にします」

その瞬間――

ぷつん。

音声が途切れ、画面にはくるくると回る読み込みマークだけが残った。

「え……? また?」

村田は眉をひそめ、背後の窓に目を向けた。

そこに――黒い何かが、へばりついていた。

顔はない。

ただ、闇だけが凝縮したような、ブラックホールのような塊。

村田は気づかない。

配線を確認し、パソコンを再起動し、ようやく配信を再開したときには、視聴者は半分に減っていた。

「このところ、WIFIの調子が悪いのかしら……新しくしないと駄目ね」

彼女は軽く笑ったが、その笑顔の裏に、何かが忍び寄っていた。


その頃、政治ジャーナリストの佐藤さわりは、LIVE配信を見ながら腕を組んでいた。

黒髪のチューリップ型ボブに黒縁眼鏡。

身長一六〇センチの小柄な体に、鋭い観察眼を宿す。

「このところ、変な現象が多いわね……」

だが、彼女はまだ気づいていなかった。

この異変が、後に自分の運命を大きく揺るがすことになるとは。


第三章:村田の死

深夜零時を回った議員宿舎は、静まり返っていた。

村田薫子は、湯気の立つ浴室で肩まで湯に浸かり、ようやく今日一日の疲れをほどいていた。

――そのときだった。

「……俺も、一緒に入る」

男の声。

低く、湿った声が、浴室の壁に染み込むように響いた。

「えっ……?」

村田は思わず湯から身を起こした。

独身で、一人暮らし。

誰かがいるはずがない。

耳を澄ませる。

「俺も……一緒に入る」

再び、同じ声。

浴室のドアの向こうから聞こえるような、しかし距離感のない、不気味な響き。

村田は震える手でドアを開けた。

廊下には誰もいない。

ただ、冷たい空気が流れ込んでくるだけだった。

「……疲れてるのね。令和親切大学の資料集めで、ずっと飛び回ってたから」

自分に言い聞かせるように呟き、湯に戻ろうとしたその瞬間――

また、声。

「薫子……」

村田は悲鳴を上げる代わりに、湯から飛び出し、タオルを巻いて浴室を後にした。

心臓が痛いほど脈打っている。

その夜、村田はなかなか眠れなかった。

寝返りを打つたびに、どこかで誰かが囁いているような気がする。

ようやく眠りに落ちたとき、夢を見た。

遠くから、一人の男が歩いてくる。

スーツ姿。

見覚えのある顔。

――杉浦鯛蔵。

同じ党の、あの“日本お馬鹿な政治家”と揶揄される男だ。

「薫子ちゃん、いっしょに温泉旅行しようよ。俺の子供を産んでくれ!」

にやけた顔で迫ってくる。

村田は叫ぼうとしたが、声が出ない。

次の瞬間、目が覚めた。

寝間着は汗でぐっしょり濡れ、髪も肌も冷たく張り付いていた。

「……最低の夢」

翌朝、村田はSNSで鯛蔵に抗議した。

しかし、返ってきたのは困惑した返信だった。

《俺はそんなこと言ってない!デマだ!》

村田はスマホを握りしめた。

自分の中で、何かが少しずつ壊れていく。

その日の午後。

村田はドトール・コーヒーで、政治ジャーナリストの佐藤さわりの取材を受けていた。

「ハニー・カフェ・オレをお願いします」

村田はいつものように、店で一番高いメニューを注文した。

普段は料理ができない彼女にとって、こうした甘い飲み物は小さな贅沢だった。

しかし、話の途中で――

村田は、砂糖をスプーンで何杯も、何杯も入れ始めた。

佐藤は目を見開いた。

「む、村田さん……?」

村田は我に返り、震える声で言った。

「えっ……どうして、こんな……」

佐藤は話題を変えた。

「ところで、中国人による公共施設の買い占めは、法律で制限できますか?」

その瞬間、村田の声が――変わった。

「できるわけないだろう」

低く、太く、まるで別人の声。

佐藤は息を呑んだ。

「……村田さん、今の……」

村田は何事もなかったように微笑んだ。

「今、一所懸命調査をし、委員会でも法案の整備を進めています」

佐藤の額を汗が伝う。

――これは、ただの疲労ではない。

――何かに、取り憑かれている。

佐藤は村田を放っておけなかった。

しかし、その前に確かめるべきことがある。

林勇生。

あの男だ。

佐藤は面会の予約もせず、令和親切大学へ向かった。

受付ではスマホの翻訳機能を使い、なんとか中に入れてもらう。

広い校内は、不気味なほど静かだった。

学生たちは口を閉ざし、ただ歩くだけ。

時折、中国人留学生の大声が響く。

理事長室へ向かう足は、なぜか重くなる。

まるで、見えない手が足首を掴んでいるかのように。

夕方、ようやく辿り着いた。

ドアをノックし、入る。

林勇生は、椅子に座っていた。

その姿を見た瞬間、佐藤は直感した。

――これは、人間ではない。

林は中国語で言った。

「これから行くところがある(我接下来要去一个地方)」

「インタビューは中国でしてね(采访请在中国进行)」

佐藤は中国語が分からない。

だが、言葉の意味よりも、林の背後に揺らめく黒い靄が恐ろしかった。

佐藤は村田を放っておけなかった。

取材対象としてではなく、一人の人間として。

そして――自分でも驚くほど自然に、こう思っていた。

「この人を守らなきゃ」

政治家としての村田の真っ直ぐさ、弱さ、そして危うさ。

それらすべてが、佐藤の胸を強く揺さぶった。

「無給でいい。しばらく秘書として、村田さんのそばにいたい」

そう申し出るつもりで、佐藤は議員宿舎へ向かった。

しかし――ドアは開いていた。

「村田さん……?」

部屋に入った瞬間、鉄の匂いが鼻を刺した。

床に、大きな血痕。

そして――村田薫子が倒れていた。

右手は、床を必死に引っかいた跡がある。

その指先で、血文字が書かれていた。

ぶ……り……る

佐藤は震えた。

「村田さん……!」

しかし、もう遅かった。

村田薫子は、静かに息を引き取っていた。

佐藤の胸に、深い後悔と怒りが渦巻いた。

――守りたかったのに。

――間に合わなかった。

その瞬間、佐藤の中で何かが決定的に変わった。


第四章:佐藤さわり対悪魔ブリル

村田薫子の死から三日。

佐藤さわりの胸には、まだ重い石が沈んだままだった。

――守れなかった。

――あのとき、もっと早く行っていれば。

しかし、後悔だけでは終われない。

村田が最後に残した血文字――「ぶ……り……る」。

それが、林勇生の正体であると佐藤は直感していた。

だが、どれだけインターネットを探しても「ブリル」という名の悪魔は見つからない。

検索結果はゼロ。

まるで、この世に存在しないかのように。

「……この道の権威者はいないのか」

佐藤は、古い文献を扱う大学を探し、ついに一人の人物に辿り着いた。

KO大学・西洋史教授、綱川正則。

西洋中世史、キリスト教史、悪魔学の専門家。

研究室の扉を開けると、綱川教授はふくよかな体を揺らしながら、古い羊皮紙をめくっていた。

「悪魔ブリル……ですか? お嬢さん、そんなおとぎ話を本気で?」

佐藤は机を叩いた。

「本気です! 村田薫子議員が、命をかけて残した言葉なんです!」

教授はため息をつき、棚から分厚い古書を取り出した。

革表紙はひび割れ、ページは黄ばんでいる。

「……これを見なさい」

開かれたページには、奇怪な挿絵があった。

山羊のような角、赤い目、牙が飛び出した口。

その姿は――林勇生と重なった。

佐藤は息を呑んだ。

「これ……退治方法は?」

教授は首を振った。

「悪魔に“退治方法”などないよ。だが……一つだけ、古い伝承がある」

教授は紙とペンを取り出し、奇妙な文字を走らせた。

それは、見たこともない悪魔文字だった。

「決闘状だ。悪魔は“挑まれた勝負”を断れない。

ただし――負ければ魂を取られる。覚悟はあるかね?」

佐藤は迷わなかった。

「あります」

その夜。

佐藤はSNSに、教授が書いた悪魔文字の画像を投稿した。

内容は、悪魔ブリルへの決闘状。

日時と場所は――青梅の山中、23時。

周囲は深い森林。

中央に広い平地。

その奥は断崖絶壁。

佐藤は平地の中央にブルーシートを敷き、その上に立っていた。

足元には、地面に刻まれた複雑な魔法陣。

ブルーシートは、その魔法陣を隠すためのものだ。

風が止んだ。

森が息を潜めた。

――コツ、コツ。

暗闇の向こうから、足音が近づいてくる。

やがて、姿が現れた。

林勇生。

「あなたの正体は悪魔ブリル……そうでしょう!」

佐藤は叫んだ。

「悪魔ブリル! 果たし合いだ、尋常に勝負しろ!」

林は笑った。

金歯が、月光を受けてぎらりと光る。

「ふふふ……よくわかったな」

右手で顔を払うと――

皮膚が裂け、肉が剥がれ、黒い煙が噴き出した。

その奥から現れたのは、醜悪な怪物。

山羊のような角。

血のように赤い目。

牙が飛び出した口。

背中からは黒い靄が渦を巻いて立ち上る。

悪魔ブリル。

「一つだけ教えて。どうして日本人のアイデンティティを奪うの?」

ブリルは嗤った。

「頼まれたのさ。C国からな。

報酬として――一千万人分の魂を貰う約束でな」

「……最低」

「それより、お前の魂はもう俺のものだ」

ブリルが一歩踏み出す。

佐藤は後ずさる。

背後は断崖絶壁。

――落ちる。

そう思った瞬間、ブリルは佐藤が立っていた場所に足を踏み入れた。

佐藤は右手の人差し指を立て、叫んだ。

「エロイムエッサイム――!」

轟音。

地面が震え、魔法陣が光を放つ。

ブルーシートが吹き飛び、魔法陣が回転を始めた。

渦を巻く地面が、ブリルの足を飲み込む。

「うぉぉぉぉ! やめろ! 出せ! 出せぇぇぇ!」

ブリルは叫び、爪を立て、地面を掴もうとする。

だが、渦は容赦なく悪魔を引きずり込み――

地獄へと戻した。

最後に響いたのは、断末魔の叫びだった。

「ぐああああああああああ!」

渦が止まり、森に静寂が戻る。

佐藤は膝から崩れ落ちた。

「……村田さん。終わりました」


エピローグ

数週間後。

令和親切大学のキャンパスには、久しぶりに日本語のざわめきが戻っていた。

中庭のベンチでは、文学部の学生たちが古典の授業について語り合い、

図書館の前では、新入生が緊張した面持ちで案内板を見上げている。

掲示板には、かつて消されていた日本語のクラブ活動のポスターが貼り直され、「俳句サークル」「歴史研究会」「合唱団」など、懐かしい名前が並んでいた。

壊された礼拝堂は、大学の有志によって修復が始まっている。

割れたステンドグラスの破片を拾い集める学生の姿は、

まるで失われた時間を一つひとつ取り戻しているようだった。

そして何より――

学生たちの声が、自然に笑っていた。

「ねえ、次の授業どこだっけ?」

「お腹すいた、学食行こうよ」

「昨日のドラマ見た?」

そのどれもが、当たり前の日本語だった。

かつて黒い靄が漂っていた校舎の上空には、

今はただ、春の柔らかな陽光が降り注いでいる。

大学は、ようやく“大学”に戻ったのだ。

東京の晴れた日。

ドトール・コーヒー。

佐藤さわりは、ハニー・カフェ・オレをゆっくり口に運んだ。

「敵……とったわよ、村田薫子さん」

その瞳には、静かな決意が宿っていた。

(完)

今回の物語では、佐藤さわりはついに“悪魔”と真正面から対決することになった。

しかし、彼女は最後まで超能力を使わない。

呪文も、魔法も、神の加護もない。

あるのは――知恵と勇気と、ほんの少しの無茶だけだ。

村田薫子という政治家を守れなかった悔しさ。

その後悔が、彼女を悪魔との決闘へと駆り立てた。

佐藤さわりは、強くはない。

だが、折れない。

だからこそ、彼女は読者の心に残るのだと思う。

さて、次はどんな怪異が彼女の前に現れるのか。

そして、普通の人間である彼女は、どんな方法でそれを乗り越えるのか。

作者である私自身も、毎回頭を抱えながら、しかし楽しみながら書いている。

読者の皆さんも、どうかその“普通の人間の戦い”を、これからも見守ってほしい。

それでは、また次の事件簿でお会いしましょう。

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