佐藤さわりの霊障事件簿 屶(なた)仙人
物語というものは、書き手の思惑とは別のところで勝手に歩き出すことがある。
今回の『佐藤さわりの霊障事件簿 屶仙人』も、まさにそんな作品だった。
最初は軽い気持ちで「百年に一度の儀式」を題材にしようと思っただけだった。
ところが、屶仙人が姿を現し、大方家が巻き込まれ、佐藤さわりが登場するころには、作者である私の手を離れ、物語は勝手に山の奥へと進んでいった。
完成までに一週間かかった。
そのわりには、決して会心の出来とは言えない。
書き直したいところも、もっと深められたはずの場面も、いくつもある。
だが、物語とはいつもそういうものだ。
完璧を求めれば永遠に終わらないし、未完成のままでも、登場人物たちは確かに息をしている。
この物語が、読んでくださる方にとって、山の霧のように静かにまとわりつく何かを残せたなら、それで十分だと思っている。
第一章:百年に一度の行事
福島県・会津の山あい。
春の名残を抱えた風が杉木立を揺らし、葉のこすれる音が遠くまで続いていた。
芦名極楽寺は、その静けさの中にひっそりと佇んでいる。
今年は百年に一度の行事がある。
とはいえ、村人たちにとっては大げさなものではない。
古い木箱の紐を解き、中に収められた“あるもの”を希望者に見せるだけの儀式だ。
その“あるもの”とは――屶。
百年前のご開帳では、村の半分が集まったというが、今では興味を示す者も少ない。
寺はSNSで宣伝をしたものの、反応は芳しくなかった。
「百年に一度」と言われても、現代の人々には遠い昔話に過ぎないのだ。
【鎌倉時代の影】
しかし、この屶には忘れてはならない由来がある。
鎌倉時代、この地には“屶仙人”と呼ばれる怪異がいた。
人の形をしているが、腕が異様に長く、山の霧のように現れては消える。
仙人は屶を振るい、村人の脳天を割り、首を刎ね、恐れられた。
当時の芦名極楽寺の僧・嘉吉は、ついに鎌倉北条家に助けを求めた。
派遣されたのは、一人の武士――大方正道。
正道は全身に梵字を墨で描き、祈りを刻んだ身体で日本刀を振るう男だった。
嘉吉和尚はその背後で読経し、法力で援護した。
二人がかりでようやく屶仙人を退治した。
血に染まった屶は寺に奉納され、仙人の亡骸は石棺に収められ、古墳のように土を盛って葬られた。
それが“屶仙人塚”と呼ばれたが、長い年月のうちに人々の記憶から薄れ、誰も近づかない場所となった。
【塚の崩壊】
そして今年。
長雨が続いたある夜、屶仙人塚が崩れた。
露わになった石棺。
中には、朽ち果てたミイラが横たわっていた。
腕だけが異様に長い――伝承そのままの姿だった。
地元の郷土史研究会が調査を行い、展示資料として扱うことになった。
今は郷土資料館の作業室に安置されている。
研究主任の小林二郎は、ミイラを見て思わずつぶやいた。
「……なんか、気味が悪いな」
その日の作業を終え、電気を消し、施錠して帰っていった。
【深夜の変化】
深夜。
静まり返った資料館の作業室で、ミイラの胸元から細い煙が立ちのぼった。
煙はゆらゆらと形を変え、やがて人の姿をとった。
黒とも白とも茶色ともつかぬ髪。
大きな目、大きな口。
手は二本、足はない。
まるで古い絵巻に描かれた幽霊そのもの。
「ひひひ……わしは生き返ったか。だが困ったものよ。屶がなければ妖力が大幅に制限されておる」
屶仙人は覚えていた。
自分を滅ぼした大方正道。
そして、芦名極楽寺の僧・嘉吉。
もちろん、当時の人間はもういない。
だが――大方家の血筋は今もこの地に残っている。
寺も健在で、住職もいる。
仙人は芦名極楽寺へ向かった。
しかし、屶には近づけなかった。
封印が施されているのだ。
「あの屶が欲しい……どうしても近づけぬ」
仙人は千里眼で過去から現代までを見通した。
「わしを退治した侍の子孫が、この街におる。そやつを操って取り戻すか……」
屶仙人の復讐は、静かに幕を開けた。
第二章:大方正道の子孫
大方家は、山の斜面に寄り添うように建つ古い一軒家だった。
周囲を囲む林は風が吹くたびにざわりと揺れ、家の壁に影を落とす。
その影が、最近は妙に濃く、重く感じられた。
最初に異変を口にしたのは、妻の正恵だった。
「ねぇ……最近、誰かに見られている気がしない?」
夕暮れの台所で、正恵は皿を拭きながらふと背後を振り返った。
窓の外の林は静かで、ただ風が枝を揺らしているだけだ。
しかし、その揺れの奥に、何かが潜んでいるような気配があった。
「見るって誰が見るんだよ。そんな馬鹿なことあるか」
夫の太郎は笑って取り合わなかった。
だが、娘の栞も同じことを言い出した。
「わたしも……なんか、家の外に誰かいる気がする」
正恵は眉を寄せた。
「警察に相談してみようかしら」
「相手にされないよ。警察は殺人以外は動かない。自殺なんか片付けが早いもんだ。新聞にも載らない。気のせいだよ。そんなくだらないこと考えてないで、早く寝なさい」
太郎の言葉は、妙に冷たかった。
【仙人の影】
そのころ、家の外では、屶仙人が林の間を漂っていた。
霧のように形を変えながら、じっと家を観察している。
「大方正道の血……ここに流れておるな」
仙人の目は、獣のように光っていた。
【台所の恐怖】
夜。
正恵が台所で洗い物をしていると、ふと視線を感じた。
窓の外に、何かがいる。
ゆっくりと顔を上げた瞬間――
そこに、異様に長い顔が貼りついていた。
黒とも白ともつかぬ髪が垂れ、目だけがぎょろりと動く。
「きゃあああっ!」
正恵が叫んだ瞬間、顔は霧のように消えた。
太郎は「気のせいだ」と言い張ったが、家の老朽化と雨漏りが重なり、家の中はどこか湿った不安に満ちていた。
【雨の夜の侵入者】
夕食の最中、天井の雨漏りの穴から白い靄がすうっと降りてきた。
それは床に落ちると、ゆっくりと膨らみ、人の形を取った。
「ひひひ……久しぶりじゃの」
現れたのは、山肌がそのまま人の形をとったような怪異だった。
髪は古木の枝のように乱れ、顔は岩のようにひび割れ、目の奥だけが異様に光っている。
「誰だ、お前なんか知らないぞ!」
太郎が震える声で叫ぶ。
「そっちは知らなくても、わしはよく知っておるよ……大方正道の血よ」
仙人は右手をひょいと振った。
縄のようなものが飛び出し、正恵と栞の身体に巻きついた。
それは生きた蛇で、二人をぐるぐると締め上げた。
太郎は蒼白になった。
「お前は芦名極楽寺に行き、百年に一度の宝物――屶を盗んでこい。
嫌だと言うなら……ここで皆殺しじゃ」
太郎は震えながら頷くしかなかった。
【闇の寺】
深夜の芦名極楽寺は、雨音だけが響いていた。
住職の中村為義はすでに寝静まっている。
太郎は恐怖に突き動かされるように寺に入り、屶を盗み出した。
古寺にはセキュリティなどなく、ただ静寂だけがあった。
外に出ると、仙人が待っていた。
「ひひひ……よくやった」
屶を手にした仙人は、一振りした。
山の一角が崩れ、土砂が太郎を襲った。
「妻と娘は……助けてくれ……」
「ひひひ、それはできぬ相談よ」
太郎は血を吐き、崩れた土砂の下で息絶えた。
正恵と栞は、すでに仙人の手で命を奪われていた。
山の雨は、ただ静かに降り続いていた。
第三章:佐藤さわり登場
佐藤さわりは、政治記者である。
だが最近は、名刺の裏に小さく「霊障探偵」と刷り込んでいた。
身長は百六十センチ、小柄で、チューリップのつぼみのように丸くまとまった黒髪。
黒縁眼鏡の中央には小型カメラが仕込まれており、彼女が見たものはすべて記録される仕組みだ。
鞄には五七の桐のキーホルダーが揺れている。
母方が豊臣家の血筋であることを、彼女は誇りもせず、隠しもせず、ただ静かに受け止めていた。
その日のSNSは、あるニュースで大炎上していた。
福島の山間部で一家三人が不審死――。
タイムラインは憶測と恐怖で渦巻いている。
さわりは、コーヒーを飲みながら何気なくスクロールしていた。
画面の端に、小さな記事が目に入る。
「芦名極楽寺の宝物『屶』が盗難」
その文字を見た瞬間、彼女の中で二つのニュースが一本の線でつながった。
「……大方親子の死と、屶の盗難。これは偶然じゃないわね」
来月、市議会選挙の取材で福島に行く予定があった。
政治記者としての経費が出るのは、その名目だけだ。
だが、彼女の興味はすでに“霊障探偵”としての領域に傾いていた。
「ついでに調べてみましょうか」
さわりは鞄を肩にかけ、福島へ向かった。
【芦名極楽寺へ】
芦名極楽寺の山門は、雨に濡れて黒く光っていた。
迎えに出てきたのは住職の中村為義。
小柄だが骨太で、口ひげが妙に濃い。
どこかヒトラーを思わせる風貌だが、本人は気にしていないらしい。
「遠いところを……佐藤さん、よく来てくださいました」
中村は深々と頭を下げた。
屶が盗まれたことで、寺は大混乱だった。
百年に一度のご開帳は目前、村の青年団に頼んだ演劇も控えている。
「最近、この地で何か変わったことはありませんか?
特に、昔からあるものが壊れたとか」
さわりが尋ねると、中村は「あっ」と声を上げた。
「街の外れにある塚が……崩れまして。中からミイラが出てきたんです」
さわりの眼鏡のカメラが、わずかに光った。
「案内していただけますか」
二人は雨の中、車で郷土資料館へ向かった。
【仙人の暴走】
そのころ、屶仙人は手にした屶を試すように振るっていた。
「まずは……腕試しじゃ」
屶が空を切ると、山の一角が崩れ落ち、国道を塞いだ。
さらに仙人は雨雲を呼び寄せ、街を水攻めにし始めた。
「ここに住む者ども、皆苦しめてやるわ」
仙人の笑い声は、雨音に紛れて誰にも届かない。
【郷土資料館へ】
資料館へ向かう途中、さわりは崩れた山肌を見て眉をひそめた。
「すごい力ね……」
「えっ?」
中村は運転しながら聞き返す。
「これは屶仙人の仕業よ。たぶん、あの屶が力を増幅させているの」
「そんな馬鹿な……仙人なんて」
「信じるかどうかは別として、現実に山が崩れているわ」
資料館に着くと、研究主任の小林二郎が出迎えた。
彼もまた、ミイラの件で困り果てていた。
応接室に通された瞬間、突然、灯りが消えた。
「うっ、どうしたんだ……?」
すぐに灯りは戻った。
だが、部屋の中央に“何か”が立っていた。
黒とも白ともつかぬ髪。
岩のようにひび割れた顔。
長い腕。
そして、獣のように光る目。
「中村……復讐を果たす時が来たぞ」
中村は震え、小林は声も出ない。
「わしは、このあたり一帯を支配しておる屶仙人じゃよ」
仙人の声は、湿った空気を震わせた。
さわりは、眼鏡の奥で静かに仙人を見据えていた。
第四章:対決
郷土資料館の応接室は、雨音と湿気で重く沈んでいた。
屶仙人は、長い腕をゆらりと揺らしながら屶を構え、中村和尚と小林研究員を睨みつけた。
「まずは、お前たちから追い払ってやろう」
仙人が屶を振ると、空気が裂けるような音が響き、二人は床に転がった。
刃は触れていない。
だが、風圧だけで吹き飛ばされるほどの力だった。
仙人はゆっくりと佐藤さわりの方へ向き直る。
その目は、深い山の闇のように濁り、底知れない怨念が渦巻いていた。
「豊臣の血か……面白い。お前もこの地の因縁に巻き込まれるがよい」
さわりは眼鏡を押し上げ、静かに構えた。
恐怖はある。
だが、それ以上に、目の前の怪異を“記録し、理解し、終わらせる”という意志が勝っていた。
仙人が屶を振り下ろした。
刃が空気を裂き、さわりの髪が風で揺れる。
彼女は身をひねり、紙一重でかわした。
「ちょこまかと……!」
仙人が二撃目を振りかぶった瞬間――
中村和尚が背後から体当たりした。
「今じゃ、佐藤さん!」
仙人の身体がよろめき、屶が手から離れて床に落ちた。
金属音が部屋に響く。
さわりは迷わなかった。
屶を拾い上げ、仙人の前に立つ。
「あなたの居場所は、この世にはないのよ」
その言葉とともに、屶の柄で仙人の顔面を叩いた。
刃ではなく、あえて“柄”で。
殺すためではなく、断ち切るための一撃。
屶が淡く光り、仙人の身体にひびが走った。
山霧のように輪郭が崩れ、長い腕がほどけるように消えていく。
「……未練が……まだ……」
仙人の声は、雨の音に溶けるように薄れていった。
最後に残ったのは、風に散る灰のような光だけだった。
屶仙人は、この世から消えた。
応接室には、雨音だけが戻ってきた。
さわりは深く息をつき、屶をそっと床に置いた。
「終わった……のよね?」
中村和尚は震える手で頷いた。
「ええ……あなたのおかげで、百年の因縁が断ち切れました」
さわりは眼鏡の中央に触れ、録画が続いていることを確認した。
この一部始終は、確かに記録された。
エピローグ
百年に一度のご開帳は、無事に執り行われた。
盗まれた屶は元の木箱に戻され、村人たちは久しぶりにその姿を目にした。
誰もが口をそろえて「不思議な力を感じる」と言い、寺の境内には静かなざわめきが広がっていた。
夕暮れ、境内の特設舞台では、村の青年団による歴史劇が始まっていた。
鎌倉時代の屶仙人退治を題材にしたもので、素朴な演技と手作りの衣装が、どこか微笑ましい。
佐藤さわりは、資料館の小林と並んで座り、湯気の立つ甘酒を手にくつろいでいた。
雨は上がり、山の空気は澄んでいる。
舞台の上で、青年団の“仙人役”がぎこちなく長い腕を振り回すと、観客席から笑いが起きた。
「いやぁ、佐藤さんのおかげで助かりましたよ」
小林がしみじみと言う。
「私はただ、見たものを記録して、少し動いただけよ」
さわりは眼鏡の中央を軽く押し上げた。
そこへ、中村和尚がやってきた。
いつもの口ひげを揺らしながら、にこにこと笑っている。
「今度この劇をやるときは、佐藤さんと屶仙人の対決を演じてもらわんとね」
「えっ、あたしが劇に?」
さわりは思わず甘酒をこぼしそうになった。
「ただし――百年後じゃがな」
和尚の言葉に、周囲の観客も巻き込んで大きな笑いが起きた。
山の空気に、穏やかな笑い声が溶けていく。
百年後、この地がどうなっているかは誰にもわからない。
だが、今夜だけは、すべてが平和だった。
(完)
屶仙人は消え、芦名極楽寺には再び静けさが戻った。
佐藤さわりは、いつものように眼鏡のカメラを調整しながら、次の取材へ向かっていく。
書き終えてみると、反省点ばかりが目につく。
もっと怖くできたかもしれないし、もっと深く描けたかもしれない。
一週間かけたわりには、粗いところも多い。
だが、物語は「完成した」という事実そのものが、次の一歩を作ってくれる。
佐藤さわりは、またどこかで奇妙な事件に巻き込まれるだろう。
屶仙人のように、百年の眠りから目覚める怪異が、まだ日本のどこかに潜んでいるかもしれない。
この物語を読んでくださった方に、心から感謝したい。
また次の事件簿でお会いできれば幸いである。




